8 女領主と少年とパーティ当日
セバスたちとも念入りに打ち合わせをして、できる限りの早さで帰宅しようということになった。
タクトは懸命に様々なことを覚えてくれたが、あまりにも時間が無さすぎた。付け焼き刃にしてはかなり上等だが、どうしても滞在する時間が長ければ長いほどボロが出てしまうだろう。
むしろ、よくこの短期間にここまで仕上げてくれた、とタクト本人もそうだが講師の皆にもヴィオラが直接頭を下げたくらいだ。
そうして迎えたパーティ当日。
主催はこの国の王の従兄弟にあたるノーナンシー卿という人物だ。血筋的にはやんごとない人物ではあるものの、若いときにオイタをして王位継承権が消えただのなんだのという話である。そのときに命も消えてしまえば、今現在自分に迷惑が降りかからなかったのに、とヴィオラは半ば本気で考えていたりする。実際、王位継承権はないものの外戚としてでかい顔をしているらしい。一週間という無茶なスケジュールでパーティを主催したことからもワガママな性格がうかがえる。
そして彼は、ヴィオラ及び先代ガーネンシア家領主であるヴィオラの父が再三婚約話を袖にしてきた人物の父親でもある。ちなみに、立ち消えとなったヴィオラの婚約者候補であるアルフレッド様は御歳三歳になられており、本日のパーティも当然のように欠席だ。ちなみに親に継承権はないが、アルフレッド様はワンチャンある、らしい。
可愛い盛りだろうことはわかるが、どう考えてもお断り案件である。王族と繋がりを持つなんて碌なことにならない。
とまぁ、そんな因縁もある相手だ。
恐らくなんらかの形でタクトを貶めてくることは予想がついていた。
しかしながら、予測可能回避不可能のフラグは折れてはくれなかった。一応ヴィオラやセバスを筆頭にガーネンシア家一丸となってフラグを叩きおっていたものの、人海戦術には勝てなかったのだ。
そんなわけで、現在タクトは勝ち誇った笑みを浮かべたノーナンシー卿を前に冷や汗をかいていた。
どうにかこうにか付け焼き刃のヴィオラとのダンスも終えて、ヴィオラが最後の挨拶回りに行ったちょっとした隙に、ノーナンシー卿に絡まれたのである。
いつかの夜会のように壁と同化して息を潜めようとしていたのだが、相手が敵意を持って探しに来れば逃げられるはずもなかった。軽く人酔いを起こしたタクトのために、飲み物を取りに行ったセバスが席を外したほんの数秒の隙に、だ。ある意味そこまでする執念に脱帽する他ない。
「全く、こんな無礼で低俗な輩を伴侶に選び、私の息子を袖にするというのだからヴィオラ嬢の底が知れる、というものですな」
ノーナンシーがそう言うと、取り巻きらしき人物たちがとてもおかしそうに笑った。
正直に言えば、タクトは自分がどんな粗相をしてしまったのか全くわかっていなかった。それもそうだろう。言いがかりなのだから。
けれど、経験の浅いタクトにはそれが言いがかりかどうかすらわからない。
そして数秒とはいえ目を離していたセバスも助け船を出しあぐねていた。
「ふむ、反論すらも出来ぬと見える。
それとも口がきけぬのですかな? あきれたものだ」
タクトは思わず口を開こうとしたが、思いとどまった。万が一絡まれた時には下手に話をしてはいけない、と教えられたからだ。
『文句を言いたい輩には言わせておきましょう。やかましい鳥だなーくらいでいいのです。何があってもわたくしがお守りいたしますわ』
男女逆なら最高のラブロマンスだったろうに、とぼんやり回想しながらタクトは言われた通りピーチクさえずる男を見ている。
この世界には写真がない。そのため、タクトはこの人物が誰かということすらわかっていなかった。だからこそ、平常心でいられたのだ。これが王の従兄弟とわかれば、たちまちひれ伏していたかもしれない。
「ふん、言い返しもしない。ヴィオラ嬢は顔だけのお人形がお好みか」
どう挑発しても何も言ってこない凪いだ瞳のタクトに苛立って、ノーナンシーがいい放った刹那、鈴を転がすような声が響いた。
「タクトさんは顔だけではなくて、性格も性根もすべてが素敵ですわ。
身分だけの方と違って」
にっこりと形だけの微笑を浮かべたヴィオラの登場だ。しかし、その目は全くもって笑っていない。
推しを侮辱されて怒らぬオタクがいるだろうか。いや、いない。反語。
そうでなくても、公衆の面前で婚約者を侮辱されて怒らない人物がいればそれはただの腰抜けだろう。
「わたくしの婚約者であるタクトさんの容姿を褒めていただきありがとうございます。
それで? 彼が何か失礼をしてしまったのでしょうか? でしたらガーネンシア家当主として心よりお詫び申し上げますわ」
「いやなに、彼は上流貴族としてのマナーに欠けていただけだよ」
「…マナーに欠けていたのであれば、わたくしどもの教えが足りなかったのでしょうね。
何せ急遽開かれたパーティでしたもので」
暗に「おめーのせいだ」と言っているのだが、ノーナンシーはどこ吹く風だ。
もしかしたら嫌味を言われていることすらわかっていないのかもしれない。
「そもそも一代貴族の、しかも四男である彼が君の隣に立つのが間違いだと思うのだがね。
どうだい? ヴィオラ嬢」
わざわざ一代貴族と大きな声で言うあたり、こちらの方が品がない、と良識ある貴族であれば思うだろう。実際遠巻きにしている貴族達は「また弱いものいじめが始まったか」という空気だ。
タクトはパーティ会場の中でも目立たない位置で休んでいたため、あまり人目を集めていないのが不幸中の幸いだろうか。周りは同情的な視線が7割、面白い見世物だと愉快そうにしている視線が残り、といった感じだ。そんな中で、ヴィオラのよく通る声が響いた。
「お黙りなさい」
誰かの息を飲む音が聞こえた。
けれど、怒れるヴィオラは気にしない。
頭にあるのは「よくも推しを侮辱してくれたな」の一点のみだ。
「王家に連なるものとして人々の一段上にいるからこそ、努めて人の立場になって考えられるようにならねばいけない御方が嘆かわしい。
思いやりの欠片もないような方と縁続きになるのはごめんですわ。亡き父がお断りしたのも当然のことですわね」
「なっ、なっ…」
いきなり本人から反撃を食らうと思っていなかったようで、ノーナンシーはあっけにとられる。
身分が身分だからこそ、誰かに注意された経験などなかったのかもしれない。
でもそんなの関係ねぇ! とばかりにヴィオラは畳みかける。
「それともあなた様はご自分で考える頭もないと自己主張なさりたいの?
あなた様がおっしゃいました通り、わたくしの婚約者であるタクト様は男爵家の四男です。通常であれば貴族ではなく平民になる方。
そのような方がこの場に立つにあたり一つもミスをせずに過ごせるとどうしてお思いなのです?
それとも高貴なる生まれのあなたはミスをしたことが一度もないと? 伝え聞く限りそうではございませんわよねぇ?」
彼の人生の最大の汚点である、王位継承権はく奪を嫌味ったらしく指摘するとノーナンシーは真っ赤になった。何とか反論しようと口を開くが、それを遮ってヴィオラが続ける。
「そもそも王家に連なるあなた様が大勢の前で一人を貶めるということがどのようなことかお分かりですの?
通常であれば生きていけないほどの恥辱にあたるとは思いませんの?
それともわたくしの未来の旦那様に死ねと仰いますの?
そういった配慮が出来ないから、現在があるのではなくて?」
二の句が継げないノーナンシーを一旦放置して、ヴィオラはノーナンシーの取り巻きどもをねめつける。
「そして止めもしなかった皆々様におかれましては、かの御方に意見する覇気もない腰巾着か、わたくしの婚約者に死ねと申すものばかりと見受けられますが…それでよろしくて?」
突然水を向けられた腰巾着たちもノーナンシー同様真っ赤になったり、そうでなければ目を白黒させる。少なくともこの中に弁の立つものはいなかったようだ。少しでも頭が回る人間がそばにいて矯正してくれていれば、ノーナンシーにももう少し違う未来があったのかもしれない。が、そんなイフの話はどうでもいい。
「ヴィオラ嬢は強くなったなぁ」
この分では謝罪の言葉もなさそうだな、とヴィオラが切り上げようとしたところで柔らかな男性の声がかかった。
「あ、兄上」
その声の主を見つけてノーナンシーが焦りの声をあげる。
「これはアレクセイ様。ご機嫌麗しゅう」
「うんうん。割とご機嫌だよ。近頃ではこの能無し弟を叱れる人少なくなっちゃったからねぇ。いいものを見た」
アレクセイはノーナンシーの兄だ。当然王家と連なるものであるが、彼は王位継承権を自ら捨てた変わり者という世間の位置づけである。現在のヴィオラからしたら「わかる~」の一択だが。国とかいうドでかい重荷を背負いたいと思う奴の気がしれない。
「兄上! それは流石に言葉が…」
「そお? 普通に考えて一週間やそこらで貴族風のマナーが普通の子に覚えられると思う?
そりゃ僕らは小さい頃からそういう環境だったけどさぁ…。お前が言ってることって一週間で多国語マスターして他国で演説してこいってくらい無茶だよ」
「し、しかしですな。それを承知で…」
「ていうか実は一部始終見てた僕に、彼のどこがどうマナー違反なのか、お兄ちゃんに丁寧に説明してくれる?
まーさーか、出来ないってことはないよねぇ?」
暗に「これ以上家の恥を塗り広げてくれるな」ということだろう。
よくわからないが、助け船を出してもらえて助かった。あとはそちらのご家庭の問題ということにできるからだ。
言いたいことは言い切ったし、ノーナンシー及び彼と似たような思想の人間には牽制も出来た。このあたりで引いておくのが妥当だろう。
そんなヴィオラの考えを読んだのか、アレクセイはのんびりとした口調で声をかけてきた。
「阿呆な弟でごめんねー?
タクトくんだっけ? 君もごめんねー。
二人のお祝いのはずなのにねぇ。変だよねぇ。パーティ自体は楽しそうだから君たちが抜けても問題ないよぉ」
「えっあ…えと…ありがとうございます?」
いきなり知らない人、しかもなんだか偉い身分らしい人に謝られてタクトはオロオロしてしまう。が、それも承知だったのかアレクセイは微笑むだけだった。
ヴィオラも同じように微笑んだ。
「お心遣い感謝いたします。それでは、わたくし共は下がらせていただきますね。
参りましょう、タクトさん」
「今度はこんなめんどくさい雰囲気じゃなく、こじんまりとお茶でもしようねぇ」
ヴィオラがタクトの手をとって帰る背中に、のんびりとした声がかかった。
本当に変わった御仁だが、お陰で助かった一夜であった。
帰宅中の馬車の中で、ヴィオラはセバスに「人前で罵倒するのははしたない」と説教を受けることになるのだが、それはまた別の話である。
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