国立生命化学研究所付属人口子宮展示館
『国立生命化学研究所付属人口子宮展示館』
七十年前、日本で初めて本格的な人工子宮が開発され、設置・運用することになったこの場所は既に本来の役割を終え、現在では大きすぎる初代の人口子宮を展示し、その輝かしい実績を後世に伝える為の記念館として活用されている。入場料は無料。巨大な生命科学研究所から離れヒッソリと建つこの施設は一般に解放され、元研究所職員の館長が管理人として運営を行っている。
いつ来ても入場者は少ない。人口子宮から人が産まれるという当たり前のことに興味を持たない人が多いのだろう。道中たまにすれ違う人のほとんどは人口子宮での出産が当たり前ではなかった老人の世代だ。
僕は、よくここに来る。誰かにフラれた時や誰かをフった時、自分が異性に興味があるという、他の人には当たり前ではないということを強く意識した時、この場所に足が向く。
無人の受付を通り展示エリアに入ると、静謐な空間の中に高さ七メートルはあろうかという大きな人口子宮が目に飛び込んでくる。四十メートル四方の部屋の多方向から延びているホースやダクトが無数に接続された姿は、二メートル程の装置とホース一本で繋がっている現在の人口子宮とは似ても似つかない。
いつ見ても圧倒される。その大きさと人類がたった七十年で極端なまでの小型化に成功させたというその事実に。死産という悲劇を恒久的に失くしたその功績に。結果として人類の繁殖方法と性指向の常識を覆したその偉業に。
そして、僕は、その偉業に打ちのめされながらも、僕が苦しむ環境を作り出したこの装置に対してどうしようもなく怨嗟の感情が沸き上がる。
もし異性愛の世界が当たり前だったなら。
もし人口子宮の実用化が上手くいっていなかったら。
もし人口子宮が開発されていなかったら。
僕はヘテロという理由で告白を断られることは無かっただろう、自分が他の人と違う性指向を持っている事に苦しむ事は無かっただろう。
どうして僕はこの時代に生まれてきてしまったのだろう。
思考の行き着く先はいつも変わらなくて、分かりきっている変えようのないどうしようもない、生まれてしまったという事実に対する疑問に行き着く。
人類は誕生してから人口子宮が発明されるまで、異性愛の元で繁殖を続けてきた。人口子宮の使用が当たり前になった年月なんて、それまでの歴史とは比較にならない程短い。そんな僅かな歴史の中に、生まれてしまった自分という存在の奇跡と不運に疑問を抱く。
「また難しい顔をしているよ、天野君」
「水無館長」
僕の思考を断ち切ったのは、この展示館を管理している水無神無館長だった。既に八十歳を超えてはいるが、杖無しで背筋を伸ばして歩くその姿は実年齢よりも少なくとも十歳、いや二十歳は若く見える。
「またいつもの悩み事かい? 悩む事大いに結構。若いうちはドンドン悩みなさい。けどあまり深く考えこんだらダメだよ? 相談ならいつでも乗るからね」
水無館長は僕がヘテロセクシャルだということを知っている数少ない人物の一人であり理解者、そして異性愛が当たり前の時代を生きてきた彼自身もまたヘテロセクシャルだ。
「館長、館長は自分がヘテロセクシャルであることについて悩んだことはありますか?」
「無いねぇ。僕が若いころはヘテロセクシャルであることが当たり前だったからね」
「そうですか……」
僕は同じヘテロセクシャルである水無館長なら、同じ悩みを持っていて、この悩みを晴らす方法も知っていると思っていた。理解者であっても相談者になれるとは限らない、ということなのだろうか。
「天野君は自分がヘテロセクシャルであることについて悩んでいるのかい?」
「はい」
「それはどうして?」
「それは……僕が他の人と違うからです」
「他の人と違うことは悪いことかい?」
「悪いとは思いませんけど、他の人と違うと、仲間外れにされたり、虐められたり、変な目で見られたりします」
僕はそれを小さい頃から実感している。男女区別無く遊んでいた小学校低学年まではそうでもなかった。だけどそれ以降は男女一緒に遊ぶ事がおかしいような風潮になって、僕が「女子とも遊ぼう」と言うと、信じられないような目で見られたことを今でも覚えている。
当時の友達に女子に興味を持つなんてオカシイとも言われた。僕はなんでそんなことを言うのか判らなくて、否定し続けた。気が付いたら僕に話しかける友達はいなくなっていた。教科書や靴を隠されたりもした。
僕が友達が言っている事を理解したのは、高学年になって保健の授業で赤ちゃんが出来る仕組みを教わった時、先生に呼び出されて今の世の中では友達も恋人も同性と一緒に過ごして、好きになることが当たり前だと諭された時だった。そして、友達と先生のそんな言葉を肯定するように、僕が入学した公立中学は男子校舎と女子校舎の二つの校舎が建っていた。
それ以来僕は自分がヘテロセクシャルであることを隠している。だけど異性を好きになることはどうしようもなく、男子には秘密で女子を女子校舎裏に呼び出して想いを伝えている。
他の人と違うこと悪いことだとは思いたくない。他でもない僕自身が他の人と違うのだから信じたくない。だけど他の人と違う事は隠さないと、辛い想いをすることになるから、隠さないといけない。
「いいかい、天野君。無理に人と同じことをする必要なんて無いんだよ。当たり前なんて物は、時代と環境によっていくらでも変化する物なんだ。気にしすぎることは無い」
「時代と環境、ですか?」
「そう。天野君も授業で習ったと思うけど、僕がまだ若い頃はヘテロセクシャルがほとんどだったんだ。今みたいにヘテロセクシャルが当たり前じゃなくなってからまだ一世紀も経っていないんだ。それがこの先ずっと変わらないなんてどうして言える?」
「それは、そうですけど……。だけど、僕は今、自分が当たり前じゃない事に苦しんでいます。また自分が当たり前になる時代が来るまで待つことなんて、出来ません」
「待つ必要は無いよ。自分から動けば良いんだ」
「え?」
「当たり前は時代と、環境によっても変化すると言ったでしょ? 自分がヘテロセクシャルであることが当たり前な環境に身をおけばいい。環境自体を作っても良い。天野君の苦しみはそれで解消されるんじゃないかい?」
自分が当たり前な環境に身を置くなんて考えもしなかった。水無館長が言うような環境に身を置ければ、確かに僕は苦しみから解放されるかもしれない。だけど――
「だけど、どうすれば良いのか分かりません」
「君と同じようにヘテロセクシャルであることに悩んでいる人や、君がヘテロセクシャルであることを気にしない人を探すんだ。出来れば歳が近い方が良い。探す場所はどこでも良い。学内である必要もない。君がそのままの君でいて良い環境を見つけるんだ」
「もし、見つかったら?」
「そこを君の居場所にするんだ。学校で君を仲間外れにしたり虐めたりする人と無理に一緒にいる必要は無いんだ。君を仲間外れにする連中なんてこちらから無視してやればいい。」
そう言うと、水無館長は僕の肩に手を置いて言った。
「君は君のままで良いんだ。君は他の人にはなれないしなる必要も無い。忘れないでくれ」
肩に置かれた手は妙に熱く感じられて、その熱さが僕の悩みを少し溶かしてくれた気がした。