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ジルが部屋を出て行って暫くすると、ルークが部屋に入って来た。
「兄上、体調はどうですか?」
心配そうな深い青色の瞳の中に、瘦せこけた自分の姿が映る。手に持っていた空の瓶を彼に見せる。
ルークは不思議そうな表情でじっと瓶を見つめた。
「……なんですか、これ」
「ジルが持ってきた斑点病の治療薬だ」
「……治療薬? で、でもマディを手に入れないと……」
ルークが目を見開いて戸惑いながら空の瓶を受け取る。
「三つの植物を使って、作りおった。信じられるか? あんな小さな少年がわしの為に常識を覆したんだ」
「そんな……本当に完成したのなら偉業です。……兄上はそれを飲んだのですか? 治験もせずに」
「間違いなくあれは成功品だ」
ルークを落ち着かせる為に静かにそう言った。
マディと同じ成分を作り出すなんて並大抵のことじゃない。それをあの子はやり遂げたのだ。
治療薬を飲んでから、少し全身の痛みが和らいだ。即効性がある。
弱り切った体を起こすことは難しいが、さっきより話すのが楽になった。
「で、ですが、もう兄上は……」
「ああ、助からない」
確かな声でそう言うと、ルークは口を閉ざした。
もういつあの世に行ってもおかしくない状態だった。なんなら、生きていることが不思議なぐらいだ。ただ、ジル、あの子の側にはまだわしが必要だと思う一心で息をしていた。
だが、もうそれも終わりだ。彼には沢山仲間がいる。一人じゃない。
薬を飲んでも、末期の状態から完全に復活するのは難しい。ただ、ほんの少しだけ寿命が延びた気がする。
「これからジルは多くの者を救うだろう。これは奇跡の薬だ。歴史に名を残し、ジルという名は誰もが知るようになる。かつてあの村で捨てられ死にそうになっていた少年が、そのうち世界から求められる者となる。わしが生きているうちにそれを見届けられないのが残念だが……」
「……彼に伝えなくてもいいのですか?」
ルークは眉間に皺を寄せて切なそうにそう言った。
「ジルも心の中では分かっておる。ただ、まだわしの死を受け入れる準備が出来ていないだけだ」
ジルにはもうわしだけでなく、他の居場所がある。
これから沢山の困難に立ち向かわなければならないかもしれないが、彼は大丈夫だ。初めて彼を見た時から、生きたいと思う強い意志がずっと瞳に宿っている。
「心配することはもうなにもない」
「…………そう言えば、デュークがアリシアの元へ行きました。止めても無駄でした」
「そうか。……今のうちに少しぐらい彼に自由を与えるのが良い。あの二人が築き上げる国を見てみたかった」
「私は、兄上が築き上げた国を見たかったです」
ルークはわしをじっと見つめながらそう言った。まだ死なないで下さい、とその瞳が語っていた。
彼ももう大人になったと思っていたが、まだ子どもだったようだ。
ルークの母ジュリーは今何をしているのだろう、とふと気になった。これからジル、アリシア、そしてデューク達の障害となるだろう。
彼女が裏で何か企んでいる限り、彼らはその問題に立ち向かわなければならない。
「……アリシアはアメリアに似ていますね」
ルークの言葉で亡くなった正妃を思い出す。デュルキス国に嫁いできたメルビン国の姫。そして、デュークの母親でもある。
外交をしないこの国が唯一繋がっていたのがメルビン国だった。
あまり彼女のことを知らないが、わしが魔力を失ってからルークの婚約者として彼女がデュルキス国を訪れたのを見かけたことがある。
「体は弱かったが、とても強くて賢い女性でした」
今もまだ彼女のことを愛しているのだと、その口調で分かった。
背が高く褐色肌で、真っ黒い髪を三つ編みで一つにまとめていた。肝が据わっており、明るくて美しい女性だった。
わしより年下なのに、どこか貫禄があったのを覚えている。
「あんな女性はこの世に一人だけだと思っていましたが、アリシアはそれを超えてきましたね」
ルークは懐かしそうに、そして寂しそうに笑みを浮かべた。
もう一度亡き妻に会いたいのだろう。考えてみればルークはずっと不憫だった。愛人の子どもだということで息苦しい環境だったはずだ。突然わしがいなくなり、自分を支えてくれて愛した妻を亡くし、この国を担うことになった。
「……昔アメリアが初めてこの国に来た時に少しだけ会話をしたことがある。この国に嫁ぐことが怖くないのか、と聞いた時、彼女は満面の笑みで、自分の子どもが魔法を使えるようになるなんて最高だ、と答えていた。その姿を今もずっと覚えている」
「彼女はそういう女性でした。正義感があり、信念を貫き、怖いもの知らず……。彼女が亡くなった日、私の心にぽっかりと穴が空きました。そして、また私は大切な人を失ってしまいそうだ」
ルークの声が微かに震えるのが分かった。
わしは何も言えなかった。とうの昔から自分の死は覚悟していた。だが、残される者はまだわしの死を覚悟できていない。
ジルもルークも、わしに囚われず前に進んで欲しい。




