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王宮につき、斑点病の薬が入った瓶を握りしめながらじっちゃんの部屋へと急ぐ。
早くしないと、という気持ちが強く、いつの間にか大股になっていた。王宮へは何度も来ているから、迷わずにじっちゃんの部屋へと足を進めることが出来る。
治療薬が完成したことへの興奮と、じっちゃんの元へ早く行かなければならない焦りで息が切れる。
じっちゃんの部屋が見えてきたぐらいで、ガチャッと扉が開く。
中からはヘンリが分厚い書類を持って、出てきた。
……ヘンリがどうしてここに?
僕は足を止めて、じっと彼を見つめた。僕の視線に気づいたのか、ヘンリと目が合う。
「ジル!」
彼は嬉しそうに笑みを浮かべて僕の方へと近づいてくる。
ずっと部屋に籠りっきりだった僕はヘンリとほとんど顔を合わせることはなかった。邪魔しないでおこうと彼が気を遣ってくれたのだと思う。
「元気だったか?」
同じ家に住んでいるのに、変な台詞だ。
「うん、元気だよ。……どうしてじっちゃんの部屋から出てきたの?」
「えっと……」
僕の質問にヘンリは言い淀む。
「何か隠してる?」
「いや、そうじゃないけど……。ただ……」
「ただ? じっちゃんと何してたの? その紙は何?」
僕はヘンリが逃げられないように、詰め寄る。彼はどこか諦めた様子で口を開いた。
「ウィル様から頂いた書類だよ」
ウィル様、という聞きなれない呼び方に少し違和感を感じながら、僕は黙ってヘンリの話を聞いた。
「……もうおそらく彼は長くない。だから、生きている間にしなければならないことを今必死にやっているんだ。これは、貧困村の住人をこの国で自立して生きていけるようにするために職業を与える為の資料やネイトやレベッカたちが調べ上げた村人たちの情報が詳細が書かれた書類などだ。勿論、もうすでにあの中にいた本当の罪人たちは別の場所に収容されている。本当に抜かりなく計画していて頭が上がらないよ」
ヘンリが淡々と話す言葉に僕はついていけなかった。
……僕のいない間にそこまで悪化していたの?
「部屋に入ってもいいかな」
ヘンリは僕の呟きに少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ウィル様は会いたがっていない。ジルに弱くなった姿を見られたくないそうだ」
「なんで! じっちゃんは僕のことが嫌いなの? 酷い! 酷過ぎるよ!」
僕は声を上げて、ヘンリに当たる。彼は何も言わない。
「元気じゃない姿を見せたくないって、僕は他人ってこと? どんな姿でも僕は受け入れるよ!」
「分からないのか? ジルにだけは弱い姿を見せたくないんだよ。アリシアとジルにだけはずっと憧れられていたいって気持ちが分からないのか? それがウィル様の願いなんだよ」
ヘンリが僕に初めて声を上げた。
彼の言いたいことは分かるけど、理解したくなかった。じっちゃんにもう会えないなんて嫌だ。
「そんなのただのエゴだよ! …………ねぇ、ヘンリ、僕ね、マディと同じ成分の薬を開発したんだよ」
え、とヘンリは目を見開く。言葉を失ったのか、口を開いたまま何も発さない。僕は感情を抑えながら、話を続けた。
「やっと、やっと完成したんだよ。だから、じっちゃんを助けるんだ。それから、沢山褒めてもらって……」
声が震える。涙をこらえながら僕は俯いた。
「確かに会いたくないなんて言うのはウィル様のエゴだな。お前の思いをぶつけてきてやれ。……けど、これだけは忘れないでくれ。ウィル様は誰よりもジルを大切に想っている」
ヘンリの温かい手が僕の頭を撫でる。
僕は色々な人によく頭を撫でられる。褒められているようで嬉しさで心が満たされる。
今まで一番僕の頭を撫でてくれたのは、じっちゃんだ。彼の手が誰よりも安心する。大きくてごわごわとしたあの手が僕を認めてくれる度に、頑張れた。
「会いに行ってくる」
ああ、とヘンリは優しい声で呟き、僕の頭から手を離した。
僕はじっちゃんの部屋の扉の前に立つ。さっきまで溢れ出しそうだった涙をグッと奥に引っ込めて、深呼吸する。
じっちゃんにめそめそした姿なんて見せられない。
気を引き締めて、ノックをせずにゆっくりと扉を開けた。
「……とんでもない偉業を成し遂げたな」
ヘンリが何かボソッと言ったが、聞き取れなかった。