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「優しいリズが、貴女に虐められていると聞きました」
一人の私の母親と同じ年か、それよりも年上ぐらいの女性が最初に言葉を発した。
なんて弱々しい声なの。仮にも貴族の私に対して怯えているのかしら。素晴らしいわ! 悪女は人を怯えさせてこそだもの。
「虐めの定義がよく分かりませんが、私は集団で彼女に下劣なことをした覚えはありません」
「こっちは魔法学園の生徒さんがリズと一緒に町に遊びに来て下さったときに色々と話を聞いているのよ!」
突然、ふくよかな女性が部屋全体に響き渡るように声を上げた。
「虐めた方は覚えていなくても虐められた方は覚えているんだ!」
「そうだ! 被害者の気持ちを考えたことがあるのか!」
次々と声が上がっていく。これを私は便乗型野次と名付けよう。
私、町の人にまで嫌われているのね。……これはもう悪女って名乗ってもいいんじゃないかしら!? 駄目駄目、すぐに調子に乗ってしまう。私が目指しているのは世の中で一番の悪女よ。この国だけじゃないの。こっちは世界を相手に戦っているのよ。もっと頑張らないとね。
「王子様に失礼な態度をとっているのもあんただろ!」
「王子様は寛容だからって調子乗っているんじゃないよ!」
デューク様は自分の記憶がなくなっていることは口外していないようだ。そりゃそうか、王子の記憶喪失なんてトップシークレットよね。
「何にも知らない小娘が!」
「親の蜜いつまでも吸っていられると思うな」
「あんたみたいな人間がいるからこの世はいつまでたってもよくならないんだ!」
どんどん皆様の口が悪くなっていきますわね。関わったことのない、もはや初対面の人間にそんなこと言われてもね……。私の何を見てきたのよ。
「甘やかされて育った世間知らずのお嬢さん、いつか痛い目に遭うよ」
「今の格好がお似合いさ。あんたなんぞ顔だけの人間だ」
なんて騒がしいのかしら。もう少し品をもって話して欲しいわ。
私はデューク様の方を一瞥した。私を真顔で見つめていた。なんの感情も表情に出ていなかった。ポーカーフェイス? あれが普段のデューク様ってこと? 私の前では表情をコロコロと変えていたのにね。これで本当に良かったのかしら。なんだか胸がざわざわする。自分の夢をとるか、このよく分からない感情をとるか……。
「反論しないのか?」
デューク様の声に私はハッと我に返った。
町の人たちは私との間のこの柵がなければ今にも殴りかかってきそうな勢いで私に罵声を浴びせている。そんなに恨み持たれていたなんて知らなかったわ。けど、なんだかちょっと操られている気もするようなしないような……。デューク様の記憶を消した人物が絡んでいたりするのかしら。
「地獄に落ちろ! あんたなんかこの国にいらない!」
「リズに謝罪しろ!」
「これ以上彼女を傷つけたら俺達が許さない」
皆、リズさんの信者なのかしら。私も別に愛国心なんてないし、国外追放されてもいいわよ。というか、されたいのよ、国外追放。国外追放されたらようやく一人前の悪女になれる気がするのよね。
「リズさん、頭お花畑なんだもの」
私のこの一言がその場の空気を凍りつかせた。あら、私、やってしまった?
現実を見て、論理的に問題を解決する能力があまりないのよね。
「あんたにリズの優しさが分かるわけない」
ポツリと誰かが低い声で言った。私の背筋に悪寒が走るほどの憎しみのこもった声だった。
「貴族だからって何言ってもいいってわけじゃねえだろ」
「泥でもかぶって反省しろよ」
「馬の糞の方が良いんじゃねえのか」
「親のしつけが悪いんだろ」
「リズは、ウィリアムズ家のご子息のことはとても良い人達って言っていたわ」
ご子息ね……。ということは、リズさんは私のことは悪い人って言っているのかしら。
「じゃあ、こいつの個人の問題か」
「この国から出ていけ!」
彼らの野次が行き交う中、突然ドンッと思い切りドアが開く音がした。
小さな少年が私達の方を睨みながら立っている。
「ジル……」
どうやってここまできたのかしら。まぁ、彼は賢いからこの部屋にたどり着くことぐらい簡単なんだろうな。
「胸糞が悪い」
静寂に包まれた中で彼の声だけが響く。
ちょっと、ジル、そんな汚い言葉教えた覚えないわよ。
「ねぇ、デューク、何してんの?」
ジルはデュークを凍りついた目で見つめながら私達の方へ歩いてくる。凄まじい殺気を放っている。私までが固まったままジルを見つめている。
ジルは私の隣に来て、じっと私の顔を見た。ジルに初めて見据えられたかもしれない。私はそんなことを考えた。彼はいつも心配した目を私に向けることが多いのに、今回は違う。
「ねぇ、アリシア。……アリシアは僕を利用して良いんだよ」
ジルは私から目を離さずに真剣な口調でそう言った。