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私は蝶からヘンリお兄様の方へと視線を戻す。
ヘンリお兄様は暫く固まって、私をじっと見つめていた。
自分の意志決定を裏切りたくないもの。だからこそ、私は「こんな時にも悪女らしく」なんて馬鹿みたいと思う瞬間ですらも貫いてみせる。
その信念が時に肯定的でなくても、私の生きる道を後押ししてくれる。信念に固執しすぎるのは良くないけれど、固執しないよりかは良いと思っている。
「そんな日が来ないことを心から祈っているよ」
ヘンリお兄様のその言葉はとても温かかった。妹の歩む先が幸せであれ、と心から思ってくれていることが伝わる。
「私も祈っています」
少し首を傾げるヘンリお兄様に私は柔らかく笑みを浮かべた。
「ヘンリお兄様の未来に煌めきがあることを」
「……ありがたいねぇ」
表情を緩めるが、どこか他人事のようにそう言ったヘンリお兄様の目を見据える。
煌めいていますように、ではない。煌めきがあることを祈っているのだ。だって、ヘンリお兄様は……。
「この世界に煌めきがあるなんて思っていないもの」
「俺が? ……アリシアの目には俺がそんなに擦れ切っているか?」
笑いながら答えるヘンリお兄様に私は「ええ」と返す。
「ヘンリお兄様は楽しむ側でしょ。心揺さぶられるような出来事に直面したことがないから、アランお兄さまとも激しいぶつかり合いなどはしなかったのだと思いますよ。アランお兄様の場合は、リズさんという爆弾が心に落ちたことによって、ヘンリお兄様に対して敵対していたけれど、ヘンリお兄様は別にそうではなかったじゃないですか。……ああ、でも、ずっと私の味方でいてくれたことにはとても感謝していますわ」
「楽しんでいたら、擦れ切ってはいないだろう? ただ、問題を解決したり、行動を起こすことをしようともしたいとも思わないだけだよ。アリシアを見ていると面白いし、とても日常が楽しくなったよ」
「ご自身のことに関してです。私越しのフィルターで見る世界でなく、ヘンリお兄様の目で見ている景色は煌めいていますか?」
ヘンリお兄様の方がアランお兄様より大人で落ち着いていた、ということは一旦置いている。
この兄弟の中で最も何を考えているのか分からないのが、ヘンリお兄様だ。感情を隠すのが本当に上手いのだと思う。
きっと、普段それを言及しても「俺は何も考えていないだけだから」と返ってくるに違いない。だからこそ、今のこの時間がとても大切だ。
一番お世話になったお兄様だもの。良い別れにしたいわ。
ヘンリお兄様は何も答えない。私はまた別の質問を投げかけた。
「では、私も質問を返します。ヘンリお兄様が絶望する時はいつですか?」
「……絶望なんて俺はしないんじゃないのか。擦れ切っているからこそ、絶望も希望もなにもないんだよ」
良い言葉、と思った。
……だからこそ、私はヘンリお兄様の未来に煌めきがあってほしいと思ったのだろう。
「素敵ですね」
私は本心でそう言った。




