590 ニ十歳 シーカー家長男 デューク
「ちょっと、主!?」
ボーっとしていたわけではないが、ティーカップを床に落としてしまった。
メルの声が自室に響く。音を立てて割れたはずのティーカップを見つめながら、どこかモヤッとする気持ちを口にした。
「……アリシアになにかあった気がする」
「流石に分かんないでしょ……。やっぱり、愛はパワーなの……?」
祖母について調べていた資料を俺は掴み、席を立った。
「ちょっとどこに行くの!?」
部屋を出ようとする俺に向かって、戸惑ったままのメルは高い声を上げる。
「父上のところだ」
「国王に話したって、今、アリシアを取り戻すことは無理だよ!」
「分かっている」
メルを睨むようにして、俺は静かにそう言った。
口調が鋭いことは俺にも分かった。メルが驚きと共に寂しそうな表情を浮かべた。
ああ、この目。……アリシアと出会う前の母の死で感情を持たなかった時によく向けられていた目だ。
メルは何か言いたそうだったが、俺はそれを無視して、この場を去った。
デュークがいなくなった部屋でメルの声が弱々しく響いた。
「どうしよう、また主が昔に戻っちゃった」
コンコンッと国王がいる部屋の扉をノックした。
誰だ、という父の声に「俺です」と答える。少し間があった後に、「入れ」と扉の奥から重い声が聞こえた。
きっと、父も俺がここに来た理由を察しているのだろう。
俺はスッと軽く息を吸い、部屋の中へと入る。険しい表情を浮かべている父と対峙する。
立派な部屋に上質の衣裳を纏う王。……父のことは好きだが、王としてはあまり評価をしていない。アリシアに対しての処置があまりにも雑だ。
もちろん、アリシアのことはかなり認めているし、尊敬もしているだろう。だが、聖女に意識が向きすぎている。
……聖女の存在がこの国にとって大きいことは分かる。俺がアリシアに惚れていなければ、なんとも思わなかったのだろう。だが、ウィリアムズ・アリシアは、この身がどうなろうとも守りたい女だ。
「無意識に私に敵意を向けているだろう」
父はゆっくりとそう口にした。俺は少し驚きながら「いえ」と答える。
俺の態度はいつもと変わらない。感情も抑えているのに、どうして分かったのだろう。
「この部屋がさっきより寒くなったからな」
父はそう言って、苦笑した。
「……すみません」
「いや、気にするな。お前が怒って当然だ」
「…………父上は」
俺はそこまで言いかけて、口を閉ざした。
何を口にすればいいのだろうか。アリシアのこと? 祖母のこと? それとも母のことか?
父と腹を割って話したことはない。だからこそ、今、感情が乱れている状態で会話するのが難しい。
今まで、どうやって父と会話してきたのだろう。




