8話 ある少年の物語
「マリーシア様。
私に何やらご用とのことですが、どうかされましたか?」
レスターに頼んで、呼んでもらったのは――
この得体の知れない神官と名乗る青年、ヴィンセントだ。
今、部屋の中にはマリーシアとヴィンセントの二人だけ。
正直マリーシアにとっては、存在自体がうさんくさく感じるので、呪いに詳しい彼が自分を呪った犯人なのでは? とありもしない疑惑を思い浮かべてしまう始末だ。
闇と同化したような配色のキャソックを纏うものの、雪のように不健康そうな白い肌を持つ。
陰影のせいでコントラストが強い美青年である。
この国は他国の例に漏れず、見目麗しい高位貴族が多いと言われているけれども。
ヴィンセントは出自の知れない野良?の神官とは思えず、完全にこの王城の一員に馴染んでいるのだから驚きを隠せない。
マリーシアが疑いの視線を向けていることに気づいただろうが、どこ吹く風。
彼は飄逸とした、前回会った時と変わらない穏やかな微笑みを浮かべている。
「わざわざ来てもらって申し訳ないです、ヴィンセント。
…貴方に、今回のことについてもっと詳しく聞きたいと思ってお呼びしたのですが」
「はい、それは全く問題ございませんが」
「その前に、貴方の事を聞かせてください。
私は、貴方がどこのどなただか存じ上げません。
あの慎重な王子やアルフレッド達の信頼を得ているのか分からず、困惑しているのです。
貴方は、一体――どなた?」
ヴィンセントは、真正面からそう問われて少しだけ驚いたように目を丸くする。
相変わらずどんな表情をしていても絵になる美貌を持つ男だと、マリーシアも彼がどう反応するのかとドキドキした。
相手が誰なのか分からないし、なんで自分に協力してくれるのかも分からずモヤモヤする。だが少々不躾だったのだろうか…と、不信感を前面に出した問いかけに後悔する。
「……そうですねぇ。
では、これからマリーシア様に『お話』をしても宜しいですか?」
しかし彼は微苦笑を浮かべ、静かに言葉を続けた。
「これは、遠い遠い国のお話です」
マリーシアがその芝居がかった口調に気圧され、小さく頷くと…
彼はまるで聖書を読むように、滔々と言葉を連ねて行ったのである。
あるところに、一人の少年が家族と住んでいました。
少年の家族は代々神官の家系です。
少年は神に祈りを捧げるよりも
呪いの原理を研究することが好きという
大層変わった子どもでした。
ある日少年は自分の住んでいる町が、
厄介な魔族に目をつけられていることに気づきました。
少年は自分の知識を使い
人知れず町の人達を
悪しき呪いから守っていたのです。
ところが、なんということでしょう。
少年は『呪い』について調べていることを、
町の皆に知られてしまったのです。
悪魔の子呼ばわりされ、気味が悪いと石を投げられました。
『この町は魔族に呪いをかけられているんだ』
必死で訴えましたが、
誰も彼の言葉を真実だなんて思いもしません。
呪いをふせぐための儀式も、魔法も、
全て棄てさせられました。
少年の力を失った町は徐々に「呪い」に蝕まれ始めます。
土地は痩せ、川は枯れ、陽が照らない日が続きます。
人々はそれを少年が呪いに関わり
神が怒ったせいだと
いっそう少年を責めたのです。
少年は町中の人から虐げられるようになりました。
人の悪意に傷ついた少年は、
町を逃げ出すことにしたのです。
そして数か月後のこと
少年の故郷は呪いによって人の住める土地ではなくなり
町の人達が死んでしまったのです。
少年はその惨状に、溜飲を下げました。
自分を虐げていた人間が酷い目に遭って、せいせいしたのです。
――そう思えたのも最初の内だけでした。
自分は何もしていない
責任はない
しかし
自分が逃げ出して
多くの人が死んでしまったという事実が
重たくのしかかって来ます。
『自分は悪くない』
誰にも真実を知られることがないよう、少年は遠くへ旅立ったのです。
少年が辿り着いたのは
温暖な気候で人の気性も穏やかなある王国でした。
少年はこの国のことがすっかり気に入って
何年もかけて
溶け込んでいったのです。
ある日少年は、
一人の少女が呪いのせいで
辛い目に遭っていることに気づきました。
少年は関わりたくなくて見ているだけだったのです。
いつか少女も皆を恨んで国を出ていくに違いない。
そう思っていたのに
少女はあろうことか誰も恨むことはなく
自分を虐める人間を庇って死んでしまったのです。
彼女の純粋な想いによって
皆にかかっていた「呪い」はとけました。
めでたしめでたし、おしまい。
「え? あの…私は生きています。
勝手に殺さないでください」
長々と語るヴィンセントの話の最後のオチがそれか!と、思わず疑義を呈してしまったマリーシアである。
「ああ、これは失敬。
あの怪我で生きている方が難しいとお医者さんも仰っていたので」
しれっとした口調で、ヴィンセントは薄く笑む。
今、彼が話してくれた『少年』は…彼自身の経験したきたことだというのか。
かつて虐げられた少年の復讐が成った――けれどもその後は、本当に良かったのか?と疑問を抱えながら生きてきた…
ズキン、と胸が痛む。
理不尽に自分を虐めたり、追い詰める相手が、後で酷い目に遭ったらそれで満足かと言われるとマリーシアには分からない。
彼の人生を追体験することは出来ないからだ。
だが自分とは違う。
少なくともマリーシアには、幸せだった過去の記憶があった。
本当は優しい人達だと知っていたから、耐えられたのだと思う。
『少年』とは重ならない部分の方が多い。
「同じ『呪い』に振り回された者同士、少々シンパシーを感じてしまいまして。
貴女の力になりたいと申し出たまでです」
決して爽やかとは言えないけれど、何とか口元で笑みの形を創っているのが分かる。
彼なりの友好を表した表情なのかもしれない。
今の少年の話がヴィンセントだとすると、決して過去が幸せだった…という人物ではない。あまり人と関わらないタイプに見えるが、こうしてマリーシアに協力してくれるのが奇跡のような性格では?と感じられてしょうがない。
――彼は呪いのことに詳しいせいで、自分の町に住む危険に気づくことができた。
人知れず町を守っていたのに、散々な目に遭って町を棄てた。
そのせいで町は壊滅してしまったというのは重たい過去だと思うが…
彼がマリーシアの行動に、何かを感じたのは確かなのだろう。
「ヴィンセント、貴方は辛い過去を持っていたのですね」
「いえ、ただの『お話』ですよ」
まるでこちらを煙に巻くような口調だ。
しかしその淡々とした態度――そしてお話としてしか相手に伝えられない精神的な傷を負っているとしたら。
これ以上根掘り葉掘り聞くのは、彼の過去の傷をこじ開けようとする無粋な行為だろうか。
「ただの人間である貴女が、呪いを解いたのです。
私にとって、マリーシア様の力はとても興味深い」
「興味…ですか」
「ええ。
貴女の傍にいることで、今進めている解呪の研究も進むのではないかと」
「……呪いに関わることで酷い目に遭ったというのに、まだ勉強を続けているのですか?」
「他に取り柄もありませんしね。
ただ…神に仕える身でありながら、呪いの研究をしているとは公言し難かったのです。
ですがマリーシア様のお力になることで、皆様私を必要としてくださいます。
王子をはじめ、多くの方が私を肯定としてくれました。
それもこちらに留まる理由の一つですね」
今まで忌避されていた能力が肯定的に受け取られると言うのは、彼にとって驚くべき事だったのかもしれない。
成程、ただのお人好しで善意からマリーシアのために動いてくれているわけではないのか。
語ってもらった事情を元に考えると…
ヴィンセントの力がマリーシアの今後の安全に繋がるのであればお互いに利のある関係でいられそうだと思う。
ただ流れの神官らしき人が、完全な善意でマリーシアに協力してくれるという話だったので、うさんくさく感じていたが。
成程、話を聞いてみるものだなとマリーシアは思った。
「私は…呪いという現象について無知です。
いえ、多くの者がそうでしょうね。
でも貴方のお話を聞いて、呪いを忌むべきものと遠ざけているだけでは、防ぐ術も分からない…ということに改めて気づきました。
解呪の力を人が手に入れることができれば、私達の世界はもっと安全になるでしょう。
貴方との良き関係を継続できるよう、私にできることがあれば仰ってください」
「光栄です、レディ・マリーシア」
よくわからないけど、自分が死にかけたおかげで、呪いが解けて…
その呪いが解けたという状況が、ヴィンセントを動かしてくれたようだ。
こんな呪い、二度と味わいたくはない。
でももしもいつか、別の場所、別の時代でも…
呪いを解く方法が見つかったなら、人の心が操られる――
そんな恐ろしい状況も、なくなるのかもしれない。