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私は彼のどこか悲しみに覆われた瞳を見て、声を発した。
「貴方の腕がいいから、他の病気を患っている方や怪我を負った方がいないんでしょ」
医者は私の言葉に少し固まって、すぐに朗らかに笑った。
「…………君に任せてみよう」
「ありがとうございます」
私は少し頭を下げてお礼を言った。
「じゃあ、まずは先ほど言った通りに皆さん立ってください」
私は顔を上げて、もう一度患者たちに向かって声を出す。
「なんで私たちが貴女の言うことを聞かないといけないのよ……」
「放っておいてちょうだい」
「よそ者の言うことなんて聞くものですか」
「俺らに指図するなんて、百年早いんだよ、小娘!」
……意外と野次が少ない。
もっと、色々と言われると思っていたのに……。よっぽど気力を失っているのね。
医者と看護師は難しい顔をして、彼らを見ている。
「『立て』と言っているんです。聞こえませんでしたか?」
私はこの場に圧をかける。魔力で場の空気が変わる。
私は善人なんかじゃない。時には恐怖心すらも私は利用するわよ。
「もう一度言います。立てる者はその場に立ちなさい」
私の声に従って、徐々に患者たちはその場に立ち上がる。毛布にくるまっていた人もベッドから出る。
……ようやく動いてくれた。
「貴女、名は?」
「ジャスミンと申します」
看護師はそう名乗った。
「ジャスミン、椅子を外に一つ用意して」
「……分かりました」
一瞬不思議そうな表情を浮かべていたが、すぐに彼女は動き出してくれる。
「みんな、外に出て」
私は皆に向かってそう言った。さっきの私の圧が効いたのか、患者たちは指示に従ってくれる。彼らが動くことによって、この部屋のゴミが舞う。
……本当によくこんな不衛生な場所で過ごせたわね。
きっと、医者も看護師も優しい人なのだろう。ここにいる患者たちの相手を一人一人していたはずだ。
……そりゃ、掃除にまで手が回らないはずだわ。
それに相当な心身への疲労があっただろう。
だからこそ、医者も医務室での私の自由な行動を許してくれたのかもしれない。
ミアは扉を開けて待っている。列を作って、患者たちはブツブツと文句を言いながら、医務室の外へと出る。
「動きたくない」
「動けるのなら、動きなさい。私は優しくはないのよ」
私はそう言って、髪がぼさぼさになっている女性を無理やり起こす。
彼女は不服そうな顔を浮かべながらも、部屋の外へとゆっくり足を進めた。
……後は、足に怪我を負っている人だけ。
私は彼の方へと近づき、右足に包帯がぐるぐると分厚く巻かれていることを確認する。
随分と高齢な方だ。白髪に皺だらけの手、胸元まで伸びてる立派な髭、目はもうほとんど開いていない。
背中はまんまるとしており、小さく見えた。