19 婚約者
(まあね、クリストフでなければ、同じ瞳をした男爵令嬢で終わっていたでしょう)
隣国のパーティに出ても、ラシェルだと気付く人なんて、まずいない。なのに、瞳の色だけで、ラシェルが生きていると信じ込む。異常なのは、クリストフで違いない。
ヴァレリアンはラシェルを囮にする気はなかったのかもしれないが。
『囮になるよね』
「そうよね。囮になるのよ」
「そのつもりはなかったのだが」
「説得力が全くありません」
ヴァレリアンは、軽く笑ってくれる。
本棟に移動になった時点で、別の場所で働けばよかったのだが。後の祭りだ。
「うちの子は短気なので、流してしまうかもしれませんね」
「普段は外に出しているのか?」
「そうである時と、そうでない時が。水辺があれば、喜んで外に出ます」
「ふむ。噴水では汚いからな。街に行けば水路だらけだが、さすがに精霊は遊ばせられない」
「そのうち、海にでも連れて行きます」
「なるほど。では、その時は一緒しよう」
「いらないです」
きっぱり断ると、ヴァレリアンは嬉しそうに微笑む。
ラシェルが反発することを気にしていないというより、それを面白がっているふしがある。
「さあ、婚約者を紹介しよう」
「不機嫌な顔をしていてもよろしいですか?」
「婚約者どの。できれば少しは嬉しそうな顔をしてもらいたいものだ」
『そんな顔、できるわけないじゃんね』
(本当にね)
そっとヴァレリアンの腕に手を回し、前を見据える。
婚約者となったからには、多くのパーティに出て、宣伝するつもりだ。
(これのどこが守るためなのか、教えてほしいのだけれど!?)
フリューデン王国で催されるパーティではないだけマシか。
ブルダリアス公爵が、隣国カバラ王国のパーティに出席したことにより、ヴァレリアンの元にはカバラ王国の貴族から多くのパーティの招待状が届いた。
それに参加するために、なぜか、ミシェルがパートナーとして同行する羽目になったのだ。
ヴァレリアンと一緒に登場すれば、またお前が一緒か。という視線が届いてくる。
「お兄様。婚約発表だけれど、婚約式は行わないの?」
「行うつもりだが、彼女が恥ずかしがってな」
「まあ、ミシェル。恥ずかしがることなどないわ。パーティを開いて、婚約することを公言するだけよ」
「ラモーナ。彼女は身分を気にしているんだ」
「そんな。問題ないわよ。お兄様の破天荒なんて、今に始まった事ではないのだから。ただ、その、公爵家にはなにかとあるでしょう? 気になることがあれば、なんでも私に相談してちょうだい」
「ラモーナ様」
「優しい妹だな。ミシェル。ぜひ。ラモーナに相談するといい」
嘘くさい話し口に、ラシェルはヴァレリアンの足を踏みつけようとする。ひらりとかわされて、地団駄を踏みたくなる。
ラモーナは信じているのか、兄に婚約者ができたことを、いたく喜んでくれた。心配なのは王妃だと言わんばかりに、ラシェルの、ミシェル・ドヴォスの安全を気にしてくれるのだ。兄と違い、心優しい妹である。
隣国住まいとはいえ、ブルダリアス公爵領から、カバラ王国の都まで、そこまで遠くない。そのため、思ったよりも頻繁に二人は会っているのだろう。公爵領がフリューデン王国の都から遠すぎるわけだが、王妃の意向があったのかどうか。
「ラモーナ様には、本当のことをお伝えしておいたらいかがですか?」
「騙すのは、まずは身内からと言うだろう。それに、これは契約などではないからな」
契約でなければなんだという。
いや、契約ではなく、ただの強制で、脅しで、か弱き女性を囮にするという、あるまじき行為である。
ラモーナは本当に知らないのだろう。常日頃から兄の安全や幸福を祈っていたと、遠目に離れても、ほんのりと優しげな笑顔を向けてくる。
「騙しているなんて、気が引けて仕方がありません」
「気に入っているのは嘘ではないのだから、気にする必要はない」
「な、なんの冗談を」
ヴァレリアンが抱きしめるように腰に手を伸ばしてきた。顔が近付いて、黒曜石のような、美しくも鋭く輝く瞳に、魅入られそうになる。
「王族に関わりがあり、狙われながら、魔法も使えて、根性もある。気に入っているに決まっているだろう」
「倒したい」
「ここで押し倒すのは、やめてくれるか?」
なんでそうなる。今すぐに流して、テラスから落っことしてやりたい気持ちでいっぱいだ。トビアも喜んで流してくれる。
ヴァレリアンは笑いながら、次々と挨拶をしてくる者たちに、ミシェルを紹介した。彼女が自分の婚約者だと。
周囲は噂する。公爵は婚約者を紹介するために、社交界に復帰したのだと。
「つっかれたわあ」
『お疲れー。ねえ、見てよ。水槽がある!』
公爵家に帰り、部屋に戻れば、ラシェルの部屋に、巨大な水槽が設置されていた。
ガラス張りで、中には宝石のような石や貝などが入っており、青や紫色で染まっているような、美しい色合いになっている。魚が隠れられそうな石が積まれ、海藻などがそこから生えて揺れている。
魚はいないところを見ると、トビアのための水槽だ。
『入っていいかな!』
「いいと思うわ。入って見せてよ」
トビアが姿を現すと、喜んで水槽の中に入っていく。トビアが入ると、水槽の水が海のように波立って、砂浜に見立てた小さな石の集まりが、少しずつ濡れていった。
これはトビアへの贈り物で、その水槽の隣にある箱の数々は、ラシェルへの贈り物らしい。
なにが入っているやら。ドレスやらなにやらは興味がないのだが。
ベッドに寝そべっていたが、起き上がり、その箱を眺める。大きな箱から小さな箱まで様々で、ラシェルは一番小さな箱を手に取った。ご丁寧にラシェルの瞳と同じ、青紫色のリボンをしていた。
『なにが入ってるの?』
「球体の宝石だわ。中に水が入っているのかしら。トビアの水槽とお揃いね」
ネックレスになっているそれは、少し大きめのガラス玉で、中に砂と小さな宝石が入っていた。振ってみると砂や宝石が水の中できらきらと輝きながら浮かぶ。首にかけると少し重いが、豪華な宝石に比べれば、ラシェルのことを考えて贈ってくれたような気がした。
いや、トビアのためだろうか。
「かわいいわね」
『中に水が入ってるんだね。あの男にしては、いい贈り物するんじゃない?』
「そうね。それなりに気を遣った贈り物だわ」
パーティの時にトビアの好きな場所について話したのに、帰ってきて設置されているところを見ると、相当無理をさせたのではないだろうか。指示された人のことを思うと、同情で申し訳ない気持ちになるが、ヴァレリアンの気持ちは好ましい。
『この程度でほだされるわけないけどね!』
トビアは偉そうに言ってから、水槽の中にある岩の中へ隠れて、その住み心地を確認する。気に入ったのか、くるりと回って、頭を出して寝そべった。
ラシェルの首飾りを見上げて、口元を綻ばせる。ヴァレリアンの贈り物は、トビアも満足のようだ。
一応のお詫びなのだろう。
今日のパーティで、挨拶するたびに、婚約したことを公言した。カバラ国内でのパーティだったが、それでも引きこもりの公爵が男爵令嬢と婚約したと、囁かれるだろう。
「これで、私が公爵家にいることがわかったとして、あちらはどう出てくるかしらね」
『あのバカ王子は、ラシェルなのか見にくるんじゃないの?』
「その前に、王妃が止めるでしょう。王妃からすれば、公爵と男爵令嬢が婚約しても、関係ない。ミシェル・ドヴォスが私だとわかれば、王子をたぶらかした詐欺師とでも言えばいい。けれど、クリストフが王妃の制止を振り切って、公爵領まで来てしまったら?」
『バカ王子がこっちに来たら、王妃はきっと焦るだろうね。ラシェルが殺されかけたとか言えば、さすがに信じると思っちゃう? そうしたら、王妃の指示で、こっちに暗殺団、集まっちゃうのかあ』
「団体の侵入者が来れば、公爵は喜んで迎えるでしょうね」
『そこから王妃の尻尾を掴むってこと?』
「公爵はそれを狙っているのかもしれないわ。警備を増やして、捕えるように罠を仕掛けているなら、私は良い囮になるでしょうね」
『バカ王子がラシェルを探さなかったら、そうならなかっただろうなあ。やっぱり、全部あいつのせい!』
トビアが水槽から上がって、ガラス板を蹴り付ける。水が飛んで、飛沫が空中に浮いては弾けた。
トビアがいれば、どこでも逃げられる。ベッドの側に水槽を置いてくれたのはありがたい。トビアの能力は伝えていないが、ヴァレリアンはそれなりに想像しているのだろう。川から落ちて無傷だったことを考えれば、水辺があればどうにでもなると、わかっているはずだ。
『水があれば、どこにでも逃げられるよ』
「そうね。トビア。私たちは、どこでも行けるわ」
その行く先は、王宮ではない。
愛していると言うならば、ラシェルに平和を与えてくれないだろうか。
クリストフは、そんな願いすら、泡にして消す気なのかもしれない。




