14
久々にぐっすりと眠ったディアナは、天蓋のあるベッドをじっと見て、天国って意外と普通なんだと思った。
着ているネグリジェは白くて柔らかく、少し大きめだった。体は汚れもなく、何か香りをつけてあるかのようにほのかにいい匂いがする。触れた髪はサラサラだったが、短剣で切った時のまま不揃いだった。天国も、そこまでは補ってくれないようだ。
ギュルルルル、とおなかが鳴った。死んだ後も人はおなかが空くものらしい。
しばらくベッドの上で呆けていると、侍女が来て朝食をベッドサイドまで運んでくれた。
家では食堂で食べるのが普通で、天国はサービスがいいと思いかけたものの、そろそろここは天国ではないのでは? と思い始めていた。
いい匂いに誘われて、ゆっくりと味わう。久々の穏やかな時間だった。
食事を終え、着替えようと思っていたが、自分の着ていたあの男物の服はなかった。
「あの服は、汚れて穴も開いていましたので、処分しました。ご希望でしたら、後ほど男性用の服を用意しますが、今はこれで…」
用意してくれていたのはワンピースだった。スカートだってつい1週間ほど前までは普通に毎日着ていたので特に抵抗なく着替えたが、思いのほか足元がスースーするように感じた。髪はきれいに切りそろえてもらったが、短すぎて結うことはできなかった。
死ななかったのだ。あの時、グラスに用意されていたのは毒ではなかったのか。
あの悪魔はかつて手に入れられなかった母に執着し、父と母の子供である自分を許すことはないと思っていた。自分が滅べば母の父に対する愛の証はなくなる。だから自分の死を望んだのだと。それなのに何故…。
ノックの音がした。返事をすると、入ってきたのはアルノーだった。
普通の女性の格好をしているディアナを見て足を止め、目を大きく見開いていた。女装しているとでも思っているのだろうか。ディアナは少し恥ずかしくなったが、それと同時にアルノーが自分のことを覚えてるのに気が付いた。あの腕輪で協力を仰いだ者は、期限を過ぎるとすべてを忘れると、あの悪魔はそう言っていたのに、アルノーはディアンとは違うディアナに戸惑いを見せている。あの魔法道具は偽物だったのだろうか。
しばらくお互い立ったままもじもじしていたが、先にアルノーが切り出した。
「…悪かった」
突然のアルノーの謝罪に、ディアナは間に合わなかったのだと思った。
「父は、もう…」
表情を凍らせたディアナを見て、アルノーは慌てて足りない言葉が生んだ誤解を解いた。
「い、いや、オルランディ子爵は大丈夫だ。刑の執行は中止になり、近日無罪が確定するだろう」
中止…、無罪。
その言葉にディアナは全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
間に合った。父は助かったのだ。
「よ、…よかった」
ぼろぼろと涙をこぼすディアナにアルノーはまたしても慌てたが、ディアナは笑っていた。泣きながらもディアナが
「ありがとう。本当にありがとう」
と言ってしがみついてきたのを受け止め、初めは支えていただけだったが、やがて背中をそっと撫でながら腕を体に沿わせ、力を込めた。
ディアナが落ち着くのを待ち、アルノーはディアナを持ち上げるように立ち上がらせるとソファに座らせ、自分はその隣に座った。
「よく頑張ったな」
アルノーが褒める言葉にも、ディアナはゆっくりと顔を横に振った。
「アルノーが証拠を持って来てくれたから。…フランチェスコ殿下を信じられる方だと教えてくれたから。私一人じゃ父を助けられなかった。…ありがとう」
「すまなかった。…おまえが女だと気付けなくて」
「ううん、わざと男の格好をしていたんだし、誰も私だと気が付かないようにしてたから」
「おまえが女だとわかっていたら、あの王弟のところになんて行かせなかった」
アルノーがそう言った途端、ディアナはさっきまでの笑みを消し、アルノーに向けた視線は凍り付いていた。
「女だから…駄目なの?」
「そりゃ、あんな奴の所に…」
ディアナの変化にアルノーは思わず言葉を止めた。今のディアナはディアンの顔をしていた。
「女だから行ってはいけない? 私は男のふりをしなければ何もできない? 女だったら父を助けられなかった? 女だから役に立たないの?」
「そうじゃない、ディアン」
「私は女だから領主になるのをあきらめて弟に譲った。言われるままドレスだって着た。婚約だってした。でも何にもならなかった。あなただってディアンが女だってわかったら、きっとまた逃げて力を貸してくれなかった。…どうして私が、女だというだけで、どうして…」
「逃げる…? いや、違う。俺が言いたいのは、おまえを危ない目に合わせたく」
「父が死ぬかもしれない時に、泣いて屋敷に閉じこもっているのが女なの? そんなの」
「違う!」
アルノーの大きな声にディアナはびくりと身を震わせた。そして冷静さを欠いていた自分に気が付いた。アルノーに言っても仕方のないことで責めている。自分の愚痴をただぶつけているだけだ。
口を閉ざしたディアナに、アルノーは静かに問いかけた。
「おまえこそ、男は自分が死ぬことになっても信念のために動くものだと思ってないか」
その言葉は、ディアナの思いを的確に言い表していた。ディアンを名乗るようになってからずっとそう思って動いていた。
「真実を探り出すために懸命に走るおまえを、俺はうらやましいと思った。俺がずっと昔に捨ててしまったものだ。だからおまえに手を貸そうと思った。おまえを守りたいと思った。例え腕輪がなくても俺はおまえに手を貸しただろう。それは、おまえが男でも女でも同じだ」
ディアンでも、ディアナでも同じ。それを言葉通りに受け取っていいのか、ディアナは戸惑った。
「だが、おまえは違った。おまえは信念のために生きていたんじゃない。信念のために死ぬことしか考えてない。それがディアンが男だからそうしてもいいと思っているなら、それは間違えている。ましてや、自分から死を望むなど…」
アルノーは、自分が死を選んだことを知っている。毒が入ったグラスを手に取り、自ら飲み干したことを。毒ではなかったから死ななかっただけで、自ら命を絶とうとしていたことをアルノーは知っているのだ。
「おまえは自分を軽く扱いすぎだ。…どうせ自分がいなくなったところで大したことはない。むしろいなくなったほうが世の中はうまく回るくらいに思ってたんだろう」
またしても言い当てられてしまった。まっすぐに自分を見る目が少し怖かった。死を選んだことを責められる、そう思っていた。しかしふとその表情が緩んだ。それはディアナを笑っているのではなかった。
「俺もそう思っていた。ずっと、長い間」
ずっと逃げ続けていた自分を自嘲しているのだ。
この人は、自分と似てるのかもしれない。心が。感じ方が。
ディアナは自分の中で湧き上がっていた反発心がゆっくりと静まっていくのを感じた。
「女のおまえを認めてない訳じゃない。男ってのは、女相手になると格好つけたくなって、危険な目に合わせたくないと思ってしまうもんなんだ。危ないところには近寄ってほしくない。怪しい男の所に行かせるなんてもっての外だ。男に許せる無茶と、女に許せる無茶は同じにはならない。それは女だから許せないというより…、男のエゴだ」
ディアナはアルノーの言葉に小さく何度も頷いた。あの王弟の所に行くのを止めようと思うのは、ディアナもまた同じだ。もしアルノーが自分に代わって王弟の所に行くと言ったなら、きっと止めただろう。
「これから、どうしたい? 俺にできることがあれば力になりたい」
ディアンでもディアナでも守りたい。その言葉の通り、アルノーはあの腕輪がなくなった今もディアナに手を差し伸べてくれる。しかし、それはいつまでもではない。ほんの少し、終わりが伸びただけだ。
「あなたはどうする?」
「…家に戻る。あの証拠を手に入れるのは、父を追いやる手伝いをし、家に戻るのが条件だった」
「私の父を、救うため?」
少し浮かべた笑みは、それが正解だと告げていた。
「そろそろ戻らなければいけない頃だったんだ。まあ、俺のことはいい。おまえは戻れる場所はあるのか?」
その言葉は、オルランディ子爵家の事情をいくらかは知っているということだろうか。
せっかくの申し出だ。最後くらいお願いしてみてもいいかもしれない。ディアナは少し考えて、
「頼ってもいいなら、卒業したら何か仕事を斡旋してくれる? できれば王都から離れた場所で、…公爵領とか」
「領でいいなら任せろ。何ならうちに住むか?」
その「うち」は公爵領にある領主の館のことだろうか。軽くそんなことを言うアルノーにディアナは心配になった。こっちは事件に巻き込まれた子爵家の人間、そっちは公にはなっていないが巻き込んだ公爵家の人間だ。関わりを持たないほうがいいだろうに、まるで友達を呼ぶかのように気軽に言う。この人は公爵家に戻ってやっていけるのだろうか。
断るのにあえて、
「私を振った元婚約者の家に住みたいとは思いません」
ととっておきの理由を告げると、アルノーは瞬時に固まった。
「え…?」
そのままフリースしているアルノーに笑顔を向けると、
「お…、…こ……? ……だああああっ??」
という謎の悲鳴を上げた。それだけで、アルノーは元婚約者の名前すら知らなかったことがわかり、ディアナはこういう人なんだと苦笑するしかなかった。




