20
霧を抜けた瞬間、強烈な異臭が私を襲った。
何……? この匂い……。
鼻の奥まで刺激する悪臭。気絶しそうだわ。
私は周りの様子を見渡した。
言葉を失った。……こんなに悲惨な状況を生まれて初めて見たわ。
人が地面に倒れて呻き声を上げ、汚れきった体にボロボロの布を巻き付けている。
私はマントについているフードを深くかぶりランプの明かりを消した。
貴族だとバレたら間違いなく襲われる。恐怖で私は体が震えた。
本で読んでどのような状況かは大体知っていたのだけれど、まさかこんなにも酷いとは……。
本で書かれている何倍も酷い状況よ。
ゲームじゃヒロインはここをどうするんだっけ?
強烈な異臭が私の思考を遮る。
正直、こんなところ長居したくないわ。私は悪女で慈悲なんてないのよ。この状況を改善しようとか全く思えないわ。
自分が良ければそれでいいのよ。それが悪女よ。
けど……、私の足が前へと進む。
子供も地面に横たわっている。瘦せすぎだわ……。
広場だと思われる場所に出た。真ん中に噴水があるけれど水は出ていない。
ただ汚れた水が溜まっているだけだ。その広場には沢山の人が寝転がっていた。
家がない人達がこんなにもいるの? 周りの家らしき建物も崩壊しかけていた。ヒビが入って穴も空いている。
そして、この村の夜の光は蝋燭だけ。街灯はないし月も見えない。
空が雲で覆われていて、空気が澱んでいる。
「お嬢さん」
私は突然の声に背筋が凍った。
これは、私に言っているのかしら。もしかして私が余所者だって事がばれたのかしら?
剣の腕はかなり磨かれているけれど、今は剣は持ってないし……。
全力で走れば逃げ切る事は可能かしら。こんなところで死にたくないわ。
だってまだヒロインを虐めていないのよ?
「お嬢さん」
もう一度そう言われ、私の肩にポンと誰かの手が置かれた。
悪女は泣いたりしないだろうけど、この状況はしょうがないわよね。
私は涙目で肩に置かれた手を見た。
少し皺のある大きな手……。私はゆっくり振り向いた。
声の主は白い髪のおじいさんだった。年配に見えるのは白い髪のせいだわ。多分、私の想像よりも若いはず……。なんだかわざと年寄りに見えるようにしているみたいだわ。
唇は薄く鼻が高い、整った顔立ちね……どうして目を瞑っているのかしら。
もしかして、目が見えない……?
さっきまでの恐怖心が一切なくなった。
おじいさんが目が見えないという理由じゃなくて、直感でこの人は優しい人だと分かった。
彼から醸し出される温かい空気が私にそう思わせた。
それにしても歳をとっていても顔が整っているのがよく分かるわ。
ここの国の人は皆顔が整っているものなの?
「君はこの村の者ではないね」
優しい声で目の前のおじいさんはそう言った。目が見えないのにどうして分かったのかしら。
私は小さな声で、はい、と言った。
「ここは危ないから早く家に帰った方がいい」
「でも、私は……、あの……」
「わしについて来なさい」
おじいさんはそう言ってゆっくり歩きだした。
お父様には知らない人にはついて行ってはいけないって言われているけれど、このおじいさんは大丈夫な気がするのよね。
まぁ、でもその感覚が一番危ないのよね。良い人そうな人ほど怖い人だって。
それでも、この人は大丈夫だと分かるのよね。私、人を見る目はあるのよ。
なんて言うんだっけ……、鑑識眼? それがあると思うの。自分で言う!? とか思われるかもしれないけど、私の目って何故か人と違う気がするの。
速読力とか……、それにお兄様と剣の練習をしていても剣の動きがスローモーションに見えるのよね。
林檎を真っ二つに切った時も林檎が落下している瞬間、スローモーションに見えたのよ。
気付けばおじいさんが随分前を歩いている。目が見えないはずなのに地面で横たわっている人を踏むことなくどんどん進んでいく。もしかして、見えているの?
私は少し迷ったが、おじいさんについて行くことにした。




