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夕方になる前には離宮には戻っておきたい。
なんて言ったって、パーティーの準備を一つもしていない。
正直、ここで油を売っている暇なんてなかった。……かといって、私がこの数日で離宮の中で急遽動いたとしても、忠実な味方が増えるわけではない。
圧力でおさえた薄っぺらい味方などいらないもの。
どうせなら、変化を生みやすい方に時間を割いた方が良い。
……が、私の命がかかっている。
どうにかしないと。明日のパーティーまでの残りの時間は離宮で過ごそう。
私はなんとか書物を書き終えて、それをジャスミンに渡した。そして、最後に医者に挨拶をしておこうと彼の居場所を聞いた。
ジャスミンは困った表情を浮かべながら、外でストレッチの指導をしていたミアを呼ぶ。
「ミアさん! 先生を呼んできてくれますか?」
どうしてミア? ……看護師のジャスミンが呼べばいいのに。
ミアはジャスミンの声に反応して、こっちへと駆け足で来る。
ジャスミンは「お願い」とミアに申し訳なさそうに言う。ミアは小さくため息をつく。
「あの人、意外とプライド高いんですよね……」
ミアのため息の対象は医者に対してなのね。
「私も一緒に行くわ」
ジャスミンはミアを不憫そうに見て、そう言った。ジャスミンとミアは医者がいる部屋へと向かう。
「……もうここには戻ってこないの?」
二人を見送っていると、昨日洗濯している時に会話した女性が近づいてきた。ニコニコして私に話しかける彼女はもうすっかり元気に見えた。
「もうここには私は必要ないので」
「自分勝手ね」
「気ままなので」
私は聖女じゃない。皆が完全に回復するまでここに留まったりはしない。
女性はフッと柔らかく笑う。三十代半ばぐらいの人だろうか、彼女の穏やかさの中に貫禄を感じる。
「嘘よ。貴女は女神みたいだわ。一瞬だけ人間の様子を覗きにきて、すぐに消える。……魅力的な人ね」
……女神。
初めて言われたわ。
私はじっと女性を見つめた。
「早く来てください。アリシア様が待っているんですよ」
圧を感じるミアの声に私は彼女の方へと視線を向けた。彼女の後ろから医者がとぼとぼと歩いてくる。
「ありがとう、女神様」
女性の朗らかな声が耳に響いた。彼女はミアたちが来たのと同時に、この場を去った。
私はお礼を言われるようなタイプじゃない。……けど、悪くないわね。
「連れてきました」
ミアの後ろから医者が現れる。前に会った時よりも活気がない。
なんか、医者が患者側になったわね。
「ずっと姿を現さないなんて失礼です」
「……悔しかったのだ」
ミアの強い口調に医者は口を開いた。




