682
「離宮の空気が変わった。……あの日から、どこかずっと重く暗かった離宮についに新たな風が吹いたか」
離宮の最も位の高い者がいる部屋に月光が差し込む。威厳と貫禄のある一人の年老いた女性が口を開いた。
彼女はもう立つことも歩くこともできない。ただ、車いすのようなものに座り、移動して、離宮で余生を過ごす。
「どうやら、その風はデュルキス国の者だったようですね」
彼女の隣で一人の侍女が呟く。王妃はその言葉にフッと小さく口角を上げた。
二人は夕食の騒動を人目のつかない所で一部始終見ていた。美しく強い黄金の瞳を持つ黒髪の少女に釘付けになった。
「私はずっとこの日を待っていた」
王妃の言葉が静かに部屋に響いた。
コンコンッと強く扉をノックする音で目が覚めた。
……まだ夜明け前よ?
私はベッドから立ちあがり、目を擦りながら扉を開ける。
「アリシア様、急いでご準備下さい」
そこには焦った様子のミアが立っていた。彼女は勢いよく部屋に入ってきて、服が置いてある棚を漁る。彼女の慌ただしい様子にようやく脳が覚醒してきた。
……え、何? 逃亡でもするの、私?
「ミア、夜逃げにしてはもう朝になるわよ」
私がそう言うと、ミアは顔を顰めた。
「イリーナ王妃がアリシア様をお呼びです」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。寝起きだから仕方がない。
「お会いになりたいとのことです」
「誰に?」
「アリシア様に」
「どうして」
「それは私も聞きたいです」
私はミアが選んだ服に気付けば、着替えさせられている。
王妃様とは面識が一度もない。昨日のローザの言葉通りなら、体調が悪いはず。……そんな状態で部外者の私に会ってもいいのかしら。
「王妃様ってどんな方?」
「とても明るい方ですね。性格はアメリア様に似ていますよ。ただ……、もう今は誰ともお会いになろうとしません」
ミアはそう言いながら、テキパキと私の身支度を整えてくれた。
誰とも会おうとしない王妃様が私に会いたいと言っているのだから、ミアは驚いたのだろう。
「では、皆が目を覚める前に参りましょう」
ああ、そうか。私が目立たないわけがない。起きてきた人たちに見つかると厄介だ。
……だから、この時間なのね。
「ねぇ、ミア」
「なんでしょう」
「問題は起こさないでください、って私に言ってたけど……、昨日含め、私はこれから問題を沢山起こすと思うわ」
こういうことは先に言っておいた方が良い。
ミアは私の言葉に少し固まった後に嬉しそうに笑った。
「前言撤回します。アリシア様が面倒を起こすのを待っています」




