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「まぁ、僕がこういってもどうせアリシアは否定するんだろうけど」
「好きなのかしら……」
「え?」
私の言葉にジルが目を見開きながら私の方を見る。
……そんなに私、おかしな事を言っているのかしら。ジルが聞きたがっていた答えを言ったつもりなんだけど。
「アリシア、好きって恋愛事情だよ?」
「分かっているわ」
「本当に?」
どうしてわざわざ私が嘘を言わないといけないのかしら。
さっき、デューク様の立場になって考えた時、なんだかモヤモヤしたのよね。私以外の女の子を好きになっているデューク様って、なんだか嫌だわ。ヒロインとくっつけばいいのになんてずっと考えていたんだけど、今はなんだか少し嫌なのよね。けど、自分の夢の為にはこの感情を押し殺さないとね。
悪女が王子とくっつくなんて聞いた事がないわ。結局はヒロインとくっつくのよ。
この国では聖女と王子は結婚する事になっているみたいだし、……という事はリズさんとデューク様が結婚って事よね?
「……分からないわ」
「さっき分かっているって」
「言ったけど、……分からなくなってきたわ。複雑な迷路に入ってしまった気分だわ」
「うん、でもアリシアはかなり成長したと思うよ」
ジルは頷きながらそう言った。……どうしてそんなに上から目線なのかしら。
「とりあえず、デューク様に会って、謝らないと」
「謝るの?」
「ええ、今回はね。謝り方も勿論悪女っぽくするわよ」
「もう少しぐらい時間空けても」
「今、突然世界が滅びたら私は謝れなかった事に対して執着して成仏できないわ」
「そっか、じゃあ、今すぐ会いに行こう」
ジルは少し目元を緩めながらそう言った。
「デューク様は今授業中よね?」
廊下に声を響かせないように私は出来るだけ声を抑えながらそう言った。
「デュークに限らず、皆授業中だよ。僕達がさぼっているだけで」
「授業中にデューク様の教室に入る?」
「それは悪女っぽいね、迷惑だけど」
「どうせ皆、寝ているわ、目覚まし時計代わりに入ってあげましょ」
「良いように言っているけど、悪い事だからね」
「悪女は悪い事をしてこそよ」
「はいはい」
なんだか、最近、本当にジルの方が大人みたいだわ。どうしたら私の方が大人っぽくなるのかしら。
いや、私も十五歳にしては大人っぽいはずよ。だって、人間歴として前世から考えると、三十年ぐらい生きているんだもの。ジルがあまりにも特殊なんだわ。
私達は黙ったまま廊下を真っすぐ進み、デューク様の教室に向かった。
本当に広くて綺麗な廊下だわ。床は大理石よね? それはまだいいわ。でも、廊下にシャンデリアはちょっとおかしいわ。なんだか、学校というよりも宮殿ね。
「リズさんは王妃になったら、ここから改善するべきよね」
「は? なんでキャザー・リズが王妃になる予定?」
ジルは顔をしかめながら私の方をじっと見た。
「聖女でしょ? いつかデューク様と婚約するわ」
「デュークは絶対にしないと思うよ」
「国のルールでしょ?」
私の言葉にジルは目を丸くした。どうやら私が国のルールを守る事が意外だったみたい。
「それがどうしたの? そんなの破ればいいじゃん、アリシアは悪女なんでしょ?」
「いくら悪女でも、規律を乱すわけにはいかないわ。私達貴族がルールを守らなかったら、平民は一体何を守ればいいの?」
「……確かに、それもそうだね。でも、デュークはアリシアと婚約したいと思ってるよ」
「もし私がデューク様の事を本気で好きになったら、私は自分の感情を押し殺すわ」
ジルは少し黙り込んで何か考え始めた。私の答えが気に入らなかったのかしら? でも、ジルなら私と同じような事を考えていそうだけど……。
「聖書に書いてあったんだけど、悪魔は人間を十人殺したんだ」
ジルの声はとても低くいつにも増して真剣だった。
あら、私、まだ聖書は読んだことなかったわ。……これはもう完全にジルに抜かされたわね。私ももっと頑張らないとね。
「神様はね、二百三万八千三百四十四人、殺したんだよ」
ジルは遠くを見つめながら静かにそう言った。
……桁違いにも程があるわ。
「だからね、アリシア、キャザー・リズが聖女だと言われていても、僕にとっての聖女はウィリアムズ・アリシアだよ」
ジルはあまりにも真剣な眼差しで私の方を見てそう言ったので、私は思わず言葉を失った。
なんて聡明な瞳をしているのかしら。デューク様が王でジルが宰相になれば、きっとこの国は世界で一番良い国になるんじゃないかしら。
「……着いたわ」
私はデューク様のいる教室の前に立ちながら静かにそう言った。学校のルールを守らないのは、まだ許されても、国のルールを守らないのは、流石にまずいわよね。
私はそんな事を思いながら扉にそっと手をかけた。