5 少年の憂鬱
タクトはあてがわれた自室で目を覚ました。
実家に居た頃からは考えられないようなフカフカの大きなベッド。キレイに洗濯されたシーツは肌触りがよく、目を開けて最初に目に入った天井にはシミ一つない。辺りを見渡せば、これまた実家に居た頃は見たこともないような上品な調度品が並んでいる。正直、なにかの拍子に壊してしまわないか気が気でなかった。
ただ、正直に言えば「気が気でない」というのはすぐ上の双子の兄たちが揃って学校に合格してからずっとそうだ。
あの頃から徐々に、タクトはカネスキー家の無駄飯食らいという扱いになった。エリートの道を歩む兄たちに、誠心誠意従う下僕のようなもの。使用人に払う金がもったいないからと、家事雑務は全てタクトに振り分けられ、時には学校でうまくいかなかった兄たちの八つ当たりの的にされたりもした。見栄で通わされていた学校が唯一の安らぎだったといっても過言ではない。たかが一代貴族の息子とけなして自分を大きく見せようとする輩は後を絶たなかったが、それでも手を出されたり何かを言いつけてくることはなかったからだ。
(それなのに、なんでこんなことになっているんだろう…)
学校を卒業するまでだ、と自分に言い聞かせて心を殺す毎日。それは唐突に終わりを告げた。
下級貴族の自分でも名前だけは聞いたことのある雲の上の人に見初められて、婚約者としてその人の家に住む。複雑そうな顔をした両親から決定事項として聞かせられたことだ。両親の複雑そうな表情はあの侯爵家と繋がりが出来たという嬉しさと、今後雑務を任せる人間を雇わなければというめんどくささから構成されている。
一方少年自身はと言えば、この婚約は身売りだと解釈していた。
というのも、婚約の噂を聞いた学校の人間たちにこぞって言われたからだ。
『侯爵家の女領主と言えば鉄面皮として名高い行き遅れ。お前みたいな格下一代貴族なんか金でどうにでもなるもんな』
『せいぜい女領主サマに媚びを売っておけよ』
『みんな所詮お飾りに過ぎない未来のダンナサマに何ムキになっているんだよ。取り柄が一つもないコイツなんかどうせお飾りで、本命の恋人がいるんだろ? その女領主サマにはさぁ』
どれもこれも不敬にもほどがある内容だが、なるほど、と納得したのも事実だ。
どの教科を見ても成績が目立って良いわけでなく、家で言いつけられる用事のせいで学外活動に参加できた試しはない。どこからどう見ても平凡な自分が選ばれたのは何かの間違いだとタクト自身も思っていたからだ。
更にネチネチと言いつのってくるクラスメイトを横目に、重いため息を吐いたのを覚えている。
(暗い顔してちゃダメなんだけどな)
家にいた頃よりも神経を尖らせなければ。
万が一にも女領主の機嫌を損ねてしまえば、自分は実家に帰されてしまうかもしれない。そうなったら家族の八つ当たりがどのくらいになるか想像もできない。最悪、命が無くなる。そうでなくても、五体満足でいられるか怪しいものだ。
そうならないためにも、タクトは自分を売り込まなければならない。だが、それがどうにもならないため途方に暮れている。どうにかして気に入ってもらおうと思って屋敷にきた日は、彼女は会議だとかで会えずじまい。会えたのは翌日の朝食時で、しかも食べなれない高級そうな朝食(男爵家では、そもそもあまり食事らしい食事をとった覚えがなかった)のせいでお腹が痛くなってしまった。おかげできちんと話すことが出来ずじまいだ。
せめて侯爵家の婚約者として恥ずかしくない振る舞いを、とは思うもののどこから手を付けてよいやら皆目見当がつかなかった。
「タクトさま、起きていらっしゃいますか?」
「あ、はい! すみません、すぐ行きます!」
ぼんやりと考え込んでいるうちに、結構な時間がたっていたようだ。
一代貴族の息子などただの平民にも関わらず、メイド頭だと言っていたマリアはとても誠実に世話をしてくれている。あまりグズグズしていると着替えを手伝われかねない。実際、この屋敷にきた初日は風呂を手伝われそうになったくらいだ。位の高い貴族様はそういうものなのかもしれないが、一代貴族の息子にとっては途方もない羞恥だ。平身低頭お願いして一人で風呂やら身支度をさせてもらっている。それにメイドたちは不満そうだったが、そこはどうしても譲れなかった。
そんなわけで、大急ぎで制服に着替えて部屋の外へ出る。
「おはようございます、タクトさま」
「おはようございます、マリアさん。起こしてくださって、ありがとうございます」
「お礼など言う必要はありませんよ。昨晩は良く眠れましたか?」
「はい、ぐっすりと」
「それはようございました」
他愛ない話にも緊張しながら、タクトは朝の身支度を完成させて朝食に向かう。普段食べなれないだけに、またお腹を痛くしないかヒヤヒヤしていると、マリアが苦笑した。
「ヴィオラ様と一緒であまり朝食は食べなれておられないようですね」
「え、あ、はい。…ヴィオラ様もなのですか?」
かなり意外な事実に目を丸くする。
名ばかり貴族と違って生まれも育ちも高貴な方なのだから、普段の朝食はもっと豪華なものだと思っていた。
「えぇ。仕事仕事と根をつめてらっしゃいますから…。
ただ、タクト様がいらしてからきちんと朝食をとるようになられましたので、メイド一同安心しているところなのですよ。
仕事が詰まっていてあまり会えないのだから食事だけでもご一緒したい、とのことで」
「そんな…僕に気を使わなくても」
正直に言えば、どうすれば気に入ってもらえるかもわからない現状で相手をするのは怖い。
あと、食べなれない食事で腹痛も怖い。
「いえ、この習慣は是非続けていただかなくては。食事を疎かにしていてはいつ体を壊すかわかったものではありませんもの。
というわけで、できるだけ胃に優しいものを用意させますので、タクト様も協力してくださいまし。タクト様がいらっしゃるのであればヴィオラ様も食卓につくようですから」
「あ、はい…。わかりました」
女手一つで領地を治める年若い女領主様。その方の健康のため、とあらば断る方が悪者だ。タクトに頷く以外の選択肢などありはしない。
これから毎日の食事が有難いものの、胃に良くなさそうだと思うタクトだった。
マリアに案内されて食堂に向かう。そこにはすでにこの屋敷の女主人の姿があった。軽く朝の挨拶をして席につく。学校の連中に鉄面皮などと揶揄されていた彼女だが、柔らかな笑顔で迎えてくれた。
(普通にきれいな人だと思うんだけどな。社交界の場になると違うのだろうか)
今朝の朝食は、根菜のポタージュに甘めの柔らかいパンだった。これくらいならなんとかなりそうだと安堵する。
実は朝食をとる習慣のない女領主も同じように胸を撫で下ろしていたのだが、タクトはそれには気づいていない。
あまり会話の弾まない朝食の一コマ。
婚約者とは言えやはりまだまだ名だけが先行しているような状況だ。会話をしなければ相手の好みもわからないが、その会話の糸口がつかめない。
そういえば、自分はまともな会話というものをしたことがない、とタクトは思い至って恥ずかしくなる。
(ほんと、どうして婚約者に選ばれたんだろう。
いや、ずっとあの家にいるよりは良かったんだけど…)
せめてマナー違反にならないようにと緊張しながら食事をする。たぶん優しい味がする朝食なのだろうけれど、緊張しすぎてよくわからなかった。
おそらく目に見える大きな失敗はしていないだろう、と安堵していたところ、ヴィオラから声をかけられた。
「そういえば…タクトさんの学校のことで少し相談があるのですけれども…」
「は、はい! なんでしょう?」
タクトの成績はお世辞にも良いとは言えない。
そのことで何か不興を買ってしまうのでは、と思ったのだが、かけられた言葉は予想の斜め上だった。
「えぇと…大変恐縮なのですが、転校してもらえないかと思いまして」
「転校…ですか?」
「えぇ。今の学校にお友達がいらっしゃるとは思うのですが…」
そこまで言われて思い至った。
タクトが通っている学校は言わば貴族の見栄のための学校である。中にはきちんと優秀な学生もいて国の研究機関などに所属する人もいるが、大半は「貴族としての教養を身に付けました」という体裁を整えるだけにすぎない形だけのものだ。
侯爵家の婚約者が、そんなところを母校としているというのは恥以外のなんでもないだろう。
「いえ、お気遣いなく。友達もあまり多くはありませんでしたし。侯爵家のためになることを学べるのでしたら僕はどこでも」
「そう仰っていただけると助かりますわ。
では、あちらの学校は休校ということで。編入試験がありますから、試験日までは家庭教師を雇うことにいたしましょう。
マリア、あとはよろしくね」
「はい。万事抜かりなく」
恐らく、この流れは決まっていたことだ。
ならばタクトが何を言っても特に意味はない。タクト自身も学校に未練があったわけではないのでそこは構わない。
(でも、勉強か。嫌いなわけじゃないけど、馴染みがないんだよな)
学校の勉強よりも家の雑事を完璧にこなせ、と言われてずっとやってきたため、机に向かう習慣がまずない。それに上流貴族が通う学校であればマナーやダンスなども必要になってくるだろう。学校は学ぶ場所ではあるが、その学びを得るためにも最低限の知識がなければならない。今から家庭教師をつけてもらったところで、その水準に達することができるかわからない。それでも、やる以外の選択肢はタクトにはない。
思えばずっと、選択など出来た試しがない人生だ、と苦笑した。
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