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20−3 囮

 飛び込んだのは、小さな水たまり。トビアの力によって弾力を持った水たまりは、飛び降りた重みを吸収して、ラシェルを包んだ。


「ラシェル!? 馬車を止めろ! ラシェルが落ちた!!」


 飛び降りたラシェルに驚いたアーロンが、乗っていた自分の馬の手綱を引いた。アーロンの他にも数人、馬に乗っている男たちがいる。

 馬車は急停車して、馬がいなないた。アーロンたちがクリストフを気にする間に、クリストフが馬車から飛び降りる。


 道は森に挟まれた場所で、ラシェルは森の中に走ろうとした。

 クリストフの足が速い。いつものんびりしているくせに、剣ができれば動きも早いのか、クリストフはすぐにラシェルの側まで走ってくる。


「クリストフ様!」

 アーロンの叫びと同時、空に何かが映り込んだ。

『ラシェル、魔法陣だ!』

 クリストフが手を伸ばしてきた瞬間、クリストフが一瞬にして、剣を手に取った。

 ガキン、と金属が弾ける音が響き渡る。振り抜いた煌めきに、クリストフが後方へ飛び退く。


「公爵様!?」

「ラシェル、下がっていろ!」


 空に浮かぶ魔法陣から、ヴァレリアンが降りてきた。剣を片手に、クリストフへ振り抜き、クリストフがその剣を受けて逸らす。アーロンたちが走り寄れば、ヴァレリアンが剣を振り抜きざま、片手で雷を落とした。

 何が起きているのか、なんとか避けたアーロンたちも、ヴァレリアンが突然現れて、呆然としている。

 クリストフだけが、ヴァレリアンを睨みつけていた。


「人の婚約者に手を出すとは、いい神経をしているな」

 クリストフを鋭く睨みつけたまま、ヴァレリアンはラシェルを引き寄せた。


「それはこちらの台詞だ! ラシェルを離せ!」

「ラシェル・ボワロー子爵令嬢の葬式は、つつがなく終えたのだろう? 墓に、花を手向けたのではないのか? 遺体を見たのだろう?」

「見られる姿じゃなかった。別人だったんだ!」

「なぜ別人が? 子爵令嬢だとわかる証拠があったのだろう? そうでなければ、本人だと断定しないはずだ」


 ヴァレリアンの問いに、クリストフがアーロンを横目にする。アーロンに聞かなければわからないのか。

 ヴァレリアンも思っただろう。鼻で笑うように、浅い笑い声を出した。


「まさか、知らない女の死体を持って帰ったわけではあるまい?」

「そちらが仕組んだのだろう!!」

「は、はは。そんなことを考えていたのか? それは、呆れられて当然だな。本当に気付いていなかったのか。おめでたい男だ」


 クリストフは先ほどと同じように、困惑顔をした。アーロンは視線を泳がせて、ラシェルと視線が合うと、居心地悪そうに地面に視線を逸らす。

 さすがにアーロンも気づいたか。

 死体はラシェルだと思っていたのだろうが、それが別人だとは気づいていなかった。だが、ラシェルが生きているのを前にして、誰があの死体を捨てたのか、想像したはずだ。最初にラシェルの死体を見つけた者は誰だったのか、思い出しただろう。


「私の遺体はどこにあったと言うの、アーロン。見つけたのは、あなたの部下? それとも、王妃の手の者?」

「そ、それは……」

「アーロン、なんの話だ……?」

「愛しの母上に聞いてみたらどうだ。ラシェルを陥れたのは、一体誰なのか。あの死体は、どこから手に入れたのか」


 ヴァレリアンがラシェルの腰の手に力を入れた。足元に魔法陣が浮かび上がる。

 転移の魔法陣だ。


「ラシェル! その男について行くのかい!? 僕を、愛していたのではなかったのか!?」

「あなたは何も信じてくれなかったでしょう。私を信じてくれない人と、信頼関係は築けないわ。私を守ろうともしなかったあなたを、どうやって愛せと言うの!!」


 クリストフに叫んだ瞬間、転移の魔法陣は光を放って、泣きそうな顔のクリストフが霞んだ。

 そして気づけば、そこは、静まり返った森の中だった。


 公爵家に転移したわけではないのか。それも当然だ。転移の魔法は高度で、相当な魔力が必要だ。それを、一日に二度行うなど、普通の人間では到底行えるようなものではない。


「公爵様一人で来てくれるとは思わなか……、公爵様!?」

 いつまでも腰に手を回していたヴァレリアンが、ふらりと傾ぐと、力無くラシェルの方に倒れ込んだ。


 真っ青な顔をして、ひどい汗をかいている。荒い息をしているが、瞼を下ろしたままで、目を開けない。体に触れれば、それこそ死体のように冷たく、体温を感じない。


「公爵様? 公爵様!」

『当然だよ。二回も転移したんだから! 普通の人間なら、魔力を失って死んじゃうよ!』

「ど、どうすれば。ここはどこなの!?」

『人の気配はないよ。さっきの森の近くに転移しただけかも。公爵家から飛んできたとしたら、同じ距離なんて飛べないはず。精霊がいればまだしも、こいつ自分の魔力で転移してきてるもん!』


 では、ここにいれば、クリストフに見つかる可能性がある。

「トビア、安全な場所を探して! どこか、隠れられるところを!」


 トビアは急いで姿を消す。ラシェルはなんとかヴァレリアンを起き上がらせると、木を背にしてもたれさせた。すぐに崩れて倒れそうになるのを、抱えるように抱きしめる。ひんやりとした体温は、ラシェルの肌に移るほど低い。

 顔色は死人のように真っ白で、けれど、汗が止まらない。ハンカチで拭ってやるが、すぐに汗が滲んでくる。


(体はこんなに冷えているのに!)

 ヴァレリアンをただ抱きしめて、温めるしかできない。


「ラシェ、」

「公爵様!? 気が付きましたか!?」

「一瞬、眠ったかもしれないな」

「一瞬なんかではありませんよ! 無茶をされたから、気を失っていて」

「君が呼んだのだろう」

「よ、呼んだわけでは」

「だが、助けを求めた。これは、役に、立ったか……?」


 ヴァレリアンは言いながら、ラシェルの首元に手を伸ばした。

 首元にあるのは、ヴァレリアンからもらった、ネックレス。球体には水が入っている。

 それを、ラシェルはずっと握っていた。トビアの力を得て、ヴァレリアンに信号を送っていたのだ。


「人が飲もうとしたお茶が、いきなり飛び跳ねる。何事かと思うだろう。王妃に連れて行かれたのかと思っていたのに、水からの気配を追ってみれば、一緒にいるのは、クリストフなのだから」


 水に混じったラシェルの気配を感じて追ってきたなど、どれだけの力を持っているのか。ラシェルだってそんな真似できない。

 ヴァレリアンの近くの水に信号を送ったのは、ラシェルに何かがあったのだと知らせるだけのものだ。ラシェルの魔力を追えるなど、思ってもいない。トビアですら、二度の転移に驚いていた。


「騎士をやったのに、役に立たなかったようだな」

「クリストフに攻撃されました。無事かどうかは、わからなくて……」

「そんな、顔をするな」


 どんな顔をしているだろうか。ヴァレリアンはそっとラシェルの頬に手を寄せる。

 涙を流しているわけではない。けれど、ヴァレリアンは、目尻を拭った。


「泣いていないです」

「泣きそうな顔をしているから」


 そんなことを言われたら、泣きたくなってくる。

 まさか、ヴァレリアンが直接助けに来るなどと、思いもしなかった。

 しかも、こんなに危険な状態になってまで。


 話してはいるが、顔色は戻らない。青白さが死人のようだ。先ほどまで荒かった息が、少しずつ薄くなってきている気もする。


 ぽつ、手の甲に雫が落ちてきた。いつの間にか天気が悪くなっていたか、雨粒が落ちてくる。


「あめ……。公爵様、雨です! もう少しだけ、我慢してください!!」

 ラシェルは空を見上げながら、雨粒を見つめる。落ちてくる雨粒が、ラシェルとヴァレリアンの周囲に留まり始める。


(もっとよ。もっと降って!)


 雨足が強くなればいい。ヴァレリアンの体温がもっと低くなる前に、雨が降りつければいい。

 雨粒が集まり、ラシェルとヴァレリアンを囲むと、ラシェルはトビアを呼んだ。


『ラシェル! すぐ移動するよ!!』


 トビアが戻ってくる。周囲に固まっていた雨水が渦を巻くように、ラシェルとヴァレリアンの周りを回ると、まるで波に乗るかのように、水の渦に呑み込まれた。

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