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クシャナの瞳孔が開くのが分かった。
私の言葉に心が動いたのだろう。リガルの問題もライネルが片づけてくれるでしょうし……。
もう充分、頑張ったんじゃない? と言おうと思ったが、やめておいた。彼女が頑張り続けてきたことは、この村を見れば一目瞭然だ。人々に愛されて、これほど豊かな場所を作り上げていたんだもの。
「ここで自由になるのは、逃げではないだろうか?」
クシャナは低い声でそう言った。
一体どれほどの重責が彼女にのしかかっていたのかしら……。
私には到底想像できないものだろう。彼女の表情に心が締め付けられた。
「逃げればいいじゃない」
私は静かに呟いた。
「逃げても誰もクシャナを責めたりしないわよ。だって、みんなの記憶がなくなるんだもの」
嫌な言い方かもしれないけれど、クシャナは「自由になる」という選択を心の底から望んでいる。
だからこそ、選択肢を与えてあげたかった。……このまま森を去るなんて、彼女にとっては嫌なことかもしれないけれど。
「クシャナ」
私は口を閉ざしたままの彼女に出来るだけ柔らかく落ち着いた声で名を呼んだ。
こんなことを言っても、意味がないのかもしれないけれど、言わずにはいられなかった。
「老婆が自害したのは貴女のせいじゃない」
「……リリバアは、落ちていた小枝で、私の目の前で己の首を刺したんだ。『クシャナ、本当にすまなかった。愛してる』と」
「卑怯な人ね」
「ああ。私が止める間もなく、……一瞬の出来事だった。もしかしたら、私がすぐにリリバアに近付いていたら、助かったのかもしれない。……だが、身体が動かなかった。これほどの大惨事を起こした彼女を助けたいという気持ちが薄かったのかもしれない」
「そりゃ、助けたいなんて思わないわよ」
私は重い雰囲気を壊すような声のトーンで話を続けた。
「きっと私が殺してたわ。自害なんていう自己満足の死に方を選ばせないもの。……それに、クシャナに軽蔑の目を向け続けられることが彼女にとって死よりも苦しいことだったんじゃないかしら」
私の言葉にクシャナは眉間に小さく皺を寄せた。泣きたいのを堪えているように見えた。
森の女王でもこんな表情をするのだと、私は黙ったまま彼女を見つめていた。少しして、彼女はフッと小さく笑みを浮かべた。
「アリシアに殺される方がリリバアにとって屈辱的だったに違いない」
「そうね」
私は彼女の言葉に笑い返した。
その場にいたわけではないから、老婆の心情は分からない。放火をした動機も聞けないまま終わった。
もしかしたら、「シャルル」という男が関わっているのかもしれない。
けれど、そんなことは後で解決すればいい。今はクシャナの問題を解決しよう。
「もう自由になってもいいんじゃない?」
私はもう一度彼女にそう言った。




