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僕は部屋に入った瞬間、衝撃を受けた。
……こんなじっちゃんを見たことがない。
現実から逃げたかったが、僕はゆっくりとベッドの上で横たわっているじっちゃんの方へと近づいていく。
以前までの元気な姿はもうどこにもなかった。緑色の斑点が顔にまで現れていた。体重が随分落ちたのか、頬はこけており、目は少し虚ろになっていた。
人のやつれた姿や憔悴しきった姿、死体も今まで見てきたことがある。貧困村はそんな人たちばかりがいる場所だった。
そんな光景に慣れたと思っていたのに、いざじっちゃんの弱った姿を見ると、心が張り裂けそうだった。
じっちゃんは大きな枕の上に頭を置いたまま、僕に弱々しく微笑む。きっともう起き上がる力もないんだ。
年齢が高いほど、斑点病の進行はとても早くなる……。じっちゃんを見ながら僕は改めて実感する。
「ごめん、なさい。どうしても会いたくて……」
「こっちに来なさい」
僕を安心させるようにじっちゃんは柔らかな声でそう言って、ポンポンッとベッドの上を叩く。僕はそこに腰を下ろした。
「こんな姿で申し訳ない」
いつもより弱々しい声。じっちゃんが今にも消えてしまいそうな気がした。
「ううん。……あのね、薬完成したよ」
僕は治療薬の入った瓶をじっちゃんの方に向ける。アリシアと同じ黄金の瞳を散瞳したのが分かった。
「……マディを手に入れたのか?」
「リプシム、トルキス、そしてカランを融合させたんだ。……治験は出来ていないけど、これは絶対にマディと同じ成分だと思う」
僕は確かな声でじっちゃんに伝える。
彼はゆっくりと僕から瓶を受け取る。
……なんて細い手なんだ。
じっちゃんは、こんな姿になってもなお貧困村の住人の為に全力を注いでいる。
彼は片手で蓋を開けて、中に入っている薬の匂いを嗅ぐ。その所作一つ一つに僕の緊張は高まる。
「甘い香り、オレンジ色の液体……」とブツブツ呟きながら
彼の瞳が光るのが分かった。透き通るような黄金の瞳でじっと瓶を見つめる。
……アリシアの瞳は特別だと昔じっちゃんが言っていたのを思い出す。
鑑定みたいな能力があるのかな? ……それとも、ただの鑑識眼?
「本当に成功したんじゃな」
暫く沈黙が続いた後に、じっちゃんはゆっくりと口を開いた。その言葉に僕は胸を撫で下ろす。
「アリシアが大丈夫だって言っている」
じっちゃんは僕に笑みを向ける。
アリシアのお墨付きなら安心だ、と僕は言いたかったが、声にならなかった。ただ、涙をこらえながら笑うことしか出来なかった。
じっちゃんはそっと手を伸ばし、僕の頭に手を置いた。
……じっちゃんの手だ。僕の大好きな手。
「あんなに小さかった子供が……。大物になったな、ジル」
その言葉にずっと心を縛っていた何かが解けた。スゥッと熱いものが頬を伝う。
さっきまで泣きわめきそうになっていたのに……。こんなにも静かに涙って流れるものなんだ。
「僕、アリシアと肩を並べることが出来るかな?」
「最初からジルはアリシアと並んでいるよ」
僕を落ち着かせるように、じっちゃんは優しく頭を撫でてくれる。
ずっとこのままでいたい。
「じっちゃん、ちゃんとそれ飲んでよね」
少し明るい声でじっちゃんに向かってそう言った。じっちゃんはとても一瞬とても寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに僕を安心させるように微笑んでくれた。
……多くは望まない。ただ死ぬまでの時間を少しでも長く出来ればいいんだ。
僕は心の中で自分にそう言い聞かせる。
「ありがとう」
今までにないくらいの深い「ありがとう」という言葉に心が熱くなった。
きっと、このありがとうには沢山の意味が含まれている。
治療薬に対してだけでなく、じっちゃんが僕と出会ってからの全ての過程に感謝しているように思えた。




