326 十六歳 ウィリアムズ家長女 アリシア
「はぁ!? 今なんて?」
朝から私の言葉が王宮中に響き渡ったと思う。自分でも驚くような声が出た。
衝撃のあまり持っていた書類を全て床に落としてしまった。
王子にこんな口のきき方をするなんて一瞬で首が飛ぶ。
でも、今のヴィアンの言葉は全く予想出来なかったし、唐突過ぎる。
あんなことを言われると誰だって大声を出したくなる。……私、ラヴァール国に来てから言葉遣いが悪くなったような気がするわ。
「聞こえなかったか? だから」
「聞こえてたけど信じられないの! 二度も言わなくていいわよ!」
「へぇ、動揺してかわいいな」
ヴィアンはニヤニヤしながら私を見つめる。
一体どういう思考回路しているのよ、この男。
「何がそんなに嫌なんだ? 皇帝の妻になれるんだぞ?」
「だから! それを言わないで!」
「変わってるなぁ」
彼は不思議そうな表情をする。
……変わってるのは貴方よ! どこの誰か分からない人間をよく皇后にしようなんて思うわね。
ラヴァール国に来たのはあくまで密偵であって、皇后になるなんて想像していない。私はいつかデュルキス国に帰らなければならない。
「まず、私のことが好きでもないのによくそんなこと言えますね」
私は深呼吸をしてから、落ち着いて会話を始める。
冷静になるのよ、アリシア。
「私は割とお前を気に入っているぞ」
「恋愛感情がないじゃないですか」
「結婚に恋愛なんて不要だ。そんなもんが出来るのは平民だけだ」
確かに、王子ならそうよね……。
恋愛結婚なんて出来ない。普通は親が決めた婚約に従うだけだもの。
私の場合、デュルキス国で誰かに結婚を申し込まれることなんて絶対にない。悪名を轟かせている。……デューク様は別だけど。
「それに、お前は皇后の器だ」
ヴィアンの言葉が分からず、思わず首を傾げる。
「皇后になれる資質を十分なほど持っている」
「私が? どうして!? 確かに皇后に悪女は多そうだけど……」
「何を言ってるんだ?」
私の呟きにヴィアンは怪訝な表情を浮かべる。
「いえ、なにも」
……とりあえず、今は目の前の仕事に集中しよう。これ以上彼の言葉に付き合っていられない。
私はその場に落ちた紙を拾い上げる。その時に、何か床の端の方で煌めいた何かを見つける。
ん? あれは何だろう? もしかして硬貨かしら。
私は煌めいている所へと足を進める。そして、ゆっくりとそれを掴み、手のひらで転がす。
…………これって、口紅?
「誰のものなんだろう」
私はじっくりとその口紅を観察する。
もしかして、ヴィアンの愛人!? 愛人の一人や二人いてもおかしくないものね。
「ねぇ、これって……」
ヴィアンは「なんだ?」と振り向く。それと同時に私の手のひらにある口紅にハッと気づき、勢いよく奪い取った。
浮気が見つかった人みたいな反応。ヴィアンにしては珍しく、焦っている様子が分かる。
まぁ、さっき貴方が私に皇后になれなんて言ったところだもの。そりゃ、リップスティックなんて出てきたら動揺するわよね。