3 公爵領
アーロンは、冷たい空気を感じながら、公爵に謁見していた。
王宮騎士の赤いマントを羽織ったまま公爵に会えば、冷たい視線を向けられるとは思っていたが、想像以上に厳しい。
重苦しい気分になるが、クリストフ王子からの命令で仕方なくここまでやってきた。
ブルダリアス公爵領。フリューデン王国の王の弟に公爵の身分が与えられたが、七年ほど前に事故で死亡し、息子のヴァレリアンが若くして公爵を継いだ。
両親を失ったヴァレリアンは、その財産や地位を求める王宮の貴族たちの垂涎の的となり、身を守るために公爵領に引きこもった。いや、引きこもらざるを得なかったのだろう。
王妃が手を貸そうとしたが、ヴァレリアンの妹に群がる貴族を嫌がり、王妃の協力を拒否するほどで、多くの貴族たちが若き公爵を白い目で見ることになった。
そのせいで、公爵家は王宮と疎遠になる。公爵が王宮に訪れることはなくなり、今では陰鬱な男だと噂されていた。その公爵も王宮の人間にはうんざりしているのだろう。
その時の忌避感が自分に向かっているような気がして、アーロンは公爵の前で冷や汗を流しそうになる。
(まったく、自分で追い出したのだから、自分で探しに来ればいいものを)
フリューデン王国の第一王子であるクリストフ王子は、祭りの日の夜、街に訪れて一人の女性と出会った。
ごろつきに絡まれていたところを助けられたのがきっかけだが、まさかその女性を婚約者にすると言い始めるとは、誰も想像していなかった。
後でその女性が子爵令嬢だと聞いて安堵したが、令嬢の王宮での扱いは微妙なものだった。
王妃であるエルヴィーラは、クリストフ王子の相手にイヴォンネ・オーグレン伯爵令嬢を推していた。本人もその気で、婚約者候補として何度も王宮に訪れていた。クリストフ王子に会うことも多々あり、話はすんなり進むかと思っていたが、そこで現れたのが、夜街を一人で歩く女性、ラシェル・ボワロー子爵令嬢だ。
ラシェルは子爵令嬢とは名ばかりの貧乏貴族で、デビュタント後、ほとんど社交界に出ることがなく、街で働いていた。その上、街では一目置かれた、警備の男たちを雇いながら貿易商を行う店で、屈強な男たちに混じって仕事をしていたのだ。平民と言っても過言ではないし、子爵令嬢にあるまじき環境の中にいたのである。
しかし、そのおかげでごろつきたちからクリストフ王子を守り、婚約者となったのだから、ボワロー子爵は大喜びだっただろう。
だが、そんな平民同然の貧乏貴族を、王子の婚約者にされてはたまらない。王妃は画策し、ボワロー子爵令嬢を追い出そうとしていた。
残念ながら、クリストフ王子はそれに気付いていなかった。自分が選んだ婚約者を否定されるはずがないと思い込んでいたからだ。理解はされているが、ボワロー子爵令嬢の教育に難色を示されている程度にしか考えていなかった。
顔はいいが、どこか抜けているクリストフ王子は、王妃が婚約を喜ぶと本気で信じていたのだろう。王妃の言うことを鵜呑みにし、受け入れられていると思い込み、王妃の話を聞いていた。
ボワロー子爵令嬢は何度も嫌がらせを受けていると報告してきたのに、そんなはずはないと否定しながら。
そうして、ボワロー子爵令嬢は、宝石を盗み、王妃に飛びかかったという理由で、離宮に送られることになった。王妃の思う通り、クリストフ王子からボワロー子爵令嬢を離すことが決まったのだ。
しかし、その後、報告が入る。
(まさか、離宮への移動途中、馬車ごと川に転落したとは)
「公爵にご挨拶申し上げます」
アーロンは目の前にいる公爵に頭を下げながら、その顔をちらりと見遣る。
客間ではなく執務室に通されて、アーロンは心臓が痛くなる気がした。書類の束を前にして、ヴァレリアン・ブルダリアス公爵は、仕事の邪魔をしにきたアーロンを不機嫌に一瞥する。
黒の前髪を掻き上げて見えた黒の瞳には、獲物を捕らえる鋭さがある。精悍な顔をし、凛々しさがあった。クリストフ王子のいとこだけあって、かなり美形だが、雰囲気が違う。
どこが陰鬱な男なのだろうか。噂とは本当に当てにならない。
「王宮からわざわざ、この城に何の用だ」
冷えた声音に、アーロンはごくりと唾を飲み込んだ。
クリストフ王子より一つ年上だが、迫力がまるで違った。若くして公爵を継いだだけあって、苦労があったことがたやすく想像できる。
「ひと月ほど前、こちらの領土付近で起きました、橋の上での馬車の落下事故について、調査をさせていただきたく、王宮から参りました」
「王子の婚約者候補なる女が盗みを犯し、拘束されて離宮へ移動中、事故にあった。そんな話だったな」
ヴァレリアン公爵は、アーロンを見もせずに書類をめくる。
本当に盗みがあったか、正確には分からないが、王妃たちはそれをクリストフに伝えた。王妃の訴えだったため、事実を確認することはなく、ボワロー子爵令嬢の移動は決まった。
その噂は瞬く間に広がり、今ではなぜか街の者たちまで知っている。
(こんな遠くに住む、公爵まで知っているとは)
事故があったため、公爵領まで噂が回ったようだ。
「一時的に離宮に滞在する予定だったのですが、吊り橋から馬車ごと川へ落ちたのです。行方不明の騎士もおり、王太子殿下はひどく心を痛められて」
「更迭ではなかったのか? 丁度良かったではないか」
「とんでもありません。王太子殿下は心配で夜も眠れず、私をこちらに送りました。子爵令嬢とは仲睦まじく、このようなことになって、お心を痛めているのです」
「王妃は反対しただろう」
「それは、」
「川の調査は好きにするがいい。ただし、おかしな様子があれば、生きて帰れないと思え」
「……承知いたしました」
アーロンは深々と頭を下げて、執務室を出た。
許可は出たが、川以外を探せばすぐに追い出されるだろう。やはり、公爵夫妻の事件が尾を引いているか、王宮に良い印象はないようだ。
部下に伝えて、街で目立つ真似はしないように、注意しておかなければならない。
まずは馬車が流れ着いた村に行き、詳細を確認する必要がある。流されて一ヶ月も経っているのだから、死体が見付かっても状態は最悪だろうが。
「せめて、持ち物でも見付かれば良いのだが」
アーロンはため息混じりで、衛兵たちに睨まれながら、来た道を戻っていった。