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彼女は何も言い返さなかった。
ハリスもメリーも何も持っていない状態で出会っていれば少し変わっていたかもしれない。
……たらればの話をしたところで意味ないのだけれど。
「アリシア様、本当にありがとうございました。この店の商品を守って下さり感謝してもしきれません」
暫く沈黙が続いた後、店主はとても深く私にお辞儀をした。
……感謝されることをした覚えはない。私はただ彼らの態度に腹が立っただけ。
私はコソッとジルに「どうしよ、感謝されちゃった」と伝えると、ジルは「当たり前だよ」と少し呆れたように返してきた。
けど、私も言いたいこと言えてスッキリしたし、ウィンウィンってことで……。
「こちらこそ」
一応私も令嬢だし、何事もなかったように振舞っておこう。こういう時は短い返事で充分だ。
店主はゆっくりと顔を上げた。その瞳はどこか潤って見えた。
きっと彼は私が何もしなくてもハリスたちの対応を上手くこなしていたと思う。私は彼を見ながらそんな風に思った。
「本当に愚息が大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません」
会長が店主に向かって頭を下げる。
彼は本当にやり手のビジネスマンなのだろう。……息子をちゃんと商会の一員として育てることが出来なかったのが非常に惜しく思える。
色々な苦難を乗り越えてきたけれど、息子との関係は上手くいかなかったパターン……、ありがちだわ。
「じゃあ、私はここで」
これ以上長居してもしょうがない。
店の外には人が集まっているけれど、今出ないとどんどん人が増えていきそうな気がする。
私が店から立ち去ろうとすると、イザベラの声が耳に響いた。
「待ってください」
彼女の方へと視線を向ける。
「あの、……お礼をさせてください」
「お礼? 別にいらな」
「それでも! 私はアリシア様に助けてもらいました。この店の恩人でございます。アリシア様のハンカチを私に作らせていただけませんか? お願いします!」
深く頭を下げる彼女を拒絶することなど出来ない。
私は「お言葉に甘えて」と微笑んだ。別に人の好意をわざわざ踏みにじる必要はない。
「では」
ジルと私は扉の方へと向かい、軽く会長に頭を下げた。
彼はスッと私に名刺を渡し、耳打ちした。
「何か聞きたいことがあればいつでも」
私は静かに名刺を受け取った。
真っ白い名刺に黒い文字で「オージェス・ゴードン」と書かれていた。シンプルな名刺だけど、彼から名刺を貰えるなんてとても貴重なものだと思えた。
「例えば?」
「そうですね、……国王の母君についてとか」
私が「え」と聞き返すと、「ではまた」と流されてしまった。私はそのまま店を出てしまった。
街の人々が私に注目しているのさえ気付かず、私はぼーっと店の前で立ち尽くしていた。