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「ここに狼が現れた」
ヘンリお兄様は狼が現れた場所まで私達を案内してくれた。
……特に何もない場所ね。
「何か残っているかも」
ジルはそう言って周辺をまんべんなく見渡した。
狼を魔法でここに転移させた可能性も考えられるわ。
元デュルキス国の人達だもの、魔法学園に詳しいに決まっているわ。
「私達も何か探しましょ」
私はヘンリお兄様にそう言うと、ヘンリお兄様は少し難しい表情を私に向けた。
「俺が何を言っても意味ないだろうけど……危険な事はするなよ」
「……危険な目には何度も遭っているわ」
「今回は他国が絡んでいる。デュークに任せておけ」
「国王様じゃなくてデューク様に? ……ヘンリお兄様、デューク様に何か言われたの?」
私は探るようにヘンリお兄様を見た。
ヘンリお兄様は私の質問に少し焦った様子で笑顔を作った。
「俺がどうかしたのか?」
……どうしていつもタイミング良く現れるのかしら。
私は声がする方にゆっくり振り向いた。
「どうもしていませんわ」
私がそう言うと、デューク様は少し顔を曇らせた。青い透き通った瞳が私をじっと見つめる。
「……狼の件について探っていたのですわ」
私はデューク様の圧に耐えられなくなり、暫くして口を開いた。
私の言葉にデューク様は目を瞠る。それと同時にヘンリお兄様の方に顔を向けた。
「その話はするなと言っただろ」
「アリは言い出したら聞かないんだ。それは知っているだろ?」
「この件が危ない事は知っているだろ?」
「ああ。だが、文句ならエリックに言ってくれよ。俺もまさかあんな風にばれるとは思わなかったんだ」
ヘンリお兄様が少し戸惑った様子で苦笑しながらそう言った。
……つまり、私を危険な事に巻き込みたくなかったから二人とも私に黙っていたって事かしら。
酷いわね、私、これでも結構戦闘能力は高いんだから。まぁ、片目しか見えないせいで若干昔よりは落ちているかもしれないけど。それでもいざとなったら戦えるわ。
「私にも狼の情報を頂戴」
「……今回は本当に危ない」
「私なら大丈夫よ」
「惚れた女にわざわざ危険な情報を渡すと思うか?」
デューク様の真剣な目に私は気圧された。どうしてかしら、私、彼の目に弱いのよね。
私は小さくため息をついた。
私は頑固者だけど、馬鹿じゃないわ。
「……今回は今までと比べ物にならないくらい危ないって事ね」
デューク様は何も言わない。
「国王は知ってるの?」
「……知らない」
ジルの言葉にヘンリお兄様は首を振る。
国王様が知らないなんて……。デューク様が勝手に調べているって事よね?
賢い者ほど嫌な事に目を向けなければならないのね。
時々思うわ、多くを知る事は自分にとってメリットなのかデメリットなのか。
知らない方が良かったって思う事実も多いもの。
でも、それでもやっぱりまた新しい事を知りたいと思うのよね。情報を欲しいと思う。これが私達人間の性なのかしら。
「最後に一つだけお聞きしたいのですが、リズさんが何者かと知っている者は他国にいますか?」
「それはまだ分からない」
私の質問にデューク様は眉間に皺を寄せながらそう言った。
「そうですか……。では私はこれで」
「アリシア」
私がその場から立ち去ろうとした瞬間、デューク様に静かに名前を呼ばれた。
呼ばれ慣れている名前なのに何故か心臓が少し飛び跳ねた。
私を真っすぐ見るデューク様の瞳は優しさに溢れているように見えた。
「いつか、アリシアの気持ちも聞かせてくれ」
デューク様は真剣な口調でそう言った後、私の前から去って行った。
私の方が先にここを去る予定だったのに抜かされてしまったわ。
本当にいつになったら私はデューク様に勝てるのかしら。
私は呆然としたままさっきデューク様が私に言った意味を考えた。
「私の気持ち……?」
私の気持ちって何の事かしら。私はちらりとジルの方に目を向けた。
ジルは私の表情から私の考えている事を読み取ったのだろう。
「考えは大人なのに恋愛に関しては赤ん坊だね」
ジルは呆れたように私にそう言った。
「俺からも頼むよ。アリがデュークをどう思っているかデュークに伝えてやってくれ」
ヘンリお兄様は少し笑いながらそう言った。
「そうだよ。アリシアは一度もデュークに自分の気持ちを言った事がないし……」
「アリの気持ちが分からないのにアリに思いを伝えているデュークって……どんな拷問だよ」
二人して私を責めるなんて卑怯だわ。
「人気者の美形優秀王子を翻弄させるなんて悪女……」
そこまで言ってジルは口に手を当てた。
……もう遅いわよ、ジル。私は口元を綻ばせてジルを見た。
ジルは少し顔を引きつりながら私を見ている。
まさかジルに悪女って言われる日が来るなんて……今日は素晴らしい日だわ。
「悪女って言われて破顔する令嬢はアリぐらいだな」
そう言ってヘンリお兄様は苦笑した。
ジルはヘンリお兄様の言葉に深く頷いた。




