ヤハラの一人相撲
雪を踏みしめ前進前進。
そして到着イズモ伯爵のお屋敷。
伯爵さまは愛娘を玄関先でお待ちかね。
馬車からおりるキョウカさまを目にすると、両手を開いて抱きしめられた。
「ただいま帰りましたわ、お父さま」
「お帰り、キョウカ。そちらのお嬢さんがお友達だね?」
先に文でやりとりでもあったのだろう。
伯爵さまはコゲ茶色の女子生徒を知っておられた。
「初めてお目にかかります、伯爵さま。この度はキョウカさまの御厚意に預かり、一夜の宿をお借りいたします」
茶色は制服スカートの端をつまみ、優雅に一礼をした。
「これはこれはレディ・トヨム。自宅と思って存分にくつろいでください」
なんだ、初対面のときは不気味さを感じたが、まるでどこかの御令嬢ではないか。
「ではお部屋へ御案内しますわ、トヨムさん」
「おう、頼むよキョウカ!」
あらら、すっかり庶民的な口調に戻って……。
私の感心を返していただきたいものだ。
「リュウゾウくんたちも、わざわざ足を運んでくれて済まなかったね。さあ、上がってくれたまえ」
全員招き入れられた。
破格の待遇である。
ナンブ・リュウゾウこそ『貴族の子』であるが、私たち親衛隊は庶民でしかない。
それが伯爵邸に上がるなど、あり得ないことである。
しかしそこはイズモ伯爵。
「なに、遠慮するこた無ぇや。戦さ場じゃあひとつ釜の飯を分け合った仲だろ」
その通りである。
特に私などは、本陣にあってずいぶんと意見を述べさせていただいたものだ。
そして私たちが打ち解けるに、最良の人物が現れた。
「よく来たな! ナンブ・リュウゾウめ! マイ・スイートエンジェル・キョウカたんを狙う悪党が!」
巨漢イズモ・ダイスケである。
「今日こそはその息の根をとめてやるからな! 覚悟せよ!」
「イズモ流の歓待、しかと賜った! お相手いたすぞシスコン大将!」
「武術場がある、ついて来い!」
「おう!」
読者諸兄の世界で言うところの道場へ招かれた。
用意された稽古着に、ナンブ・リュウゾウは袖を通す。
そして防具の面小手などを着け、革ケースを施した袋竹刀を手にする。
振り味を確認するナンブ・リュウゾウの竹刀が、重く唸った。
どうやら導線を束ねたものか何かを呑んでいる『他流試合用』の竹刀のようである。
そしてイズモ・ダイスケの竹刀も、また。
審判、シロガネ・カグヤ。
検分役、クサナギ・シロウである。
始め! の号令で両者相手の防具越しに頭蓋骨をも砕かんとする一撃を放つ。
そこからは打撃戦だ。
猛然と打ち、かわし、受けるの攻防が続く。
まさに火の出るような打ち合いだった。
「いけいけ、ナンブさま! キョウカの兄ちゃんなんてやっつけろ!」
先程の茶色娘が声援を送っていた。
藍色の和服なのに袖まくり、しかも裾は膝上までという短さだ。
寒さを感じない生き物なのだろうかといぶかしむ。
その隣では伯爵さまが、息子の奮戦にこれまた声援を。
そしてイズモ・キョウカである。
縞の入った、比較的大人しい和服を身に着けていた。
正直、あまり顔を合わせたくない人物である。
しかし現実は非非情なものだ。
娘の姿をした悪魔は私のとなりに立ったのだ。
「あらあら、トヨムさんったら。すっかりはしゃいじゃって……」
クスクスと悪魔は笑う。
「ヤハラさま、この一戦はどちらが有利なのでしょう?」
「さて? 私は剣の方はカラッキシですので……」
できるだけ会話を避けなければ。
というか、今すぐにでもこの場を逃れたい。
「わたくしもですわ。女御の身では剣などりかいできません。ということで、あちらでお茶などいかがでしょうか?」
ハメられた! これでは断れないではないか!
このヤハラ一生の不覚っ!
「剣術の音痴同士、この場にあっても詰まりませんわ。それともヤハラさまは、わたくしのことがお嫌いで?」
ハメるつもりだな!? ハメ殺すつもりだろ、私のことを!
というか、「お嫌いで?」などと誘ってくる女は絶対になにか企んでいるものだ。
これに対抗する手段はただひとつ!
「……いただきます」
相手に従うしか無いだろう……。
悪魔と同席する茶会。
これならば私はグリズリーと食事を共にした方が良いのではないかと感じる。
執事の方が真っ白なティーカップに、黄金色の液体を注いでくれた。
その色合いに思わず目を見張る。
「東の方から取り寄せた健康茶ですわ。どうぞ御賞味あれ」
……茶は同じポットから注がれた。
ということは、イズモ・キョウカが口をつけたなら、毒は入っていないということだ。
なぜ毒の心配をしなければいけないか?
それは小賢しい女にとって一番好ましくない人物というのは、恋人のすぐ側にいる賢者だからである。
こいつ、私を消すつもりか?
なるほど此処はこの娘の城。
そこで起きた出来事は、すべて揉み消すことができる。
ならばここは隙を見せず、イズモ・キョウカが茶を喫してからいただくのが生き残る術であろう。
私はまず茶器を眺め、茶の色合いと香りを楽しむ振りをして時間を稼いだ。
その間に、イズモ・キョウカが茶を喫する。
……よし、大丈夫。
毒は入っていないようだ。
私も極力気取ってカップに口をつける。
…………苦いっ! 例えようもなく苦い! これは人類の飲み物かというくらいに苦い!
しまった、あの執事か!
ヤツが私の茶にだけ、一服盛ったのか!
思わずイズモ・キョウカを睨みつける。
この悪魔め! それほどまでに私が嫌いか、と。
「お口に合いませんでしたかしら、ヤハラさま?」
「……………………」
口の中が苦すぎて、言葉も出ない。
「いかがなさいまして? まるで一服盛られたことにようやく気づいたような顔をされて」
おのれ……おのれ、イズモ・キョウカ!
「ヤハラさま、これはセンブリ茶と申しまして大変に苦いお茶ですのよ?」
その苦味に乗じて、毒の味を隠したか!
「ですが毒味……つまり舌に痺れはございませんでしょう?」
「……………………」
確かに、それは無い。
「そもそもわたくし、貴方に一服盛る理由も大儀もありませんことよ?」
……言われてみれば、ごもっとも。
「ヤハラさま? 謀というのは、このように楽しむものですわ♪」
おのれこの子狸め……。
しかし、まさに完敗であり、苦杯を舐めさせられたとはこの事だ。
イズモ・キョウカめは茶を喫しながら、「あ〜苦いお茶ですわ♪」などとシレッとしている。