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「シチリンと呼ばれる理由はこの湖にある」
王子の言葉に皆が湖を険しい目で見つめる。
確かに、毒があるこの臭く汚い湖に何かしらの原因はありそうだ。
それにしても、人によって毒の内容が変わるなんて、そんな身勝手な毒聞いたことないわよ。まぁ、ファンタジーの世界だから何でもありなのね。
「この湖を掃除するんすか?」
ケレスの言葉につい笑ってしまった。
この湖を綺麗にするなんて、不可能に近い。隊に入って見て分かったけど、ヴィクターの兵士って脳筋の人が多い。
この湖の水を透明に出来たら、死んだ人間を甦らせることが出来るぐらい奇跡よ。
「違う、この下にあるこの湖の源を探すんだ」
「遠征部が今から潜水部?」
「何言ってんだ?」
ヴィクターが私のしょうもない言葉に顔をしかめる。
透明なビューティフルオーシャンになら潜りたいけど、この泥沼に潜りたくはない。
罰ゲームじゃない。そもそも、潜ったところで何か手掛かりがつかめるとは思えない。
「湖の源って具体的に何ですか?」
純粋な瞳をヴィクターに向けながらジュルドが尋ねる。
「具体的には分からないが、確かにあるらしい。湖の中は薄く汚れているが、透明だから探すことは可能だ」
ということは、過去に潜った人間がいたのね。……勇者だわ。
「どうしてその湖の源が欲しいんですか?」
今度は敬語で聞く。
ヴィクターは少年のような表情を浮かべ、にやりと笑う。
「王になる条件だ」
覇気のある声でそう言って、彼は上着を脱ぐ。袖をまくり、今にでも湖の中に入りそうな勢いだ。
……そう言えば、ヴィクターは第二王子だったわね。あのロン毛のお兄様が第一王子だもの。
彼よりヴィクターの方が行動力があるように思える。まだあの城に来てそんなに経っていないけど、ヴィクターの兄を見かけたことが一度もない。
引きこもりなのかしら。勝手なイメージだけど、少し大人しそうな雰囲気だったし。
「潜るぞ」
王子の言葉で皆が一斉に服を脱ぎ始める。マリウス隊長とジュルドが上半身裸になる。ケレスと私は王子同様上着を一枚脱いだだけだ。
絶対に上半身は裸になれないわ。水にぬれてさらしが透けないことを祈るしかない。割と分厚い生地だしその辺は安心……、分厚かったら水を沢山含んで死ぬ確率が上がるわよね。
王子は自分が死ぬ可能性を考えていないのかしら。そもそもこの湖全体が毒なら、死にに行くようなもの……。
「お、王子、まだ早まらない方が良いですよ」
「あ?」
私の言葉にヴィクターは怪訝な表情を浮かべる。
「自殺志願者なんですか? 王になる前に死ぬって」
「何言ってんだ?」
「毒の中に入るんですよ。僕も王子の雰囲気にのみ込まれたけど、冷静に考えたらやばくないですか?」
「お、ガキ、ついに怖気づいたのか?」
ヴィクターはどこか嬉しそうな声でそう言った。
「ライオンに立ち向かったやつとは思えねえな」
マリウス隊長が横から会話に入ってくる。
この毒に汚染されている湖に潜るのとライオンと戦うのじゃ、死亡率が確実に違うわよ。
「飲まなきゃ死なねえよ」
……この国の王子に怖いものはないのかしら。
「じゃあ、彼らは?」
私はおじい様達三人衆を勢いよく指さした。
指をさすのは良くないことだけど、今は令嬢じゃないから良いわよね……。
「じじいがこんな湖潜ったら死ぬだろ」
「間違いないです」
「でも、副隊長も潜らないんですか?」
ニール副隊長の方にちらりと目を向ける。
彼は皆が上着を脱いだり、上半身を裸にしている時に、何も動かなかった。ただ私達の準備する様子を見ていただけだ。
「一人ぐらいここに残しておいた方がいいだろ」
「あ、じゃあ僕が」
「お前は潜れ」
最後まで言う前にヴィクターは少しきつい口調で私にそう言った。
選択の余地はなさそうね。早く腹をくくらないと。覚悟を決めるのよ、アリシア。
「私が死んだら、王子も呪い殺します」
兵士の皆が「王子になんてこと言ってんだこいつ」と言いたげな顔をする。ヴィクターは私の言葉に軽く笑い、口を開いた。
「安心しろ、俺が死んでもお前は生きてるだろうよ」
俺が見込んだんだから自信もって湖に入れ、と言っているように聞こえた。彼の瞳が私にそう言っていた。
……しょうがないわ。一番最初にこの腐った湖に突っ込んでやるわよ。
私はスッと息を吸い、湖の前に立った。
「安心しろ、目を見開いても目から毒は入らないらしい。あ、ただ、鼻からは入るぞ」
後ろからヴィクターの落ち着きのある声が聞こえた。私はとっさに振り向く。
「もうすでに何人かここに来てるの?」
「ああ。入れるかどうか実験しておかないと俺が入るわけないだろ。兵士は捨て駒だ」
何の躊躇いもなしに、こうも堂々と言われると何も言えなくなる。
ヴィクターって思っていたよりも冷血ね。いや、王たるものはこれぐらいの方が良いのかしら。
それに、ここで何人か死んでいるか分からない。その腐敗した湖に潜っていく王子の行動力はやっぱりすごいわよね。
私だったら進んでこの中に潜ることなんて絶対にないもの。
大きく空気を吸い口を閉じ、鼻をキュッと締めて、思い切り灰色の液体の中に飛び込んだ。




