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離宮で、服に関してここまで信頼されているレーネもすごい。私は愛人へと視線を戻す。彼女は今にも泣きだしそうなほど感情が高ぶっていた。
「許さない! この女! デューク様の女だからって調子に乗って! どうせそうやって威張っていられるのも今のうちよ! ローザ様とのゲームに負けて、泣き喚くに決まってるわ!」
目を吊り上げて起こる彼女は今度は助手のリラに視線を向ける。
「貴女もよ! 頭を地面につけて私に謝る日がくるわ! 床がすり減るほど謝らせてやる!」
リラを睨んだ後は、レーネへと視線を移した。
「そして、貴女」
彼女はゆっくりと息を吸い、一気に言葉を吐き出した。
「貴族の血が流れていても所詮は下民であることを忘れないで。離宮に入れることがどれだけありがたいことだったか身をもって分からせてあげる! 高貴な血が流れている貴女と私じゃ格が違うのよ。この私を怒らせるとどれだけ怖いか!」
リラは少し怯えているように見えたけど、レーネは堂々としていた。愛人に対して恐怖を少しも感じていない。
「ねぇ、あの人ってそんなに離宮では偉いの?」
「……王子の「妻」候補ですから、そこそこ。ただ、まだ愛人なので……」
ミアに小さな声で質問をすると、彼女は耳元でそう囁いた。
なんだか権力でしか威張れない人って可哀想だわ……。
私はそんな哀れみの目を愛人に対して向けた。私の視線に反応して愛人は「何よその目」とまた私の方へと向く。
そんなに怒っていたら疲れるでしょう。声も沢山出して……。
「鬱陶しくて」
私は彼女に満面の笑みで笑いかけた。
私の笑顔でその場の空気は一瞬固まった。少しして、レーネがフッと小さく吹き出すように笑った。
愛人は目を大きく見開く。
「は?」
「貴女の怒りの発端は彼女に服を触れられたことに激怒したんでしょ? 離宮に訪れている仕立て屋に服を触られて激怒するって……」
私は嘲笑するように彼女を鼻で笑う。
「私の服を触って良いのはレーネだけと決まっているのよ。勝手に下民に触れられるなんて」
「『下民』ってさっきから言っているけど、何をもって彼女は『下民』なの?」
「高貴な血が流れている私と彼女は住んでいる世界が違うのよ。私は一線を引いているだけ。……むしろ、下民が夢など抱かぬように、その一線を教えてあげているんだから感謝してほしいぐらいだわ。」
どうしよう。彼女の言っていることが少しも理解できないわ。
私ってば、本当にこの離宮に向いていないわ。……剣で戦える相手だったら良かったのに。
「何かずっと勘違いして話しているようだけど、血に偉いもなにもないのよ。確かに貴女は貴族かもしれないけれど、だからといって、彼女を蔑んでいい理由にはならない」
愛人は何も言い返してこない。
「……そもそも、貴女は彼女を守る立場でなければならないはずでしょ?」
私はそう付け足した。
そんなことを言っても、彼女にはなにも響かないのでしょうけど。
「……こんな女と一緒にしないで」
なんとか言い返せた言葉がそれだけだったのだろう。彼女はリラに冷たい視線を向けながら、そう言った。
もう、ここまで愚かだとどうしようもないわね。私の大切な時間をこれ以上削られては困る。
「そう言って、下民を排除していけばいいわ。そしたら、最後に貴女が『下民』になるはずだから。……じゃあ、私はこれで。人に叱責している暇なんてないの」
私はそう言って、この場を後にする。
愛人は怒り疲れたのか、何も言ってこなくなった。ただ、最後に私を憎しみに覆われた目で見ていた。
……ああ! まさに悪女が向けられるべき目! 良い目をしているわ!
やっぱり、どこにいようとも悪女は貫くべきだわ。
私は満足気に去る。ミアは私の後ろをついてくる。
「彼女は何者だ?」
「どうやらデュルキス国からの賓客のようで……、私も詳しくは……」
レーネの言葉にリラがそう返すのが微かに聞こえた。




