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28−2 部屋

 牢屋の中、扉が開く音と共に、声が届いた。


「特別な牢ですので、中に入れば魔法は使えません。お気をつけください」

「わかっている。ついてこなくていい」

「ですが、アーロン様」

「クリストフ様に、様子を見てこいと言われただけだ」


 誰か一人、ヴァレリアンに会いにやってきたようだ。

 いくつかある牢屋の出入り口が閉じられれば、魔法が使えなくなるのだろう。だから、その扉の前を兵士が守っている。

 面会者に兵士をつけなくて良いのか? と問いたくなるが、信頼されているおかげか、ついてくる兵士はいなかった。


「ーーは。いるのか」

「どうした。クリストフの犬が」

「ボワロー子爵令嬢が、いなくなりました」

「それで、どうしてここに?」

「あなたを、助けに行ったのかと思っただけです」


 アーロンは淡々と話してくる。

 何か勘付いたようだが、一人で来たところを見ると、クリストフには伝えていないのだろう。


「あなたが、ボワロー子爵令嬢を助けたのかと思っていました」

「俺が? どうやって? そもそも、ボワロー子爵令嬢がクリストフの婚約者候補であることすら知らなかった。そうさせたのは王妃だろう? どうやって、令嬢と知り合うんだ? クリストフが彼女を気に入ったのを知り、すぐに裏切るよう話を持ちかけたとでも?」

「そうですね。そうなんだよ……」

 アーロンは両手で顔を覆うと、一人納得した声を出す。


「ボワロー子爵令嬢は……。いえ、玉璽がなくなったため、裁判で王殺しの犯人を決めます。裁判は、すぐに行われるそうです。逃げるならば、」

「逃げれば、奴らの思う壺だろう」

「ですが」

「逃げる手立てはない。お前は、今後のことでも考えておくんだな」

「そう、ですね。ご武運を、祈ってます」


 これから起こる未来がどうなるか感じたか、アーロンは力無くうなだれて、廊下を戻っていく。

 主人を見誤った。せめてクリストフの行く先を諫めるくらいしていれば、まだしも。


「最後は改心しただけましか。あれに気づかれたのだから、他の奴らも気づくぞ、ラシェル」


 廊下の奥から、ぴしゃり、と水を踏む音が聞こえた。

 この牢屋に水の多い場所などないのだが、どうやって来たのだろう。

 ラシェルは近寄ってくると、檻の向こうから手を伸ばしてくる。

 頬に触れる指先は温かく、その体温だけで安堵した。


「大丈夫だったか?」

「私は大丈夫です。でも、公爵様が、怪我をしていると」

「大したことはない。それよりも、ここにいると、クリストフに気づかれるぞ。部屋からいなくなったことは、クリストフに話していないようだが。黙っているくらいの理性はあったみたいだな。精霊使いとわかっているわけではないだろうが」

「野生の勘が働いたのでしょう。アーロンは変に勘がいいから」

「どうやってここに来れたのだ? 移動には多くの水が必要なのだろう? ここに水など」

「部屋では、お風呂の水を使って。ここでは、地下下水の水をのばして使ったんです。ちょっと臭うんで、息しないでください」

「無理を言うな。ふっ。ぐっ」


 笑いそうになって、ついむせる。息を吐き出すだけで、肋が痛んだ。ラシェルがすぐに心配そうな声を上げてくる。


「公爵様!? 大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ」

「大丈夫なんかじゃないでしょう! とにかく、手かせを外して、なんてひどいことを……」


 檻のせいで、ラシェルの手しか入れない。それでも手かせを外そうと、袖をめくると、青黒くなった部分に目を見張る。

 そういえば、腕も痛めつけられていた。ラシェルはみるみるうちに泣きそうな顔になってくる。


 そんな顔など、させたくないのに。


「こっちも、怪我を。体は、大丈夫ですか!? こんな、なんで、」

「大丈夫だ。泣くな」

「大丈夫なんかじゃない……」

「大丈夫だ」


 頬に伸ばされた手に、ヴァレリアンが口づけると、ラシェルはさらに泣き出した。


「ラシェル」


 嗚咽を漏らすラシェルの名を呼んで、ラシェルの濡れた頬を拭った。

 人の痛みに敏感で、自らを危険にさらしながらも、立ち向かう勇気のある女性。


(愛しくなって当然だろう)


「公爵様」

「ヴァレリアンと呼んでほしい」


 その涙に濡れた唇に、そっと口づけて言えば、困ったような、けれど、嬉しがっているような顔をした。


「ヴァレリアン、さま」

「ラシェル。俺は大丈夫だ。裁判はすぐ開廷するようだから」

「逃げずに、裁判に出る気ですか? 観衆を前に演じて、あなたを陥れるだけです」

「こんなこともあろうかと、用意はしている。トビアには伝えた」

「私も、聞きましたが。でも、ずっとここにいるわけには」

「大丈夫。大丈夫だ。私の言うことが聞けるか?」

 ラシェルは鼻をすすりながら頷く。


「大丈夫」

 同じことを何度も言って、ラシェルを落ち着かせる。

 憂いを帯びた瞳は同じだが、何かに立ち向かうような、力強い瞳に戻った。


「彼女のところに行って、協力を仰いでくれ。彼女も動き出しているだろう」

 ヴァレリアンの言葉に、ラシェルは大きく頷いた。








 彼女の紹介を受けたのは、子供の頃だった。

 初めて彼女に会った時、なんという、人間離れした人だと思った。

 それは、美しさもあったが、それよりも、自然に近い、悪く言えば魔物のような。


「それでは、裁判を開廷します!」


 裁判長が木槌を鳴らし、裁判が開廷したことを告げる。

 傍聴席には貴族たちが集まり、何事かと興味本位で聞きに来たというより、かわいそうにと同情するような面々ばかりだった。

 すでに、王妃とクリストフが虚言を図ったと気づかれているではないか。

 これは笑ってしまう。


 それも当然か。突然王が死んだと思ったら、久しぶりに現れた公爵が犯人だとのたまうのだから。貴族たちも呆気に取られたはずだ。死にそうな王をわざわざ暗殺する必要などない。暗殺をするならば、王妃かクリストフだろう。

 恨みがあるならば、王だけにとどまらない。

 貴族たちは恐怖政治の始まりを感じているだろう。理不尽な理由で罪が確定し、死刑にされる未来を、不安に思っているはずだ。


「王の暗殺を企てた証拠をお出しします」

 どこの誰だか知らない男が、一方的にヴァレリアンの罪を述べていく。


 ご丁寧に毒を手に入れた経緯まで偽り、証人に毒を渡した男まで現れる。

 どうやって王にその毒を飲ませていたのかと思えば、医師に渡る過程で毒を混ぜることができたなどと、荒唐無稽にもほどがある話が続いた。

 証人の中には、王への毒を混ぜていることに対し、耐えかねて自殺した者の家族まで出てくる。

 茶番すぎて、途中で聞くのを止めたくらいだ。


 無表情で見ているクリストフと、歪んだ笑みを見せる王妃を守る騎士たちの中にアーロンを見つけて、顔色が前より一層悪くなっていることに気づく。


(まるで、屍だな)


 逃げないだけ、忠義があるのだろうか。最後まで見届けるつもりだろうが、今にも倒れてしまいそうだった。

 重い罪に対して、耐えきれないのだ。心中察する。


「公爵家は取り潰し! 公爵は死刑とする!」


 裁判長の早い決定に、周囲がざわめいた時、それらは現れた。

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