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「アリシアには伝えないの?」
「……アリシアは聡い子だから、そのうち気付くかもしれない」
そう言って、じっちゃんは窓の外を眺める。
ラヴァール国にいるアリシアのことを誰もが想っている。彼女のことなんて考えたくなくても、皆アリシアのことが頭から離れない。
キャザー・リズだってそうだ。結局はずっとアリシアに縛られていた。
「だが、彼女はその理由でここに戻ることはないだろう」
「どうして?」
「わしがそれを望んでいないことを誰よりも知っているからな」
フッと優しく目を細めてじっちゃんは笑う。愛おしい孫に向けるような表情だ。
「けど、あのアリシアだよ? 情に厚い彼女が帰ってこないわけ」
「帰ってこないさ」
僕の言葉に被せるようにじっちゃんはハッキリとそう言った。
どうしてそこまでアリシアが自分の異変に気付いて帰ってこないと言い切れるのかが僕には分からない。
彼女はじっちゃんを誰よりも尊敬しているはずだ。彼女にとって家族のような人物だ。
アリシアはじっちゃんの元へ絶対に戻ってくる。だって、そういう人だもん。
もしかしたら、彼女ならじっちゃんを救ってくれるかもしれない。この病気を治せるかもしれない。
僕は微かな希望を抱く。すると僕の考えていることを察したのか、じっちゃんは口を開いた。
「ジル、アリシアは確かに聖女かもしれない。だが、聖女だからと言って何もかもできるわけじゃない。死にゆく人間を救うことは出来ない」
「で、でも」
「アリシアは自分のすべきことを分かっている。私に振り向いている場合ではない。もう私が彼女にしてやれることはない」
「そんなことないよ! それに僕は? まだまだじっちゃんに教えて欲しいこと沢山あるよ」
「ジルにはもう私は必要ない。周りを見るんだ。アリシアだけじゃない、デュークやヘンリ、沢山信頼できる人間がいるだろう?」
もうすぐ本当にあの世へと逝ってしまうような気がした。僕とのお別れの会話みたいに聞こえる。
……大丈夫、まだ死なない。じっちゃんは自分の仕事を成し遂げるまで決していなくならない。
僕は必死に自分にそう言い聞かせる。
「それにしても面白い人生だった」
じっちゃんの瞳に高く昇ってきた朝日が映る。僕はただ黙って、彼の話を聞いた。
「魔力がなくなり、両目を奪われ、貧困村に流刑されることも、その後、アリシアという存在に出会い、ジルという子どもを育て、貧困村を立て直し、元の世界へ戻れることなんて全く想像できなかった。アリシアやジルに出会えたおかげで、もう一度生きてみようという決心がついた」
「生きる?」
「人の生きるという定義は極めて難しい。呼吸して手足を動かすことが出来たら生きるということなのか? それとも、目標を決め、そこへ向かって無我夢中になっている時が生きるということか? 面白いことに人によって生きる定義は違う。ある人物は、恋愛することに生きる意味を見出しているかもしれないし、ある人物は働くことに生きる意味を見出しているかもしれない」
じっちゃんの言葉に僕は少し考える。
僕という人物はあの貧困村では死んでいた。アリシアに会うまでずっと死んでいたんだ。
じっちゃんもきっとそうだろう。貧困村へと追放になった時は全て諦めたはずだ。あそこは人間の『生きる』という概念を消すところだ。
少し前まで皆、ただ死を待っていた。




