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店長はじっとヴィアンの目を見つめて、小さな声で「殿下」と口にした。
お互いの間に緊張感のある空気が流れる。私は黙って彼らの様子を見守った。
優しく肌を撫でるような風が窓から入ってくる。ふわりとカーテンが揺れる。
ヴィアンの艶のある金髪がサラサラとなびく。まるで映画のワンシーンみたい。
「今まで一度も見てくれなかっただろ」
ヴィアンの口調が男だ。店長は何も言わない。
「どうだ? お前の作ったドレスを着た私は……、気持ち悪いか?」
少し顔を歪めてそう聞いたヴィアンに対して、店長は驚いた表情をする。「そんなわけない」と言っているのが口に出さなくとも表情で感じられる。
……これは、お互いの思い違いがどこかであったってことかしら。
「私のドレス姿に興味無いって昔言っただろ。だが、お前は私以外の客のドレス姿は嬉しそうに見ていた。私に作ったドレスに自信がなかったのか? それとも、軽蔑はしないという素振りをしておいて、男のドレス姿なんて見れないと思ったのか?」
感情的になるヴィアンを見て、この店長とヴィアンの繋がりが強いのだと理解する。
私が口を挟むようなことじゃないけれど、ヴィアンの今着ているドレスは最高傑作だと思う。
ヴィアンのことをよく考えて作られたドレスだということが分かる。
暫くの沈黙の後、店長はようやく口を開いた。
「殿下の立場を考えたのです」
「……いつも通りの口調で構わない」
「わしは、一人の友人としてヴィアンに接するべきだった。だが、この国の第一王子の本当の姿は一般の民に見せてはならないものだと考えたのだ。わしが浅はかだった。そのせいでヴィアンを傷つけているとは考えもしなかった。気持ち悪いだって? ……ヴィアン、お前は世界で一番綺麗だ。俺のドレスを着ているんだぞ」
店長が視線でヴィアンに大きな全身が映る鏡の方を向くように示唆する。
ヴィアンはゆっくりと横を向いて、自分の姿を確認した。
彼の目にはどんな風に見えるんだろう。私には気の強そうな女神に見える。
ヴィアンの瞳が散瞳するのが分かった。静かに店長がヴィアンの方へと近寄る。
「どうだ? 美しいだろ?」
何も答えず、ヴィアンは黙って鏡の前に立ち尽くしている。
トラウマを克服しているような……ってそういうのってヒロインの仕事じゃない?
この国で悪女の名を轟かすのは難しそう。早く私の部隊を作りたいわ。
……この街に良い人材転がっていないかしら。
「ありがとう」
ヴィアンはそう呟いた。店長はその声を聞いて、とても満足そうに笑った。素敵な空間が広がる。
「あ、そう言えば!」
急に何か思い出したように店長は私の方を振り向いた。
「お嬢ちゃんの名は?」
……すっかり忘れていたわ!
「えっと、アリスです」
大変だわ。咄嗟にアリシアから派生させて女性らしい名前を呟いたけど、どんどん私の名前が多くなっていくじゃない。
普通にアリシアって名乗れば良かったのに……。私って馬鹿なの?
いや、待って。名前が沢山あるってスパイみたいでカッコいいじゃない!
「アリス、良い名前だ。わしはリルトン・ベンだ」
だからこの店の名前が『リルトン』なのね。私もウィリアムズって名前のお店出したいわ。
「目が見えないのにヴィアンに仕えているのかい?」
「はい。戦えるので」
私は口角を上げて答える。
「優秀な人材が自然と集まる者か」
その言葉はヴィアンに言っているはずなのに、ベンは真っすぐ私の目を見てそう言った。
……どこか私に対して言ったような気がしたのは気のせい?
ベンの茶色い瞳に、黒い縦ロールのウィッグをかぶり、サテンの布を目に巻いた私の顔が映る。
この人はきっと私がこの国で少し有名になったライオンと戦った少年だってことに気付いたわよね。
王宮で働いている目の見えない人間なんてそういない。
「そろそろ行くぞ」
そう言ってヴィアンはマントを着る。私もヴィアン同様マントをかぶり、顔が見えないようにする。
ベンの前だけど、ずっとこの喋り方なのね。
ヴィアンに続き、私が扉の方へと向かうと、ベンに腕を掴まれた。
「闘技場脱走した褐色肌の少年達の小さい方、斑点病の初期症状が出てるぞ」
彼は私の耳元でそう言った。
「どうしてそれを……」
そのことを私にわざわざ言うってことは、城の者が彼らを捕らえたことも知っているはず……。
普通のドレス職人じゃないってこと? だから、ヴィアンにもこんなに信頼されているのかも。
デュルキス国でいう植物屋のポールさんみたいな立ち位置なのかしら。
「それじゃあ、気をつけてな」
ベンが私の手を離す。
ヴィアンが扉を開けようとして、手を止める。そして、ベンの方を振り向いた。
「本当の私を作り上げてくれてありがとう、ベン」
その微笑みはきっと老若男女問わず、人々を魅了させるだろう。
なんて幸せそうに笑うのかしら。それにこの穏やかな口調はヴィヴィアンだ。
ベンの方を横目でちらりと見る。彼はただヴィアンの姿に釘付けになっていた。
きっと、ヴィアンのドレスを作った者として、言われて最も嬉しい言葉よね。
ヴィアンはマントを頭までかぶり、私達はその場を去った。




