9 女領主と告白
「…あれは、ないのでは?」
ガーネンシア家の執務室。
いつものお仕事中にポツリとヴィオラがこぼした一言だ。
室内の人間はセバスを筆頭に非常に優秀なため、ヴィオラの唐突なつぶやきも総スルーだ。下手に構うと仕事が滞ってしまう。皆、ヴィオラにではなく仕事、ひいては領民に対してとても真摯なだけだ。ヴィオラとしては、領民へのやさしさの半分でもこちらに向けてくれ、と願ってやまない。
「手を止めないでくださいね、お嬢様」
唯一セバスが構ってくれるが、内容は手厳しい。
ヴィオラの嘆きについては聞かない方向である。
「ねぇ、皆もう少し私に優しくてもよくない!?」
「休憩時間にでしたらお聞きしますよ」
「だって! 集中しようにもフラッシュバックして集中できないんだもの!
あああああ、失敗したなんで私あそこで頭に血をのぼらせちゃったのよおおおお」
フラッシュバックしている内容。それは、先日のパーティでの出来事だ。
推しであるタクトを侮辱され、頭に血が上ってしまった。
大の大人をこき下ろす様は、物語のヒロインを苛め抜く悪役令嬢もかくやと言わんばかりではないだろうか。というか、あの場にいた半分くらいは引いていたように思う。
それは仕方ないことだ。
何せ相手は能無しではあるものの、身分だけは一丁前の輩である。
一応相手の兄が出てきて後始末をしてくれたが、逆上した相手が不敬罪だと騒いでもおかしくはなかった。
「まぁ、不敬ではありましたが…。
あの場でノーナンシー様の真の味方はおられますまい」
「そ、そうよね。評判最悪だもの。取り巻きもなんでつるんでるんだかって感じだし…。
情勢読めない、空気も読めない、相手の力量も読めないって読めない尽くしの無能集団じゃない。よく貴族面できるわよね。ああいうのがいるから貴族の評判が悪くなるのよ」
思い出すとまたイライラが募ってしまう。
よくもまぁあそこまで無能が揃ったものだ。
「お嬢様、仕事」
「するわよぉーーー。
でも、タクトくんに嫌われてないか考えると手につかないんだってー」
「…そもそもお嬢様はタクト様を好いていらっしゃるのですか?
その…恋愛的な意味で」
この屋敷に仕える人間であれば、事の顛末は全部知っている。ふと疑問に思った、といった口調で今まで黙って仕事をしてくれていた女性が問いかけてきた。
「……れん、あい…?」
「はい。婚約までの流れは存じておりますがその…正直同情程度の気持ちと、面倒くさい婚約話を避けるための偽装婚約なのかと思っていたのですが…」
「ええっ!?」
「あ、自分もそう思ってましたね。だから嘆くの意外だなーって」
「ですよね。そりゃ嫌われるよりは好かれた方がいいんでしょうけど…。
恋愛なんです?」
執務室のメンバーの中には女性も多い。
というか、優秀なのに「女性だから」という理由で不遇だったメンバーを集めたのだ。女性は一段劣るというよくある女性差別がある世界だったので、男性と同等の給料が支払われるガーネンシア家には優秀な女性が多いのだ。
そして、女性はいくつになっても恋バナが好きなものらしい。
今までは無言で仕事をしてくれた面々が手を止めないながらも話に乗ってきた。
「レンアイ…???」
その一方でヴィオラはフリーズしていた。
前世を含めたそれなりに長い人生の中でもトップクラスに馴染みのない言葉だ。
「推しで萌えではある」
「オシデモエ…ってなんですか?」
「こう…愛でたり、崇拝する、対象?
つらい顔してほしくないし、笑っててほしいし…」
「それ恋愛とどう違うんです?」
こんな会話をしながらも手は止まっていないのが、この執務室のすごいところだ。そうでなければセバスが睨みを利かせているだろう。ながら作業になるので多少効率は落ちるが、手につかないよりは断然マシだと判断されたようだ。
「えっえっ…?
私、恋愛してたの?」
「それを決めるのはお嬢様では?
でも、話を聞いてる限り無償の愛~って感じですよね」
「むしょうのあい…」
確かに、今までヴィオラがやってきたあれこれを客観的にみると無償の愛に見えないこともない。
タクトと婚約することによって、これ以上婚約話が降ってこないという利点はある。だが、それ以上にデメリットが大きい。ノーナンシーのような突き抜けたバカもいれば、年若い女領主を害そうとする輩がタクトくんを誘拐して不合理な取引を持ち掛けようとしてくることも考えられる。護衛を増やしたりなど、考えられる全ての対抗措置をとってはいるがその費用も決して安くはない。
損得だけで考えるならばどう考えても損の方が多いのだ。
けれど、ヴィオラは損を取った。
口さがない貴族連中からは「氷の女」などと言われている彼女が、である。
「れんあいって…なに?」
「そこからですか…」
「いやぁ…お嬢様の身分ならそうなっても仕方ないんじゃないですか?
ご両親は幸せな結婚を望まれてたようですけど、身分的にも政略結婚は避けられなかったでしょうし。だから、色んな縁談断ってたんじゃないですか」
恋愛を知らなくても仕方がない、と女性陣は慰めてくれる。
けれど、違うのだ。
確かにこの体に本来いるべきである19歳のヴィオラ嬢であれば、恋愛を知らなくても仕方がないのかもしれない。貴族なのだから、身分的に問題ない人と結婚して、その後にできるのであれば恋愛をするというパターンになってしまうだろうから。
けれど、今、ヴィオラの中身は現代日本で暮らしていたアラサー女子なのだ。
この世界に比べれば自由恋愛がしやすいというか、政略結婚の方が稀な世界で暮らしてきた。それなのに、実はこのアラサー、恋愛経験がほぼゼロなのである。
「告白くらいしたほうがいいのかしら…?
でも待って、待ってほしい。好きってなに?」
漣斗きゅんそっくりなタクトくんには笑っていてほしい。
自分がいる前では緊張しているのか彼はなかなか笑ってはくれない。それは仕方のないことだと思っている。けれど、せめてお友達の前や家にいる間はリラックスして笑顔を見せてほしいのだ。
そして自分は遠くからその様子を眺めていたいし、あわよくばカメラに収めたい。この世界にはスマホもデジカメもないので無理だ。一眼レフよ降ってこい。
ただ、笑顔を見たいし、幸せになってほしいとは願うものの、それは果たして恋愛なのだろうか。
「いくらでも待ちますので仕事をしてください、お嬢様。
恋愛経験豊富な皆様も、仕事を優先でお願いいたします」
セバスが意識を仕事に向けようとパン、と大きな音を立てて手を叩く。
それで、一応は全員仕事モードに向かうものの、ヴィオラの内心は穏やかではない。
穏やかでなくとも仕事は迫りくるし、こなさなければならない。自分の心情を切り離してきっちり仕事に向かう術は前世で身に着けているため、仕事が滞ることがなかったのは流石と言える。
静かな執務室に、ペンを走らせる音、紙をめくる音だけが響く。
全員が仕事に没頭しているうちに、あっという間に昼の休憩時間が来た。
そうなると、女性陣を中心に先ほどの話の続きとなる。
「で、お嬢様どうなさるんです?」
「ど、どうって言われても…そもそも私好きなのかわかんないもの!」
「んー…でもぉ…。
結構傍で見ていた私たちですら半分『婚約話持ってこられるの面倒だから偽装婚約かー』とか思ってたわけですし、タクト様もそう思っている可能性高いのでは?」
「んぇ!?」
本日のお昼ご飯は具沢山のベーグルサンドだ。正確にはベーグルではないのかもしれないが、味はそんな感じ。仕事の合間に食べられるように、と料理人たちが色々考えて作ってくれているありがたいものだ。
それを美味しく頬張っていたヴィオラは、突然の指摘に喉を詰まらせてしまう。
「ぐふっ…ごほっ…。
ど、どういうことそれ!?」
「どういうことも何も…。
タクト様からすれば、突然降ってわいた幸運ですよね?
何か裏があるんじゃ…とか考えちゃいません?」
「わかる~。私もここのお給金が男性と同等に支払われるって聞いたとき、何やらされるの!? とか思っちゃったもの。
望外の幸運って何か勘繰りたくなっちゃうわよねぇ」
女性蔑視が当たり前のこの世界では、女性の給金は男性の半額かそれよりも低いことが多い。
それを逆手にとって優秀な女性で周りを固めたのだが、女性陣にそう思われていたのは知らなかった。ヴィオラが驚きで目を見開いていると、女性陣は慌ててフォローをし始める。
「いやでも、一か月も働いてたら流石に疑わなくなりましたよ!?」
「そうそう、男性並みの実務能力求められるのは覚悟の上でしたしね。本当に仕事量多いけど、ここ残業って滅多にないから働きやすいですし!」
「子育てへの配慮もあるから嬉しいですよね。女性領主ならではの着眼点というか…」
皆が褒めてくれるものの、ヴィオラの関心ごとはそこではない。
「…このままだと私、タクトくんに暫く誤解されたままになる…?」
なんだそっちの話か、という空気が流れるがヴィオラは気付いていない。ヴィオラの頭の中は推しであるタクトのことでいっぱいだ。
必死で「ここは待遇が良い」とフォローしていた女性陣は若干損した気分だが、自分たちの雇い主であるヴィオラが実力主義であることはわかっている。おべっかを使おうが使うまいが、彼女は役に立つ人間であれば男女の区別なく適切に雇ってくれるのだ。
そんなできる上司が恋愛方面に関してはポンコツ、ともなれば少しは手助けしてやりたくなるのが人情というもの。
「誤解されてるなら、誤解を解けばいいんじゃないですか?」
「そうそう。確かに仕事は鬼のように忙しいですけど、頑張れば休憩時間もとれますし、一緒にお茶でもしてみてはいかがです?」
「お茶も大事だけど、そもそもお二人ってあまり会話をされていないのではありませんか?
最初はタクト様も緊張しちゃうでしょうけれど、慣れていただく意味でも一緒の時間を増やしたほうがいいのでは?」
「推しと長時間一緒の空間にいてボロを出さない自信がないわよぉ…」
「誤解されたままでいいんです?」
「それはいや…ううう、令嬢の仮面かぶり続けられるかしら…」
「未来の旦那様なのですし、多少素をだしてもいいのでは?」
「ご令嬢がこんなにがさつって…ひかれない?」
「それは……」
「でしょう!? あーもう令嬢として頑張ってたことが裏目になってるー!」
盛大に机につっぷして嘆くヴィオラ。
その気配を察知して、セバスが書類等をさっと避けてくれた。本当にできる執事である。
「けれど、ちゃんとお話することは良いことですよ。その辺りもスケジューリングしつつ、午後も頑張りましょうねお嬢様」
いい笑顔とともに午後のお仕事開始が告げられたのだった。
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