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……あともう少しでマディが切れる。少し時間がかかったけど、なんとか崖から切り離すことが出来る。
問題はマディを持って、どうやってここを出るか。
小鳥になって無事マディを持って出ることも考えたけど、それだと傷つけてしまう可能性がある。ここでミスするなんて、ヴィクターやレオンに合わせる顔がない。
信じられている分、成功させないと……。
私はもう一度周りの毒植物に魔法をかける。せめて棘にさえ当たらないように少しだけ道を開けてくれればいい。
結構な魔力をかけているのに、びくともしない。……魔法を無効にする力があるのかしら。
斑点病にかかると死ぬしかないって言われる理由がよく分かる。マディも大事だけど、逆にこの毒植物も調べたくなってきたわ。
この意識が朦朧としてくる匂いから早く解放されたい。……なんだか魔力を吸い取られているみたい。
毒植物に魔法を無効にされ、治療薬となる花からは魔力を奪われる。絶対絶命じゃない。
「おい、あれを見ろ」
上からヴィクターの焦った声が聞こえた。
「さっきのクマの仲間ですかね?」
「鼻息の荒さはさっきより凄いぞ」
「ヴィクター王子を見て興奮してるんじゃないですか」
「やめろ」
上で何が起こっているのか分からないが、ヴィクターとレオンは案外冷静な会話をしている。
まぁ、あの二人だもの。心配しなくても大丈夫よね。むしろ彼らと戦う相手が気の毒に思えてきたわ。
とりあえず、今は自分のことに集中しないと。このままだと、この狭苦しいところで生涯を過ごすことになる。
マディの成分だけ摘出することが出来れば……。
そう思ったのと同時に、マディを囲っていた毒植物がゆっくりと動いていることに気付く。私をこのまま閉じ込めるように囲い始めた。
……嘘でしょ。内に動くんじゃなくて、外に動いてよ!
世の中ってそう甘くないのね。
出口がなくなるのはまずい。棘がもう少しで肌に当たりそう……。
もう、あれこれ考えている暇はない。スゥッと息を吸って、気合を入れる。
マディの花に魔法をかけて、一瞬で成分を摘出する。濃い橙色の液状が宙に浮かぶ。それを植物の隙間から外に出す。私は小鳥に戻り、間一髪でその場から抜け出すことが出来た。
気を抜く前に、私は液状になっているマディを固めて、キューブの形にする。さっきまで綺麗な花だったものがオレンジ色の立方体になる。
……魔法って凄いわね。これは自画自賛しても許されるわ。
ホッとしたのもつかの間、魔法が解けて、小鳥から元の人間の姿に戻る。一気に魔法を使い過ぎて、呼吸が浅くなる。
あ、やばい。落ちる。
さっきまで必死に羽を動かしていた腕が、見慣れた腕になっている。私は今までの努力を無駄にしないようにキューブに固めたマディを手に取り、ポケットの中に入れる。
これだけは何としても守らないと!
「主!」
「アリシア!」
レオンとヴィクターの声が耳に響き、崖の上へと視線を向ける。彼らが私を必死に見つめるその隣で、巨大な猪が倒れている。
……なにあれ、あんな大きな猪見たことないわ。さっきクマ仲間って言ってたのってあれのこと? ……というか、あんな桁違いの大きさの猪をたった二人で倒せたのね。
今から死ぬかもしれないのに、私は呑気に感心していた。
私は絶対に死ぬことはないという自負があったけど、人ってあっさり死ぬのね。自分の力を過信しすぎていたのかもしれないわ。
もう、今の私に使える魔力も体力もない。いつもなら絶対になんとかしてみせるって思うのに、あまりの倦怠感に何も思いつかない。ただ落ち続けることしか出来ない。
マディに魔力さえ奪われなかったら、この状況を打破できたのかもしれないのに……。
世界がスローモーションに見える。私だけにゆっくりと時間が流れている。
死ぬと覚悟した時、自分にとって最も大切な人を想うって聞いたことがある。
…………デューク様。
彼のことを思い浮かべる。もう二度と会えないなんて、寂しい。胸がギュッと締め付けられる。
デューク様がいたから、こんなにも私は自由になれた。きっと私は、私が想像している以上に彼に支えられていたのかもしれない。今になって、彼の大きな愛に気付く。
最期に一目でもいいから会いたかったわ。
崖の上から何か喚き声が聞こえてくる。何を言っているのかは聞こえないけど、何か揉めているようだ。
また、ヴィクターが怒鳴っているのかしら。こんな危険な目に遭ったのに、マディが手に入らなかったって苛立っているとか?
安心して、私が死守するわ。
ぼんやりと眺めていると、崖からとんでもないスピードで誰かが私の方へと向かって落ちてくる。快晴の空に、青い髪が靡く。
私はその信じられない光景に、目を見開く。
……デューク様!?!? 幻!?
私ったら、無意識のうちに死んでしまったの? こんなところにデューク様がいるなんておかしいもの!
彼のこんな必死な顔を見たことがない。私を助ける為なら自分の命など惜しくないという表情。
いつの間にか、大きな腕が私を包む。温かく、とても良い匂いがした。デューク様の匂いだわ。
状況を理解出来ないまま、森の中へと突っ込んで行った。