7 女領主とパーティの準備
「本当にごめんなさいね」
「いえ…ヴィオラ様のせいではありませんから」
王家からの手紙を受け取ったあと、ガーネンシア家はてんやわんやの大騒ぎだった。
限られた時間で、あらゆるものを王家主催のパーティに面子が立つ程度のレベルに到達させなければならない。これはヴィオラはともかく、もともとはほぼ庶民といって差し支えなかった元一代貴族の令息タクトには大分酷なことだ。
ヴィオラとしては謝っても謝り足りない。
「ほんと、王家ってどうしてこう人の気持ちとか都合を考えないのかしら…」
思わずこういった発言がポロリと口をついて出てしまう程度には不満だった。
しかしながらこういった不敬にあたる発言を、タクトはどういう顔をして聞いていいかわからなかったりする。タクトにとってはガーネンシア家も王家も、どちらも雲の上の存在だったものだ。どちらに対してであっても文句を言うだなんて首と胴体が離れそうでできやしない。
ヴィオラの台詞を否定も肯定もできず、オロオロと目線をさ迷わせる。
ただ、幸いにもこの場にいる全員が、目の前の大仕事に夢中だったためヴィオラの不敬発言とともに流されたようだ。
ガーネンシア家の一室では、現在パーティに着ていく服を仕立てる準備をしているところである。ヴィオラやタクトの身支度担当の使用人はもちろん、ガーネンシア家おかかえのデザイナーも呼んでの大仕事だ。
ヴィオラとしては、タクトを婚約者としてお披露目する際にじっくりとしたかった仕事であるだけに、とても悔しい気持ちで一杯だ。何が悲しくて王家なんぞに振り回されなければならないのか。
とはいえ、そう嘆いても始まらないので、今の限りある時間で最高のものをプレゼントする気満々である。
「あ、これなんかどうかしら」
「すみません、僕こういったものがさっぱりわからなくて…」
あちらこちらのデザイン画や布に目移りしながら、ヴィオラはタクトに話しかける。周囲のデザイナー達も、あーでもないこーでもないと意見を交わしていた。だが、知識も経験もないタクトにはさっぱりだ。
タクトにわかるのは、どの布も恐ろしく手触りが良く絶対に高級品であることくらいである。
「んー…では、好きな色などはございますか?」
「色、ですか? えぇと…」
こういった場合、本当に好きな色を言っていいのだろうか、とタクトは悩む。
何せ自分の選択によってはいつガーネンシア家を追い出されてもおかしくないのだから、とかいう無用な心配をタクトはしているのだ。
この内心をマリアや他の使用人などに相談していれば、全力で否定してくれただろう。しかしながら、そういった相談をできるほどにタクトはガーネンシア家に慣れていなかった。
ちなみにこの本心をヴィオラが知ったら卒倒すること請け合いである。
「ヴィオラ様の目の色のような、エメラルドグリーンとか…。
あ、あと空色も好きです」
無難に二色。
どちらも好きな色であるため、嘘ではない。嘘ではないが、エメラルドグリーンは気遣いの要素が7割だ。
「ま、まぁ…」
ヴィオラは咄嗟に叫びだしたいのをこらえて、扇で顔を隠す。
(気遣いができるいいこーーーーー!!!!)
流石に本心ではないだろう、ということは推しを前にして理性が失われかけているヴィオラでもわかる。だが、それでも嬉しいものは嬉しいのだ。
人目がなかったらもんどりうってブリッジでもしているくらいには。
お世辞でもなんでも好きと言われれば嬉しいし、彼の気遣いがこれまた嬉しい。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ」
「あ、その…」
一方、顔を隠されお世辞と指摘されてしまったタクトは顔を青くしていた。
ヴィオラは赤くなりそうな顔を、貴族の令嬢らしく隠したに過ぎないのだが、そういった機微はタクトにはまだわからなかったのだ。
そしてこのチグハグな雰囲気は、忙しすぎて誰もつっこむ事ができない。双方にとってとんだ悲劇である。
「まぁまぁお熱いこと。
では、エメラルドグリーンを基調に仕立てましょうか」
傍で話だけは聞いていたガーネンシア家お抱えのデザイナーであるコーデリアが楽しそうに口を挟む。少しでも顔をタクトに向けていたら勘違いに気づけたのかもしれないが、彼女は彼女でこれから仕立てる二人分の衣装に関して頭を悩ませていた。
ヴィオラを幼少の頃から見知っている彼女は、一度微笑ましそうに二人に目線を向け、またものすごい早さで仕事をしていく。
「タクト様がいらっしゃるのですから、この度のドレスは男避けのようなマネをしなくてよいのでしょう?」
「言われてみればそうね。
いつも強く見えそうなデザインにして、なんて言ってしまっていたけれど」
普段の夜会は、ヴィオラにとってもはや戦場である。
断っているのに持ちかけられる縁談をぶん投げ、年若い女領主と侮って不利な条件の取引を持ちかけてくる輩を正論でこてんぱんにする。そういった場所だ
そんな場所にごく普通の令嬢らしく華やかで可愛らしいドレスは不向きだった。
そのため、いつも濃い目の色キツめのデザインを選んでいた。
「お嬢様はもっとふんわりした色やデザインがお似合いですのよ。ほら、このような」
差し出してきたのはフリルやリボンがたっぷりあしらわれた、いかにもお姫様というようなドレスだ。人が着ていれば可愛いと思うのだろうが、自分が着るとなるとヴィオラは若干気後れしてしまう。
「…この歳でそれはやりすぎじゃない?」
「まだ10代ですのに何をおっしゃいますやら」
中身はアラサーです、とも言えずヴィオラは苦笑した。
コーデリアは常々「お嬢様にはもっと似合うデザインがある」と豪語して憚らなかった。だが、貴族社会で舐められたくなかったため、コーデリアイチオシのデザインは今まで採用されてこなかったのだ。その鬱憤を晴らすかのように、コーデリアは次々とデザインを出してくる。
だが、いくつデザイン案を出されても選ぶことができるのは一つだ。最終的に数点まで絞られたときに、タクトに声がかかった。
「タクト様はどのデザインの方がお好みですか?」
「えっ僕ですか?」
「パーティの花はやはり女性ですからね。
ヴィオラ様のドレスが決まれば自然とタクト様のデザインも決まってきますので」
少しの時間も惜しいとデザインを選ぶ合間を縫って、マナーの基礎的なことを学んでいたタクトは突然話題を降られて少し困惑したそぶりを見せる。
だが、問われたからには無視もできない、と何度かヴィオラとデザイン画を見比べる。少ししてから、おずおずと片方を指差した。
「なんとなく、ですが…僕はこちらの方が好きです」
(推しに服を選んでもらうとかオタク冥利につきるのでは!?)
ヴィオラとてそろそろ漣斗きゅんとタクトは同一存在ではないというのはきちんと理解している。たぶん。
しかしながら、不運な境遇にあった美少年、というシチュエーションがタクトという存在そのものを推しに変えていた。婚約者がどうのこうのというよりも、どうにかして幸せになってもらいたい存在にジョブチェンジだ。
そんな彼が選んでくれたドレスであれば、少々フリルが多かろうとも着こなして見せようというもの。
ヴィオラがそんな喜びを噛み締めている間に、コーデリアは着々と仕事を進めていく。
「さようですか。では、こちらで。
そうなるとタクト様のは…」
ヴィオラのドレスに合わせて、スーツや小物などが選ばれていく。
どうせ婚約者としてお披露目なのだから、できるだけ意匠をそろえた、言わばペアルックで乗り込むつもりだ。
「わたくしからタクトさんへの初めての贈り物となるのですから、最高のものをお願い致しますね」
「えっ…そんな。
もう僕はもうたくさんいただいているのに…。
この家に着いた時には僕の服だってたくさんありましたし」
初めての贈り物というのであればそちらではないか、という指摘は少々野暮だ。しかし、タクトとしてはこんなに良くしてもらっているのに、更に余計な金を使わせるのは心苦しかった。
だが、推しを前にしたオタクはその程度の言葉では止まらない止まれない。
「わたくしとしてはまだまだ足りませんわ。
慣れない暮らしを強いている上に、更に面倒を押し付けていますもの。王家からの招待でなければ断っておりますのに。
ですから、これはお詫びの意味もありますの。
受け取っていただけますか?」
もっともらしい理由をつけてはいるが、要するに貢ぎたいのだ。
しかもこれはパーティに出るためには必要なもの。ただの必要経費だ。正直に言えば、ヴィオラはまだまだ貢ぎ足りなかったりする。
「あ、ええと…」
「ふふ、遠慮深い方ですのね。
…では、タクトさんは今わたくしからの贈り物を受けとることによって経済を回している、と考えてはいかがでしょうか?」
「経済を?」
「えぇ。タクトさんが受け取ってくださることによって、今いるデザイナーの皆様はもちろん、これらの生地を作った方々など様々な方が恩恵を受けますの。
そして、その恩恵はまた別のところに巡っていく。
富めるものがお金を使わず貯め込んでしまえば、それだけ経済は滞ってしまいますわ。それはガーネンシア家としても望ましくはありません」
この課金をすることで、私は経済を回しているのだ…と前のヴィオラは常々散財する自分に言い聞かせていた。この課金を、公式へのお布施をすることで、公式が潤いまた様々な推しになって還元されていく。そう考えればもはやこれは投資。
「は、はぁ」
「ふふ、あまりピンとこないでしょうか。
ようは、タクトさんがこれを受け取ってくださった方が、みんな幸せ、ということですわ」
「えぇと、皆さんが喜んでくださるなら」
「えぇ、是非受け取ってくださいまし」
ごり押した。
何はともあれ受けとることを了承さえしてくれれば、あとは気のすむまでジャンジャン貢いでしまえばよい。
「では、この案で仕立てて参りますわ。明後日には試着ができるかと思います」
「えぇ、よろしくねコーデリア。
タクトさんも経済を回すためにもほしいものがあればなんでもおっしゃってくださいね」
意訳すると『貢がせてください』なのだが、流石にそこまでは悟られなかったようで、タクトは曖昧に頷いた。
服の仕立てが終われば次はマナーとダンスのレッスンだ。
ヴィオラには仕事もあるため付きっきりにはなれないものの、婚約者としてダンスの練習相手はキッチリつとめる予定だ。
あと一週間でどれだけ仕上げられるか。
それはもうタクトの双肩にかかっているのである。
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