26−2 協力
「逃げたですって!?」
「申し訳ございません。連絡を入れても、体調不良を理由に門前払いを、きゃっ!」
「そんな言い訳、聞きたくもない!」
王妃エルヴィーラは、使いを出していた侍女に、側にあった花瓶を投げつけた。
扉に当った花瓶は割れて、床に花や水ごと散らばる。
「オーグレン伯爵は、ブルダリアス公爵家に入ったという話もあります」
侍女の隣で騎士が告げる。その騎士には、紅茶のカップを投げつけた。
メイドたちが床に散らばった惨状に、片付けるべきか視線をさまよわせた。
「あれだけ、目をかけてやったのに。裏切り者たちが」
エルヴィーラは歯噛みした。オーグレン伯爵に、娘の命が危険だと知らせてやったのに、処置も行えない。王子の妃にしてやろうと、あれだけ懇意にしてやったのに、まともに動くこともできない。
「クリストフ様が火事を起こして、貴族たちも動きはおかしくなっており」
「わかっているわよ!」
(どうしてこんなことに。すべて、あの娘のせいだわ)
「あの娘、公爵家に逃げたなんてね。初めからそのつもりだったのではないの」
ブルダリアス公爵は昔から面倒で、いつまでも恨みをこちらに向けていた。
子供の頃から生意気で、年上だからと、クリストフの兄のように振る舞っていた。
ブルダリアス前公爵夫妻は二人で仲睦まじく、幸せな家族を見せつけるように、王宮へ遊びにくる。
「王も王で、いつまでもあの女の後を追って!」
エルヴィーラは机にあった茶器を、手で払いのける。再び割れ物の音が部屋に響き、侍女やメイドたちが肩を振るわせた。
「あの女が、すべて、悪いのに!!」
(仲が良かったからどうだという。妻は私だ。王妃となったのは、私だ!)
ブルダリアス前公爵の妻、アデライドは、父親の縁で王族と交流があった。幼い頃から勉学を共にしていたという、令嬢には珍しい勉強家で、その聡明さから当時の王にも気に入られていた。
王がアデライドを好んでいるというのは、昔から耳にしていたことだ。
だが、アデライドが選んだのは王弟で、王は王弟からアデライドを奪おうとはせず、公爵の身分を与えて、二人の幸せを願った。
公爵領に何度も訪れるほど。
エルヴィーラはテーブルクロスをぐっと握りしめる。
『エルヴィーラ様。よろしくお願いします』
あどけない笑顔。渦巻く感情をまったく知らないような、清廉な心。
それが演技だろうとなかろうと、男たちはそれを信じていた。
美しさも相まって、アデライドを望む男は多かった。しかし、相手は王族だ。王だろうが王弟だろうが、どちらを選んでも、太刀打ちなどできない。男たちは遠目に見るだけ。それでもアデライドに婚約話を持ちかけた家もあったが、それを断るように、王弟と結婚した。
弟の妻になったのだから、さっさと諦めればよいものを。
領土を与える時も、
『公爵領は遠すぎた。海が見える土地を好んだと言ってくれたが。君の望みは果たしたつもりだ。誤解はしないでもらいたい。弟とアデライド令嬢は、大切な友人であり、仲間なのだ』
そんな言い訳を、王はエルヴィーラに懇々と説明する。
学友だとか、学びを一緒にしていたとか、だからどうしたと言う。
いつまでも、弟の妻の尻を追い、あまつ子供にまで目をかける。自分の子供には目もくれないのに。
邪魔で邪魔で、仕方がない。
視界から消えて、遠くの彼方にまで追いやったのに、まだ邪魔をしてくる。
ずっと気に食わなかった。結婚する前から三人は共にいて、エルヴィーラの婚約が決まっても、当たり前のように三人でいるのだから、王の妃であるエルヴィーラの気分を損ねるくらい、わかっていたはずだ。
ブルダリアス前公爵夫妻を憎々しく思うと同時に、王への恨みも募っていた。
その頃にはクリストフが生まれ、早めの王太子を決定させていた。
アデライドへの想いを誤魔化した形だ。
王太子にしたのだからよいだろう。そんな心が透けてくる。
そうであれば、王は用無しだろう。
だが、エルヴィーラには味方が少ない。父親のエーメリ前伯爵は、悪どい手口で金銀を稼いでいた。落ちていく貴族たちを見るのを好んでいたせいで、恨まれることも多く、エルヴィーラに服する者は日和見だ。弟のハンネスが伯爵家を継げば、ハンネスは無能で、足を引っ張るばかり。
そうであれば、自分が周囲を固めるしかない。
邪魔なものは蹴落としていくには、王は邪魔だ。
少しずつ弱まっていく王を傍らにして、実権を握っていく。邪魔なブルダリアス前公爵夫妻は、早い段階で蹴落とすことに成功した。しかし、その子供は慣れることはせず、強固なまでに助力を拒否してくる。
一丁前に警戒してくるのだから、笑ってしまう。子供の手を捻るのは容易い。ブルダリアス公爵を継いだことにより、貴族たちが集まろうとしたが、それらを一蹴させるためにも、いくつかの罠を仕掛けた。
従順になればいい。ならなければ、排除する。王室に縁のある者たちに手助けを呼びかけ、ブルダリアス公爵家の内部を崩すこと。初めはうまくいったが、安堵したのも束の間、ブルダリアス公爵は、引きこもるふりをして隣国に助けを求めた。
他国からの援助の邪魔をすれば、公爵家に手を伸ばしたことに気付かれてしまう。それはまだ、表沙汰になっては困る案件だ。
手を引いて、暗躍すればいいだろう。
そうして、公爵家に多くのスパイを放ち、少しずつ中を蝕んでいく。
ただ、それはうまくいかず、警戒心を強めるだけで、暗殺にまで届かなかった。
それでも数年の間、引きこもり続けて、公爵家のことなど忘れそうになっていたのに、今度は子爵令嬢を伴って現れるのだから。
「公爵が何をしているのか、掴めないの!?」
「申し訳ありません。ブルダリアス公爵が、オーグレン伯爵に会ったことはわかっているのですが」
「あいつらが考えることなんて、わかっている。どうせクリストフを廃太子にして、第二王子を表に出したいのでしょう」
第二夫人は大人しく、王宮の離れに宮を与えて住まわすことは簡単だった。第二王子ができても、エルヴィーラの地位が揺らぐことはない。
「第二夫人は体調不良を理由に引きこもってばかりです。他の者たちが第二王子を担ぎ上げるのは、難しいのではないでしょうか」
「それならいいのだけれどね。あの女は、不気味なのよ」
いつも黙っていて、会話も弾まない。長い黒髪がまるで幽霊のようで、王もなぜあの女を第二夫人になど選んだのか、理解ができなかった。父親も物静かで、口を出すことのできない大人しい男。
ヒューイット侯爵。学者気質で、侯爵の趣味は魔法に関しての研究。それは騎士たちなどが使う攻撃的な魔法ではなく、自然を豊かにするとか、水を綺麗にするとか、よくわからないものばかり。使えない男として有名だった。
それなのに、王は第二夫人を手に入れたのだ。エルヴィーラの反対を押し切って。
ヒューイット侯爵を入れ、エーメリ侯爵家の権力を二分したかった訳ではあるまい。
結局、夫人と第二王子は引きこもり、第二王子などは顔すら覚えていないほどだ。
生きているのかと問えば。病で寝込んでばかりだと。
スパイを放ってもわからない。あの離宮に閉じこもってから、人を減らしたため、中に入り込むことが困難になったからだ。
人を少なくされるのが一番面倒だった。
だが、王が倒れて少しずつ蝕んできた薬は、病として現れている。
やっとだ。やっとだったのに。
「どうして、こんなことに」
「母上。暴れていると聞きましたが?」
「ああ、クリストフ!」
閉じ込もっているのは、エルヴィーラも同じ。
侍女や騎士たちは出入りできるが、エルヴィーラは息子のクリストフによって、部屋から出ることが叶わなかった。
ある程度の移動は可能になったが、最初は閉じ込められたまま、一生部屋から出られないと思った。
「あなたも聞いたのでしょう。公爵は子爵令嬢と手を組んで、今度はオーグレン伯爵まで訪れたと。初めからそのつもりだったのではないの? あの娘に騙されたのよ。初めからあなたを裏切る気だったのでしょう。死ぬふりまでして!」
生きていたのだから、閉じ込められる理由はない。ボワロー子爵令嬢の更迭はクリストフも賛成したことだ。
しかし、クリストフはギロリとエルヴィーラを睨みつける。その鋭い視線に、ぎくりと肩が揺れた。
どうして、こんな風に母親を見るようになったのか。ボワロー子爵令嬢は生きていたのに。
「たしかに、あの騎士は、ラシェルが濁流に呑まれて、川に落ちたと証言していましたね」
実際、騎士は吊り橋で馬車からボワロー子爵令嬢を下ろそうとしただけで、突き落としたわけではない。殺していないのだから、どう痛めつけられても事実しか言えない。
クリストフに痛めつけられた騎士は、最後までボワロー子爵令嬢は川に落ちたとしか言わなかった。当たり前だ。それは事実なのだから。
「騎士たちも、全員、川に落ちたと言っていたでしょう?」
「だが、嫌がらせはしていたのだから、同じではないですか?」
軽蔑するような眼差しを向けながら、クリストフは鼻で笑う。
嫌がらせをしていた者たち。それらは言い訳をする間もなく剣を向けられたという。
恐怖に慄いて、許しを請うた者もいた中、クリストフはそれらを宮ごと燃やした。
ぞくりと寒気がする。クリストフがエルヴィーラを殺さないのは、それなりに理性が残っているからだ。ここで王妃まで殺したとあれば、メイドや婚約者候補たちを殺しただけでは済まなくなる。多くの貴族が、クリストフが狂ったと証言するだろう。
(そうよ。まだ、挽回する余地はあるはずだわ。今は混乱しているだけに過ぎないでしょう?)
「クリストフ。ボワロー子爵令嬢が川に落ちて、どうやって生き残ったと思うの。公爵と繋がっていたからに違いないでしょう。あなたと出会ったことも、公爵の考えだったのかもしれませんよ? 王族に仇をなす気で、ボワロー子爵令嬢をそそのかしたのかもしれません」
「公爵は、なぜ王宮に来なくなったのですか? 父上が病で塞ぎ込んだからと仰っていましたが」
「知りもしないことよ。両親が亡くなり、失意の中にいたのでしょう。どれだけ助けの声を届けても、受けようとしなかったのだから」
「どんな助けを出そうとしたのか知りませんが」
クリストフは意味ありげにいって、踵を返す。このまま部屋を出て行かれては困る。他の貴族たちとも繋ぎを取らなければならない。
「クリストフ! わたくしの命令でボワロー子爵令嬢が川に落ちたのではないと、信じてちょうだい」
「無駄な言い訳を。まあ、そうですね。公爵は邪魔だ。母上、僕の婚約者を奪った罪は大きい。僕に考えがあります」
クリストフは、見たことのない、寒気のする顔で微笑んだ。




