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私は思わず笑ってしまった。笑うって言っても口の端を上げただけだけど。品のある悪女がガハガハと口を開けて笑わないもの。
「まさかジルにこんなことを言わせるなんてね」
私は彼の頭を軽く撫でた。
こんな状況くらいいとも簡単に抜け出してみせる。たかが民衆、……されど民衆だけど。それでも私に勝算があるようにもっていかないと。どれだけ不利な状況でも勝利にもっていかなければならない。それが悪女よ。けど今回ばかりは国外追放させてもらうわ。なんとしてもラヴァール国に行きたいのよ。他国に出向き、自分の目で耳で情報を得る。客観的に自国を見れば考え方が変わるかもしれない。
「来てくれて有難う。助かったわ、ジル」
「僕、まだ何にもしてないんだけど」
「そう? するべきことを私に再認識させたのに?」
「……せこいよね、アリシアは」
ジルはそう言ってフッと笑った。
「デューク様、これをお返しします」
私は首についているネックレスをとり、デューク様に投げつけた。デューク様は見事に片手で受け取り、じっとそのネックレスを見つめた。
「国外追放してくださって構いません」
私は彼の目をじっと見据えてそう言った。デューク様の目が大きく見開くのが分かった。
まぁ、いきなり自分からそんなことを言い出す人ってなかなかいないものね。
「いつかデューク様の記憶が戻り、また私に心を寄せてくれる日が来るのなら、その時は……、お会いしてあげてもよろしいですわ」
私はそう言って口角を上げた。
デューク様は何も言わず私をただただ目を丸くしたまま見つめた。
あまりの無礼な態度に町の人たちは私を大声で罵る。かなり下品な言葉も平気で私に浴びせる。礼儀を知らない女、この国の者じゃない、消え去れ、疫病神、人でなし、頭を地面につけてリズに詫びろ、……まぁ、一度言い始めたら爆発して沢山罵倒したくなる気持ちも分かるけど。流石に筋が通っていない。
「私にそんなことを言えるくらい貴方達は立派なの?」
そう言って、彼らを嘲笑した。
火に油を注ぐ行動だと分かってて言った。国外追放された令嬢がとんでもない悪女だったということを世間に知ってもらうためにね。
この世界の人間を馬鹿ばかりにした運営に感謝ね。私の悪女っぷりの噂もきっと倍になって広まる。
「……国外追放にされたいのか? お前はまだ十五歳の子どもだ」
「子どもでも裁きを受けることぐらいは出来ます」
にこやかに笑う私をデューク様は静かに睨んだ。ジルは黙って私達の様子を見ている。彼は空気を読むことが人一倍出来る。国外追放なんてしてほしくないって表情を浮かべたが、今ここで私に反論すればどうなるのか分かっているから黙っている。
「お前の望む通りにしてやろう」
記憶がなくなるって恐ろしいわね。私はデューク様を見ながらそう思った。
本当に一体誰が彼の記憶を消したのかしら。……しかも、私の記憶だけ。
「衛兵、連れていけ」
その瞬間、大勢の衛兵が部屋の中に入ってきた。
わぁ、こんなにも外にいたの? もしかして私が暴走した時の為に呼んだのかしら。まさかこんな体験が出来るなんて夢みたいだわ。本物の悪女みたい。最後まで凛々しくいとかないとね。決して怯むことのなかった女だと認識されたいもの。
衛兵は私の腕を力強く掴み、連行しようとした瞬間、ジルが声を上げた。
「待って、アリシア、行かないで! 僕を一人にしないで」
あら、まさかここで声を上げるとは。ジルは物分かりが良いけれど、その分自分の中で色々とため込んでいる。私が思っているよりも子供だったのだ。彼の賢さは大人も顔負けだけど。
「僕も一緒に連れて行って」
必死に懇願する彼を私は無視した。
ジルも一緒に国外追放なんて出来ない。彼の未来は明るく輝いているもの。今回は巻き込むわけにはいかない。
「デューク、後悔しても知らないよ」
ジルはデューク様を睨みながらそう言った。デューク様は何も言わない。そして、相変わらず民衆達の声はうるさい。
「お願いアリシア。僕を置いて行かないで」
……まるで迷子になった子どもみたい。ジル、貴方もそんな表情をするのね。久しぶりに彼の子どもらしい顔を見た気がする。最近、生意気になってきてたから私に対してこんな風に言ってくれるのは嬉しいわね。
私は衛兵に腕を軽く引っ張られながら歩く。絶対に寂しいなんて表情を顔に出してはいけない。悪女としてのプライドよ。
勿論、私もジルやウィルおじさんや皆と離れるのは寂しい。けど、見てみたいのよね、外の世界を。何も知らないまま死ぬなんて御免だわ。
彼がこれ以上私に近づかない為に衛兵がジルを捕まえる。誰よりもジルの声が部屋に響いている。泣き叫ぶ声が耳に容赦なく入ってくる。
彼にこんな声を出させているのは私のせい。そう考えると、私ってとんだ悪女ね。
……ああ、もう。変な未練は残していきたくない。
私は衛兵の腕を無理やり振り払いジルに近づいた。こんな簡単に振り払えるなんて私も随分と力がついたのね。それか、衛兵が女だと思って私をなめていたのか。まぁ、今はそんなことどうでもいいけど。
衛兵はジルのところへ向かおうとする私の腕を思い切り掴んだ。
「大人しくしろ」
大人しくはしているはず。別に暴れていないもの。ただジルに最後の別れを言おうと思っていただけ。っていうのは屁理屈かしら。
「いい。手を離してやれ」
デューク様は衛兵たちにそう言った。やっぱりデューク様って優しいわね。
私はそんなことを思いながらジルに近づいた。ジルの目からは大粒の涙が大量に流れていた。
「ジルが泣くなんて珍しいね」
「誰のせいだと思っているんだよ」
私の笑顔にジルは声を微かに震わせながらそう言った。
「ジルは私の誇りよ」
私はそう言って、手首に着けていたブレスレットを彼の掌の中に入れた。ジルがブレスレットを掴んだことを確認して私は手を離した。
「これって」
ジルはじっとブレスレットを見つめた。
「僕が前に欲しいって言ったブレスレット……」
私は何も言わずにその場から離れ、衛兵のところへ戻った。衛兵は相変わらず乱暴に私の腕を掴む。彼らがデューク様の衛兵ではないことは確かだった。どうせなら私のことを慕ってくれるデューク様の衛兵に連行されたかったな。私はそんなことを思いながら扉の方へ足を進めた。
部屋から出たその瞬間だった、誰かが私の首元を優しく掴んだ。全く苦しくない程度に。
「必ず迎えに行く」
耳元で彼がそう言った。誰にも聞こえないほど小さな声で。
……え? 嘘でしょ。
記憶が戻った? 違う、……最初から記憶など消えていなかったのだ。全部演技だったのだ。デューク様の方がやはり一枚上手だったのだ。これは完全にやられた。私は何故か笑いがこみ上げてきた。
わざわざどうしてこんな大掛かりなことをしたのか分かる。私が国外追放されたいと思っているのを見抜いていたのだ。国外追放というのは相当なことをしでかさない限りすることはない。むしろここ数十年、国外追放された人間はいなかった。最後に国外追放された人間が、今の国王様のお母様がしたあの優秀な人達……。
それに今の国王様には私を国外追放にさせる理由などこれっぽっちもない。私のお父様は五大貴族の一人だし。私を国外追放にさせるのはあまりにも困難だ。
つまり私がどんなに国外追放される為に努力しても、実際されることは不可能だった。だから民衆を巻き込むことを考えた。数十年ぶりの国外追放なんてよっぽど大きい事をしなければ出来ないはず。それにデューク様はこの国の王子よ。国外追放を簡単に出来る権限なんてない。私が周りから悪く見られたいということを理解してた上に出来た行動。まさか記憶喪失のふりをするなんて……、なんて策略家なの。
つまりここにいる全員が彼の掌の上で踊らされていたってわけね。末恐ろしいわ。
私は静かに口角を上げて衛兵と共に部屋を出た。
ついにゲーム通りになった。
『ウィリアムズ・アリシア:ラヴァール国へ国外追放』