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「誰もいないわ」
私は扉をゆっくり開いて、空っぽの教室を見渡しながらそう言った。
「本当だ、道理で教室から全く声がしないと思ったよ」
もしかして課外授業なのかしら。折角、デューク様に謝ろうと思って、教室に来たのに無駄足だったわね。
「ねぇ、誰かの泣き声聞こえない?」
ジルが眉間に皺を寄せながら私の方を見る。
……やめて欲しいわ。私、幽霊は信じていないもの。けど、確かに微かに誰かがすすり泣く声が聞こえるわ。もしかして、私の考えが間違っていたのかしら。
「いた」
「え?」
ジルは真っすぐ教室の奥を指さした。私はジルの指の先に視線を移した。栗色の髪……、どこかで見た事あるわ。誰だったかしら。俯いていたら顔が分からないわ。……顔を上げなさい、なんて言えるような状況でもないし。困ったわね。
「誰?」
彼女はそう言ってそっと顔を上げた。あら、ようやく誰か分かったわ。それにしてもどうして彼女がこんな所で泣いているのかしら。確か、彼女リズさん信者のエマだったわよね? 私をはめようとした子だわ。ここにいるって事は私より年上だったのね。
「あ、どうして、ここに、あんたが」
戸惑うのも無理はないわ。そもそも私の教室はここじゃないものね。
今日はそばかすを隠していないのね、って悪女らしく言おうと思ったけど、止めといてあげるわ。
エマは焦った表情を浮かべながら、乱暴に涙を袖で拭き、急いで教室を出ようとした。
「待って、貴方が先客よ、私達が出ていくわ」
私の言葉にエマは立ち止まり、怪訝な表情を浮かべた。
「全部あんたのせいだ……。どうせ皆に私が一人で教室で泣いていたって言いふらすんでしょ?」
エマの口調が段々荒くなっていく。八つ当たりなのか、それとも本当に私に対して怒っているのか、どっちなのかしら。
「あんたがあの時、私の外見を散々馬鹿にして、だから、私はリズ様の前で恥をかいたのよ!」
私に怒っているようだけど、リズさんはそんな事ではきっとエマを見捨てたりはしないはずよ。彼女の心はまさに聖母。……誰かに何かされたのかしら。まぁ、私には関係ないわね。
「出ていくわ」
「何? 同情? 私が泣いていて可哀想だから、一人で泣かせてあげるって? あんたなんかにそんな優しさもらっても嬉しくないわよ」
相当私の事が嫌いなのね。今に分かった事じゃないけど、いまだに恨まれているなんて、私って本物の悪女ね。
私は彼女の元へゆっくり近付いた。エマは少し怯えた表情を浮かべながらもその場から退くことはなかった。少しも動かずに私の方をじっと睨んでいる。
「な、何よ」
目の周りが真っ赤になって腫れている。かなり泣いていたのね……。
リズさん信者よりも親衛隊に近い彼女がどうしてこんなにも泣いているのかしら。
「私は何も見てないし、聞いていないわ」
「え?」
「泣きたい時ぐらい我慢しなくていいわ」
エマは目を丸くしながら私を見ている。
「私がこの教室に壁を張ってあげるわ。外には何も聞こえないし、誰もこの教室に入ってこれないわ。貴女がこの教室を出た時に壁は自然と消えるから安心して」
それだけ言って、教室を出ようとした。




