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オルランディ子爵の長女、ディアナ・オルランディ。
母フィオレッラはあまり体が丈夫ではなく、後継ぎになる男子を望まれながらも、それを叶えることなくディアナが四歳の時に他界した。
父は再婚を望まず、ディアナは将来婿養子を迎え、子爵領を継ぐことを前提に育てられた。
体は小柄だったが活発で、いとこたちに混ざって剣を振り、時々年上のいとこを負かすこともあった。地理学や算術、農業などにも興味を示し、領のために働くことを厭わず、父と一緒に頻繁に視察に出かけて領の人々と交流を持ち、領の産業にも関心が深かった。時には小競り合いや理不尽な苦情が寄せられることもあり、楽しいことばかりではなかったがやりがいがあり、将来は夫と共に領を守っていきたいと、そう願っていた。
十歳を過ぎるとディアナは父が王都にいる間も領で過ごすことが増えた。常に父がいないと何もできない幼い子供とは違う。自分の成長を認められたのだと思い、今まで以上に自分を奮い勉学に力を入れた。
ある日王都から戻ってきた父は女性を連れていた。
エリーザ・モレッロ伯爵令嬢。王都の夜会で出会った二人はよほど相性が良かったのか、三カ月で父は再婚を決め、ディアナがエリーザと顔を合わせた時には既に式の日取りも決まっていた。ディアナが反対する理由はなかった。
華やかで人当たりのいい義母。特につらく当たられるわけでもなかったが、うまく甘えることもできず、嫌いという訳ではないが自分とは違うところが多く、何となく相性が合わないように思えた。
ディアナが男のような恰好で領のあちこちに出向くことを
「そんな恥ずかしいいでたちでいられては、お父様にもご迷惑をかけてしまいますわよ」
とたしなめられ、父もまた苦笑いするだけで味方になってはくれなかった。
義母の提案で礼儀作法を学ぶことになったが、長い時間ドレスを身につけることを強いられるのは苦痛だった。それを
「可哀想に」
と言われるのは、もっと嫌だった。
「お母様がいらっしゃらないから、あなたに女性としての教育をしてくださる方がいなかったのね。これからは大丈夫よ。私に任せて」
そう言って世話を焼こうとする義母を見ても、義母のようになりたいとは思えなかった。
若い義母は半年後に子供を身ごもり、生まれたのは弟だった。
弟ダニエレは可愛く、喜んで面倒を見た。しかし、
「これであなたが無理をして家を継ぐことはなくなったわね。よかったわ」
義母に笑顔でそう言われ、それに父が笑って頷いた時、ディアナの人生は変わってしまった。
身軽に動ける服は不要だと捨てられ、新しい服がクローゼットに詰め込まれた。
「かわいいでしょう」
「嬉しいでしょう」
「これならどこに行っても恥ずかしくないわ」
それは義母好みのデザインであり、色であり、自分に似合わないのは一目瞭然だった。しかし義母はディアナの意向は聞かず、娘を世話している自分を楽しんでいた。それはまるで人形の着せ替えをそろえるかのようで、数がそろえば満足し、興味を失った。
領の運営に関わるのを「はしたない」と止められるようになり、父について視察に行くのも、祭に参加するのでさえ批判的で、時には泣いて
「あなたのためなのよ。どうしてわかってくれないの」
と自分の言う通りにならないディアナを責め、父にもディアナを同行させないよう訴えた。
初めはどうしてそんなことを言うのかわからなかったが、やがて気が付いた。
この義母は、この領を継ぐのは自分の子供ダニエレなのに、姉であるディアナがその地位を奪おうとしていると思い込み、警戒しているのだ。はしたないのは領の運営に関わることではなく、嫡男がいるのにでしゃばっていること。まだ弟がどんなに幼かろうと、ディアナは弟を立て、領の経営から身を引かなければいけなかったのだ。
父を困らせないよう、自分から領の視察を断るようにすると、父もあっさりと誘うことをやめた。
そうしないうちにディアナは学校に行く年齢になり、父母の勧めもあって領を離れ、王都の学校に通うことにした。
女性としての教育が充分でないことはわかっていたが、それは学校に行くと義母からの指摘以上に厳しく自分に返ってきた。高位貴族の子女が礼儀もなっていない田舎の子爵令嬢など相手にすることはなく、どの派閥にも所属しなかったディアナは孤立することが多かった。
得意な学科は男子生徒が多く受講していた。教科に男女があるなんて思ってもみなかった。学びたいもの、得意なものを学べばいいと、そう思っていたのに、男子に混ざって授業を受ければ媚びていると言われ、悪評が広まっていった。友達とは上辺だけの付き合いになり、次第に口数も減っていった。
父は領と王都を頻繁に行き来したが、ディアナがそれについて行くことは少なかった。
冬になり、父が長く領に戻っている間も一人王都の屋敷で過ごした。何かで呼ばれて領に戻った時、親子三人が仲良く暮らす姿を見て、自分はここに戻れないのだと感じた。
自分がいなければ平和なのだ。義母は怒ることなく、父は愛する妻がご機嫌なことに喜び、弟は二人からの愛を受けて健やかに育っている。父の目にはもう自分は映っていない。
自分は家を離れて生きることを考えなければいけない。
義母もまた同じ考えだったのだろう。貴族との縁組を画策し、知らない間に婚約が成立していた。
「子爵家の娘が公爵家の方と結婚できるなんて、そうはないことなのよ。お父様にお願いして、無理をしてご縁を繋いであげたのですから、失礼のないようにね」
義母は得意げに笑っていたが、婚約者となった公爵家の三男アルノー・ガリーニは十歳も年上で、王都でも有名な放蕩息子、家に帰ることはほとんどなく、公爵家から強く望まれて夜会へ参加してもエスコートどころか会場に姿を見せることもなく、ディアナが婚約者に会うことは一度もなかった。
婚約者のいない夜会で王弟のルカが声をかけてきた。
特に面識はなく、姿を見たのも初めてだった。魔力を持ち、魔法の研究に情熱を傾け、離宮から滅多に出てこない人だと聞いたことがあった。何故王弟が自分のような、普段は夜会に参加することもない子爵家の人間に声をかけてくるのか疑問に思ったが、ディアナは学んだとおり礼をし、
「お初にお目にかかります。オルランディ子爵家長女、ディアナです」
と名乗ると、品定めするように視線を全身に巡らせた。いい気はしなかった。
「似ているのは髪だけだな。もう少し似ていれば…」
王弟は急に笑顔を見せ、母とは幼なじみだったと言った。母を褒める言葉に淀みはなく、その目が自分を映していないことはわかった。
近くにいたガリーニ公爵の目の前で
「あんな男の婚約者になるとは運がない」
と言われ、公爵もディアナも答えようがなかった。さらに
「婚約者のいない夜会に父親さえも同伴しないとは。愛されていないのかな。…可哀想に」
無神経な言葉に奥歯をかみしめ、笑顔が引きつりそうだったが、必死にこらえた。
何かあれば相談に乗ると言われた。厚意だけを受け取り、笑顔を返した。
その後も夜会で声をかけられたことはあったが、挨拶以上のことはしなかった。
二年後、公爵家から相手の「体調不良」を理由に婚約解消の申し出があった。公爵家からすれば、傷は浅い方がいいという善意だったのかもしれない。ディアナの父もそれを受け入れた。始まりも終わりも、誰もディアナの意志など聞きもしない縁談だった。
元々そんな相手との結婚など当てにしていなかったディアナは、学校を卒業すれば王都で仕事に就くことを考えていた。領に戻れば義母に余計な心配をさせてしまう。領主の地位を狙い、いつ弟を追いやるかと。それなら戻らなければいい。王都でもいいし、家を出てどこか違う領で仕事を見つけてもいいだろう。
王都の屋敷にいる時でさえ、父と顔を合わせる時間は減っていった。自分には声もかけずに領に戻るのも普通になっていた。
父にとってもう自分はいらない存在なのだろうか。父には新しい家族がいれば充分なのだろうか。
そう思いながら学生生活最後の1年を送っている最中、父が事件に巻き込まれた。




