15
事件から一か月ほど経ったある日、ディアナはガリーニ公爵邸に呼び出された。
呼び出したのは、新しく公爵になったエドアルド・ガリーニだった。本来ならそれ相応に身なりを整えて訪問するところだろうが、午前中学校に行っていたことを言い訳に制服で訪れた。
格式高い家の執事は少し威圧感があった。
しばらく待つと、家の中を通り抜け、中庭に案内された。
きれいに造形された庭には場所ごとに色のまとまった花が咲いていて、案内されたガゼボの周りには白と青の花が絡むように伸びていた。
そこには二人の男性がいた。一人は記憶があった。婚約していた頃、父と共に数回この屋敷に呼ばれ、言い訳じみた話を聞かされた。その時、この人が同席していた。
「久しぶり、と言って覚えているだろうか。エドアルド・ガリーニだ」
差し出された手を軽く握り、膝を曲げて挨拶をした。
「こちらは、フランチェスコ殿下」
「やあ、はじめましてでいいのかな?」
柔和な笑顔を向ける王子に、さっきより深く膝を折り、腰をかがめて礼をした。
「お初にお目にかかります。オルランディ子爵の長女、ディアナでございます。殿下にはご健勝のご様子…」
「今日は形式ばらなくていいよ。こっちが無理に呼び出したんだから。ま、座って」
まるでこの家の主人のように場を仕切る王子だが、それが普通なのか、エドアルドは特に動じた様子はなかった。
ディアナが席に着くと、香りだけで高級と分かるお茶が運ばれてきた。
カップは三つ。参加者は今いる三人だけのようだ。
「まずは、個人的にはなってしまうが謝罪させてほしい。君にはずいぶん迷惑をかけ、つらい目に遭わせてしまった。君の父上には王家から冤罪の補償をさせてもらうことが決まっている。父君はまだ領に?」
フランチェスコの問いに、ディアナはゆっくりと頷いた。
「はい。今は家族と共に領で暮らすのが一番の療養になると思います」
「叔父の魔法が侵食していて記憶を取り戻すのは難しいと聞いているが、君のことは、…思い出せないか」
「そのようです。…魔法って、すごいですね」
表情を変えずにそう答えたディアナに、フランチェスコは卓上に腕輪を置いた。
「これ、叔父から預かっていた腕輪なんだけどね」
あの腕輪だ。目的の達成に一番近い者を呼び寄せる魔法道具。本当なら、父が処刑される予定の日の真夜中に、アルノーの中から自分の記憶を消し去るはずだった腕輪。
「ちょっと面白い魔法が組み合わされていたから、自分の持っていた普通のしつけ用の腕輪とすり替えたんだ。どうやらこいつは腕に着けなくても持っているだけで効果があったようだよ。あの叔父が私に頼み事をすることなんてまずありえないし、私は君のもとに送るのはあいつだと、すぐにひらめいた。それがこの腕輪の力だとしたら、魔法とは実に侮れないものだ」
腕輪はすり替えられていた。だからアルノーは自分のことを忘れなかったのだ。
「君自身はどうだ?」
「私、ですか?」
ディアナは何を聞かれているのか、ピンと来なかった。
「叔父の言葉に変な意味で従順になっていただろう。叔父にかけられていた暗示は、寝ている間に城の魔術師が解除した」
術をかけられたことも、解除されたことも覚えていなかった。変な意味で従順、という意味もよくわからない。首をかしげていると、
「君は毒をあおったよな」
ドキッと、心臓が音を立てた。
「はい」
「死のうと思った」
「はい。…それが約束でしたので」
「叔父に命をささげよと言われたから?」
「そうです」
じっとディアナを見つめるフランチェスコの目が、心の奥を見通すようで少し怖かったが、突然プッと噴き出した。
「叔父はね、君をあの離宮に閉じ込めるつもりだったんだよ。命をささげろとは、叔父のものになれという意味だ。君が自分に従わず、父親を優先するのにフィオレッラ殿を思い出していらつき、最後は毒を渡したが、あっちの方が怒りのままの思い付きでね。捕らえた後も君の遺体を引き取りたいと言っていたよ」
「うわあぁ」
ゾゾッと鳥肌が立ち、思わず漏れた声に、フランチェスコだけでなくエドアルドも苦笑せずにはいられなかった。
「それを言葉通り命そのものをささげると受け取り、従順であろうとした君は死を選んだ。…私の密偵が酒と入れ替えなければ、今頃君はここにはいなかった」
この人に命を救われていようとは…。
ディアナは自分を守ってくれる存在があったことに驚き、
「ありがとう、ございます」
と礼を口にしたが、正直に言うと、素直に信じられなかった。自分のことを見ている人などもうどこにもいないと思っていたのに。
「君はよく頑張っていたからね。あいつが君に触発されてやる気を起こしてくれたのにも感謝してる。君を救えてよかったよ」
「私からも礼を言おう」
続いてエドアルドが一礼した。
「そして今更だが、詫びさせてもらいたい。当家は何かにつけ、君につらい思いをさせてしまった」
この詫びはかつての婚約のことを言っているのだろう。見せかけだけの婚約。それももうずいぶん前のことのように思えた。
「父は王弟殿下の命で君とアルノーの婚約を結んだんだ。アルノーとなら破談になると見越したうえでね。表向きはモレッロ伯爵の仲介ということになっていたが、まあ嘘ではないが真実でもない」
モレッロ伯爵。義母の実家だ。義母は父親に頼んでこの縁談を整えたと言っていた。
「君を王城の夜会に呼ぶように仕向けたのも王弟殿下だ。婚約者が現れないのを承知で…。ずいぶん肩身の狭い思いをしただろう」
その説明で納得がいった。やはりあれは意図的に仕組まれていたのだ。
ディアナが初めて見た時から嫌な印象しか持たなかった王弟ルカ。悪魔だと思った相手は、自分にとってはやはり悪魔以外の何物でもなかった。自分に恥をかかせるように仕向け、追いつめ、同情を寄せる。「可哀想」、それは何の慰めにもならなかった。
「モレッロ伯爵は、どうして私とアルノーとの縁組で納得したんでしょう。孫に子爵家を継がせるために私を追いやりたいなら、破談になることが目に見えている相手を選ぶようなことはしないと思うのですが」
「娘がうるさいから、適当にあてがっただけだろう?」
いとも平然と、フランチェスコが言い放った。
「伯爵は娘と縁を切りたがっているからね。親友の婚約者に手を出すような女だよ。それも侯爵家の令嬢の相手を。高額の賠償金を払わされ、相手には逃げられ、一時期は社交界から干されて、もう貰い手はないと言われていた。そんな娘を何も知らないオルランディ子爵が見初めたんだ。伯爵にとっては救世主だったろうな。ここだけの話、伯爵が叔父からもらった惚れ薬を使ったなんて噂もあってね。…おっと、実の娘に聞かせるような話じゃないな」
自分のことはともかく、父との愛は本物だと思いたかったディアナにとって、それはちょっと衝撃的な話ではあった。しかし、始まりは惚れ薬でも、二人は今は仲良く過ごしているのだから、それはそれでいいのだろう。
自分の親のことでありながら、遠い他人事のように思えた。
「そろそろ風も出てきたね」
それは、この小さなお茶会の終了を意味していた。
アルノーの言うとおり、フランチェスコ王子は信用のできる人だとディアナは思った。そしてその言葉を信じてよかった。
「父と、私の命を救っていただき、ありがとうございました。これからはいただいた命だと思って、軽んじることがないように生きていきます」
ディアナの言葉に、フランチェスコもエドアルドも安心したような表情を見せた。
今、ディアナは王都の子爵邸で家族から離れて暮らしている。父を救いながらも父との暮らしは諦めていた。
「もうすぐ卒業だったね。この後は王都で?」
「あと二か月で卒業ですので、父が王都に戻る前に家を出ようと思っています」
「そうか」
フランチェスコは小さく溜息をついた。
「君は貧乏くじばかり引くな。…それじゃあ卒業後は」
「先生からいくつか仕事先をご紹介いただいていて、近々面接を受ける予定です」
「え? それって、あいつに頼んでただろ?」
ずいぶん驚いた顔をしている。アルノーに就職先をお願いしたことまでフランチェスコが知っているとは思わなかった。アルノーが話したのか、それともあの部屋にも誰か潜んでいたのだろうか。
「あいつ、何もしてない? まさか、あれから一度も会って…」
「会ってません。まあ、会いにくいですよね。子供に手下扱いされてた訳ですし、破談になった元婚約者ですし…」
諦め顔で口元に笑みを浮かべるディアナに、フランチェスコもエドアルドも呆然と目を見開いていた。
「あのバカ…。今、何してんだ?」
「うちの領の仕事をさせてはいますが…。来られない距離じゃないだろうに」
二人から空気がゆらめきそうなほどのふつふつとした怒りを感じ、ディアナはまずいと思った。
「あの、気にしないでください。私が図々しかったんです。アルノー、様には充分お世話になりましたから。十歳も年下の人間に辛抱強く付き合ってもらって、父も助けてもらえて、本当に感謝してます。もう会うこともないでしょうが、お礼を言っていたとお伝えいただけますか?」
深く礼をすると、精一杯笑顔を作り、ディアナは席を立った。
家に戻り、父の代理でできる仕事を片付けた後、自分宛の手紙が届いているのに気が付いた。
送り主の名は、…アルノー・ガリーニ。
封を開けると、手紙は便箋十枚にわたり、何日かかけて書いたように見えた。
約束していた仕事について六件ほど候補が書いてあり、どれも公爵領内か、その近隣での仕事だった。それぞれに住む場所の候補も書かれていて、地図まで同封されている。書きっぷりからして、どれも自分で実際に行って確認をしてあるようだ。
遅くなってすまないという詫びに、ディアナは自分こそすまないと思った。まさか今日届くとは、何てタイミングが悪いのだろう。うっかりフランチェスコとエドアルドに愚痴めいたことを言ってしまった後だ。
ディアナは慌ててアルノーから連絡が来ていたことを手紙にしたため、明日の朝一番に公爵家に届けてもらうよう執事に頼んだ。
学校の先生にもお断りを入れなければいけないかもしれない。まずはアルノーの紹介してくれた仕事先をじっくり読んでみよう。
ディアナは手紙を読みながら、口元が緩んでくるのを抑えることができなかった。




