378 十六歳 ウィリアムズ家長女 アリシア
「これって、熊よね?」
私の言葉に隣でレオンとヴィクターが頷く。
「確かに熊ですね」
「これは熊だな」
私達は固まったまま、目の前にいる二メートルを優に超えた熊に釘付けになっている。
熊って、こんなに大きいのね……。実物は初めて見るわ。
絵本で描かれている可愛さを少しも感じない。想像していたよりも獰猛で危ない動物だ。
森に入って数分も経たないうちに野生の熊に出くわすなんて想定外だわ。マディを探すのは簡単じゃないことは分かっていたけれど、こんなにも危険だなんて思わなかった。
緊張感が漂う中、私は口を開く。
「どうするの?」
熊の瞳には殺気がこもっており、今にも私達を襲いそうだ。
「食べられる前に逃げたいところだな」
ヴィクターの発言に「賛成です」とレオンが反応する。
ただ、少しでも動いたら一発で私達が負ける可能性がある。馬を方向転換させている間に、私達がやられてしまうのは避けたい。
最初から魔法を使うのは少し気が引ける。この先、どんなことが起こるか分からないから、もしもの時の為に、魔力を温存しておきたい。
だって、この森、熊より危険な生物が沢山いそうなんだもの……。
私達が動けないでいると、熊が私達にいきなり襲い掛かってきた。体は大きいのに素早い動きに私達の判断が遅れる。
大きく口を開けて、鋭い歯がよく見える。一噛みで人間を簡単に殺せそうだ。
「やべえ」
ヴィクターの焦りを感じさせる呟きと共に私は魔法で熊をその場に停止させた。熊はその場から一歩も動けない。
無意識に魔法を使ってしまったけれど、これはどうしようもなかった。……これからこんなことの連続なのかしら。
そんなことを考えると、ゾッと鳥肌が立った。
私達、無事帰ることが出来るわよね……?
「危なかったわね」
レオンとヴィクターの方を見ると、助かったことに安堵するように、深く息を吐いた。
私がいなかったら、確実に一人は今頃死んでいた。
「魔法ってせこいよな」
「本当にせこいです。最強じゃないですか」
彼らの強張っていた顔が少しほぐれる。
私は苦笑しながら「否定できないわね」と答える。魔力を持たない人間からすると、魔力を持っている人間は憎まれ嫌われる存在だろう。時には邪魔だと思われるかもしれない。
……まさに悪女じゃない!
私ってば、この大国で名を馳せた悪女になっちゃうんじゃない?
「この熊、生きてるんだよな?」
「息はしているようなので、生きてると思います」
「どうするんだよ、これ。……このガキは俺達の話を全く聞いてないし」
「変わってる人って人の話を聞かないらしいです。主は変人なのでしょうがないですよ」
「俺と意見が合うじゃねえか」
……他にも悪女を目指す人がいたらどうしよう。魔法がない国の方が悪女になりやすいって考える人が増えるかもしれないわ。
でも、魔力があっても、努力しないと意味が無いし……。ライバルが出てきたらやっぱり正々堂々と勝負すべきよね。
「ガキ! リア! アリシア!」
ヴィクターの大きな声にハッと我に返る。
「な、なに?」
「なに? じゃねえよ。勝手に自分の世界に入るな。早くこいつをどうにかしろ」
ヴィクターの乱暴な口調に私は少しムッとしてしまう。
「どうしろってどうするのよ。私はこの熊を止めたんだから、後は王子がどうにかしてください」
「本当に生意気だな、お前。俺にこの熊と友達になれっていうのかよ」
「王子なら仲良く出来ると思いますよ。気性の荒いところがそっくりなので」
ヴィクターに向かって、私も負けじと反論する。ヴィクターは私の言葉に顔を引きつらせる。
「なッ……、お前の方がそいつと友達になれるんじゃねえのか。反抗的な目がそっくりだ!」
声を上げるヴィクターに、レオンが呆れたようにため息をつきながら呟く。
「え、ここで喧嘩するのかよ……。しかも、しょうもな」
……ごもっともだわ。まさか年下にこんな冷静に突っ込まれるなんて。
心なしか熊も私達の口論に呆れているように思えた。




