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2話 王子の謝罪

 先ほどの出来事は、もしかしたら夢だったのだろうか。

 だとしたら、どこからどこまでが夢なのか…


「う……ん……」


 まだ思考は靄がかかっていたが、マリーシアは寝台の上で目を覚ました。


「マリーシア!」


 先ほどの焼き直しかと思うような声がマリーシアの頭の近くで聴こえ、ビクッと体が揺れる。

 しかし、レスターが叫んだ後はシーンと静寂が広がった。


 周囲はランプの光にともされており、窓の外は深夜。

 遠くで梟の鳴き声が木霊している。


 どうやら、この部屋にいるのはレスターと自分だけらしい。


「レスター…?」


「無理をしなくてもいい。

 君の負った傷は深いんだ、どうかゆっくり休んでいて欲しい」


「でも……どうして、急に」


 ここ二年ほど、理由なく周囲から邪険に扱われていたことは間違いない。

 何をしても、何を言ってもこちらの意図は曲解され、誤解され、酷い時には雨が降ってもマリーシアのせい。


 なーんて、おかしい事態が続いていたのだ。


 急に皆が涙を流して自分の回復を喜ぶなんて、そっちの方が奇妙に映る。


 もしも皆の変化がなかった数年前に起こったなら、手厚く介抱されている状況に一つも疑問は抱かなかっただろうが。


「…許してくれと言うのは、私の我儘だと分かっている。

 どうか言い訳ではなく、『事実』として話を聞いて欲しいんだ」


「はぁ…」


 マリーシアは僅かに顎を引き、頷く。


 そんな及び腰のマリーシアの様子を見下ろすレスターは肩を悄然と落とし、座り込んだまま顔を覆った。

 部屋の中には誰もおらず、壁時計が秒針を刻む音だけが響き渡っている。


 彼はずっと自分の傍で様子を見てくれていたのだろうか。

 態度が変わった後のレスターなら、嫌われ者のマリーシアを放置していてもおかしくないというのに。


「私達は、『悪意』に支配されていた」


 これまた突拍子もない話に、マリーシアは瞠目する。


「いつの頃だろう、マリーシアを見ていると…黒く、憎々しい感情に支配されるようになった。

 あんなにも君のことを大切に想っていたというのに、だ」


 彼の声は、狂っていた期間とは比較しようもない程、穏やかでまともに聞こえるものだった。


 しかし、言い訳にしたって…

 悪意がどうたらと言われても、意味が分からない。


「私だけではない。

 君のご家族や友人、従者…君のことを好きだった者はとりわけ、君への拒絶反応が強かったんだ。

 君を虐げることが、当然だと思うようになっていた。


 ああ…今になっても、自分がどうしてそう感じるようになったのか、不思議でしょうがない」


 これが演技とは思えないほど、彼の声には悔恨の情が籠っている。

 嘘を言うメリットも、彼にはないはずだ。


 彼の声だけが、静寂を覆す。

 レスターの穏やかに語り掛ける口調は、まるで詩を詠んでいるようになめらかで、滔々と耳に入ってくる。


「だけどあの時。

 君が私を庇ってくれた瞬間――

 呪いから解放されたように、皆の中から君に対する悪感情が消え失せた。

 そして…

 自分の過去の言動が思い起こされ、大きなパニックに陥ってしまったんだよ」


「そう…だったんですか…」


「私もそうだが、皆、君にしてしまった仕打ちを覚えている。

 特にエリスはショックのあまり部屋に閉じこもり、君に合わせる顔がないと…未だに食事も摂れない日々が続いているそうだ」


 マリーシアの中で最も新しいエリスの記憶は、この国では珍しい薄桃色の髪をした彼女が、目を尖らせてレスターの腕にくっついている姿だ。

 一国の王子に…しかも友人の婚約者のマリーシアの前で人目も憚らずにイチャコラする姿は、マリーシアのメンタルをゴリゴリに削っていった。


 あのこちらを上から見下ろす、傍若無人な人相の悪いエリスの顔が脳裏に鮮やかによみがえる。

 しかしもっと昔の記憶を掘り起こせば、彼女と友人だった時代の思い出が沢山散らばっているのだ。


 何かの間違いだと思いたかったここ数年が、本当に何かの間違いだと聞かされて、マリーシアも何と反応すれば良いのか分からない。


 そもそも心の中なんて、他人にうかがい知ることは不可能。

 彼らがそう思ったというのは理解したし、そのせいで行動に起こしてしまったということも伝わった。


 だが、単純に「よかったー」と諸手をあげて喜べるほど、マリーシアは能天気のアホの子ではなかった。

 いくら何かに操られていた?としても、された仕打ちは覚えているし。

 今更謝られても…というのが、偽らざる本音だ。


「マリーシア」


 レスターが、そっとマリーシアの頬に触れようとした時、恐怖でキュッと心臓が縮んだ。

 叩かれたらどうしよう、という自分でも制御できない反応だった。


「すまない…

 怖がらせるつもりは、なかったんだ」


 レスターは再びショボンと萎れた花のような佇まいになり、俯いて椅子に座っている。


 マリーシアは内心慌てた。

 喉はカラカラで引き攣れていたが、何とかいつも通りの声を出そうと力を籠める。


「私はもうレスターの婚約者じゃないでしょ?

 婚約者でもない女性に触れるのは、良くないわ」


 婚約破棄宣言をされたのは事実だし…

 そのせいで実家の家族から散々叱責を受けてしまったのだから。


 王家の人間が、一度他人様の前で宣言したことを覆すなんて、彼の信用問題に関わることだ。


「何だって…!?

 君はまだ、私の婚約者のままだ」


「ええ…?」


「国王陛下も、宰相も、君のご家族も…

 他の面々も、君に対する今までの非礼を詫びたいと望んでいる。

 よく分からない力の影響で、私は心にもないことを言ってしまった。

 …当然、無効に決まっているじゃないか」


 マリーシアは、焦って両手を無意味に動かしながら話すレスターに、どう答えればいいのかよく分からなかった。


(そりゃあ、レスターの事は好きだったよ?


 だけどね?

 「無かったことにして元通り」なんて、簡単に飲み下せるほど人間出来てないんですわ)



 それがマリーシアの本心だ。

 ただ、心から反省しているように見えるレスターを前に、ハッキリと伝えるのも気が引ける。

 

 同時に、こうして以前通りの彼らに戻って欲しかったと望んでいた願いが叶って、心の底からホッとしている自分もいて。


 なんだか自分の気持ちに整理がつかない。

 複雑な想いに纏わりつかれ、気分が悪かった。


 もしも彼らのことを憎むことができていれば、今更掌返しをされたところで心が動かない。

 いや、もっと早い段階でこの国を脱出していたに違いない。

 公爵令嬢の国外出奔が成功するかどうかは置いておくとして。


 この国で過ごした幸せな思い出と、皆への情があったから虐げられる立場に甘んじていたわけだ。


 …やっぱり、長期間に渡る他人の悪意に晒されたことで、心が麻痺しているのかも。



「ああ、君が私を信用できないのは当然だ。

 君に赦しを乞いたいと思っている時点で、私は傲慢なのだろう。


 …だけど…汚名返上の機会をもらいたいんだ」


「レスター、それは宜しいのですが」


 マリーシアは痛む額を押さえようと手を動かしたが、まだ傷口の痛みに表情が歪む。


「私に対する…ええと、悪意? でしたっけ?

 そちらの原因を解明してもらえませんか?」


「ああ、ごめん、肝心の話をしていなかったね」


 レスターは自分の言動を振り返り、ハッと気づいて口元を覆った。


「原因は調査中なのだけど。

 こんなことが起こらないよう、しっかり手を打っているからね」


 手を打っている?


「この時間だけど、君を朝まで不安にさせておくわけにはいかない。

 ちょっと待っていてくれ」


 レスターはいそいそと部屋から出、姿を消した。

 

 第三者のいない、たった一人だけの広い部屋で思考を整理しようとするが…

 あまりにも現実味のなか話すぎて、どう検討すればよいものやら。



 このまま何もなかったように振る舞うのが一番なのだろうか。

 でも…ここ二年ほどの間に受けた仕打ちが消えるわけでもなく。

 しかもその辛い想いをしたのが、人知を超える何者かの仕業によるものだった!


 なんてどこに感情を持って行けばいいのか分からない。




 うーんうーん、とズキズキ痛む傷を庇いながら寝返りを打っている。

 その内レスターが、「誰か」を連れて部屋にやってきたのだ。


「マリーシア!

 君を…いや、私達を救ってくれる神官。

 ヴィンセントだ」



 ヴィンセント、と呼ばれた男は、真っ黒なキャソックを纏った青年だった。

 彼も見目麗しい美青年で、レスターと並んでも全く遜色ない端麗な容姿を持っていて思わず息を飲んだ。


 鴉の濡れ羽色のような漆黒の短髪、灰色がかった瞳。

 二人共同じくらいの身長だが、陽の光を放つレスターと比べ、黒づくめのヴィンセントはまるで闇夜そのものだ。


 こうも陰陽でくっきり分けられると、バランスがとれていて見惚れてしまうほど。


「――ヴィンセントと申します、マリーシア様。


    はじめまして」



 頭を下げるヴィンセントの姿は、何故か初めて会った気がしなかった。

 こんな美形と出会った経験があったら忘れられないはずだから、初対面のはず。





    この神官が、自分を救ってくれる?

    どういうこと?

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