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 腕輪は無実の証明に最も近い、主犯と思われるガリーニ公爵の子息アルノーを導いた。そして今、手の中には証拠がある。

 証拠となる帳簿と手紙を手に、ディアナは王弟の元へと向かった。

 着替えもせず、汚れた男の恰好のまま離宮に向かうと、最初は門前払いをされたが、

「ディアナ・オルランディが来たとお伝えください」

と告げ、かつて王弟からもらった手紙を見せると、門番はそれを手にして離宮の中に入った。やがて門が開かれ、中へと招かれた。


 薄汚れたディアナをみて王弟は少し顔をしかめたが、その手に持つものには興味があるらしく、椅子の肘掛に片肘をついたまま

「証拠は見つかったのか」

と聞いてきた。

「はい。主犯となる者の持っていた帳簿と、武器を購入した国とのやり取りの手紙が」

 側近に手にしていた封筒を渡すと、王弟の元に届けられた。王弟は封筒を手にとり少しだけ口を広げて中を覘いただけで、

「主犯はガリーニ公爵だろう」

と言った。

「ご存知だったのですか」

「証拠などつかませぬ男だと思っていたが」

 そう言うと、つならなさそうに封筒を足元に放り投げた。突然のことにディアナは王弟の意図がわからなかった。

「…父は、無罪と、…認めていただけ…」

「武器に関しては無罪だよ、君の父はね」

 王弟は微笑みながら立ち上がると、笑顔のまま証拠の入った封筒を踏みつけた。

「武器密輸なんて大それたことができる男じゃない。だが、私のフィオレッラを奪った罪は永遠に消えはしない。あの男には、死んでもらうしかないんだ」

 楽し気に父の死を語る男、やはりこの男は悪魔だった。

「おまえのやったことは全て無駄だったのだよ、可哀想だがね。美しかった母親にも似ず、新しい母には邪魔にされ、領地は弟に取られ、婚約者には見向きもされず、死にゆく父を助けることもできない。よもや証拠をつかむことができるとは思わなかったが、せっかくの手柄も、ほら、何の意味もない」

 踏みにじられる封筒。どんなに努力しても実らない現実。

 いつもそうだ。この男に会う時はいつもこうして現実を、無力な自分を突き付けられる。

 ディアナは奥歯をかみしめ、ゆっくりと息をついた。吐き出す息は少し震えていた。

「可哀想なおまえを憐れんでやれるのは、私だけ…。おまえがどんなにあの男のために動こうと、あの男はおまえのことなど関心はない」

 そう言いながら、王弟はククッと声を漏らし、口元を歪めた。

「あの男はな、あんな女をフィオレッラの後釜に据え、自分は幸せ者だと、この私の目の前で平気でそんなことを言ったのだ。ならば過去はいらぬな、と軽くかけた術にフィオレッラのことも、おまえのことも、崩れる砂のように徐々に心から抜けていった。術に何の抵抗もしなかった。今となってはお前のことなどほとんど記憶にないだろう。哀れなものだ」

 この悪魔は、最初から父を助ける気などなかったのだ。ただ、ディアナが必死に父を助けようとする姿を眺め、無駄なあがきを見て楽しんでいたのだ。そして今、助けようとしたことさえ無駄だったと、ディアナを絶望させようとしている。

 しかし、王弟の言葉が与えたのはディアナにとって絶望ではなく、むしろ喜びだった。

 ディアナは王弟のもとに走り寄り、証拠の入った封筒を取り返そうとしたが、いち早く側近に捕えられ、封筒を踏んでいた王弟の足がディアナを蹴り飛ばした。

「そんなに父親を助けたいか。おまえのことを気にも留めない、あんな下らん男のどこがいい」

 蹴られた勢いで転がり、顔を強く床に打ち付けた。打ち付けた頬が熱く痛み、口の中に血の味が広がった。

「ああ、わかった。おまえの中にはあの男の血しか流れていないのだな。フィオレッラの血を受け継いでいたなら、そんな薄汚い姿で人前をうろついて平気な訳がない。おまえがフィオレッラの代わりになどなる訳がないのだ。汚らわしい。…連れて行け。これも燃やして処分しろ」

 王弟は封筒を蹴り飛ばし、側近が拾い上げた。涙一つ流さず、うつろな目をしたディアナを側近が腕を引いて立ち上がらせた。そのまま罪人のように両腕を捕らえて運び出そうとする手を軽く払い、

「自分で歩けます」

と言うと、抵抗もせず、王弟を振り返ることもなく部屋を出ていった。


 薄暗い地下室に入れられ、扉が閉まり、施錠される音が響いた。

 父もこんな場所にいるのだろうか。明日には父の刑が執行されるのだろうか。

 王弟が確認すらしなかった封筒の中身。昨夜徹夜で書き写した証拠のレプリカは無駄に終わった。あれなら中身が真っ白でもわからなかったに違いない。無駄な努力だったが判断は正しかった。本物はアルノーに託し、今頃フランチェスコ王子を通じて王の元に届いているだろう。王がどう動くかはわからない。父が助かるかどうかも。公爵家を救うことを優先し、今の筋書きのまま終わらせることも考えられる。でも、自分にできることはやった。

 この夜を過ぎれば、腕輪の魔法が解ける。十二時を越えると腕輪は壊れ、従わされた人は契約に関する全てを忘れる。アルノーはもう共にいてくれる仲間じゃない。手下にされた生意気な年下の人間のことなど、何一つ思い出すことはないだろう。

 みんな自分のことなど忘れてしまう。

 でも、父が母を忘れ、自分を見なくなったのは王弟の魔法のせいだった。忘れさせられたことへの怒りより、父が自分を厭い意図的に無視したのではなかったことが嬉しかった。

 父は助かるだろうか。助かってほしい。領に戻り、家族仲良く暮らしてほしい。もう邪魔にはならないから。


 明け方、うっすらと空が白み始めた頃、王弟の執事が入ってきた。

「王弟殿下からです。約束だと」

 美しい金の装飾のある青いステムグラスがテーブルの上に置かれた。中には八分目まで液体が注がれていた。

 あの腕輪を借り、七日間の手下、いや相棒を手に入れた代償。命をささげる約束だった。父が助かったか、助からなかったか、自分には知ることさえ許されないようだ。

 最後くらいはきれいな姿でいることを願うと思っていた。なのに、今の薄汚れた何も持たない姿こそ自分らしく思えるのは何故だろう。


 グラスの中身をゆっくりと飲み干した。甘い果実の酒のような味だった。

 さよならを告げるべき名前も思いつかない。

 世界が揺らめく。

 グラスが手から離れ、割れる音がした。


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