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「私は人の事を妬ましいなんて思った事はありませんわ」
私は笑顔でそう答えた。
私の言葉にエリック様は鼻で笑った。
「人の事をいつも見下していて、それの何が楽しいんだ。昔は努力して一生懸命な子だと思っていたが、とんだ見当違いだったようだ」
エリック様は私を軽蔑するように見下ろした。
努力して一生懸命だって分かられている時点で昔の私は悪女とは程遠いわね。
悪女たるもの、一生懸命努力している姿なんて人に見せたらダメなのよ。
つまり、エリック様の言葉で私がいかに悪女として成長できたのかが分かるわ。
「有難うございます」
「今の言葉が褒めてると思うのか?」
「はい」
私はそう言ってエリック様に微笑んだ。
エリック様の瞳がどんどん鋭くなっていく。人からこんな目で見られるのって、人生であんまりないわよね。まぁ、私の人生の場合、沢山あるだろうけど。
普通の人なら怒りに満ちた目でこんなにも睨まれる事なんてないだろう。
教室が緊張感に包まれる。
皆も気の毒ね。私が現れる度にこの空気感を感じないといけないなんて。
でも、人が多ければ多いほど私には好都合なのよね。私の悪女っぷりを一人でも多くの人に見て欲しいもの。
「リズはな、決して目の前の事から逃げないんだ」
「はい?」
私はエリック様の突然の言葉に思わず間抜けな返事をしてしまった。
「リズはどんな困難にも立ち向かうんだ。それがどんな子でも。自分の事を嫌っていた貴族に対しても手を差し伸べるような子だ。自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする子だ。野生の狼がこの学園に現れた時だって、震えながら皆を守った。怖い思いをしても守りたいものがあるからだ」
「まって、野生の狼が現れたの?」
エリック様の言葉に言いたい事は沢山あったが、野生の狼が一番気になった。
野生の狼がここに現れるなんて偶然とは考えにくいわ。
私の言葉を無視してエリック様は話を続けた。
「暇があれば町に出て小さな子供達と遊んであげたり、とにかくこの国の事をよく考えている。なのにお前はどうなんだ? 何一つ努力せず、いつも人を馬鹿にして……ゴミだな」
そう言って私を見るエリック様の目は酷く冷たかった。
あら、ゴミって言葉を返されてしまったわ……。
エリック様の言葉と同時に私の後ろから凄まじい殺気を感じた。思わず背筋が凍った。
鳥肌も全身に立つくらいのこの殺気は一体誰の……私はゆっくり後ろを振り返った。
その瞬間、私の体が凍りついた。……絶対に敵に回したくないわ。真っ先にこの言葉が私の頭の中に出てきた。
ヘンリお兄様、ジル、メル、そしてデューク様、彼らから出ている殺気で私まで気圧される。目で人を殺すってこういう事ね。
この殺気できっと教室にいる全員の鳥肌を立てているわよね。特技に出来るんじゃないかしら。
というか、間違いなくデューク様のファンが減ったわね。
「口を出さないでね。勿論、手もね」
私は自分の気を引き締めてそう言った。
彼らは私の話を聞いているのか分からなかったが私はエリック様の方を向いた。
エリック様は瞠目しながら彼らを見ている。
ああ、彼の目線が完全に私から外れてしまったわ。
まぁ、あんな凄まじい殺気を放っている人達がいたらそっちを見てしまうわね。
ゴミって言われて確かに殺気が湧いたけど、後ろの人達の圧が半端なくて……。
「ねぇ、エリック様。自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとするリズさんは馬鹿丸出しだと思いません?」
私は笑顔でそう言うと、エリック様は私の方に視線を向けた。 ようやく私の方を向いてくれたわ。
「優先順位もつけられない低能だわ。自分が貴重な存在だと知っているのにも拘わらず、自分の事を嫌っている貴族を庇ったり……本当に賢いなら自分を犠牲にしないわ。彼女の代わりはどこにもいないのよ」
「アリシアちゃんの代わりもいないわよ」
リズさんが眉間に皺を寄せて私の目を真剣に見ながらそう言った。
「いるわよ」
私は静かにそう返した。
リズさんの目が少し見開いたのが分かった。
「補欠なんていくらでもいるわ。なんとでもなるの。皆、自分の事を特別だって思いたいし、そうなりたいと思っているわ。でも、特別にはなれないの。賢い人を探そうと思えばいくらでも出てくるし、魔法が使える人も沢山いるわ。けど、リズさんの能力を持っている人はいないのよ」
私の声が静かな教室に響く。
「現実は確かにそうかもしれないわ。でも、……誰かの代わりなんていないわ」
「それは貴方だけよ、リズさん。貴方が向かっている世界は補欠を用意しておかないと」
「どういう事?」
「いつか国を守る立場になるのなら、自分の周りで誰かが急に欠けた時にどうするの?」
私は微笑みながらそう聞いた。傍から見れば、私はとても意地悪な表情をしているだろう。
「隊長だけでなく、副隊長がいる意味を考えた事はある?」
「お前に……リズの何が分かるんだ。リズはそのままで良い。何も変わらなくていい。足りない所があるなら俺達が補えばいい」
いきなり横からエリック様が声を震わせながらそう言った。
聖女の考えを変えない事にはどうにもならないのよね。
キャザー・リズの監視役って想像以上に大変だわ。私は心の中で深いため息をついた。
「リズは震えながらも恐怖に立ち向かった強くて美しい女だ」
エリック様は私の目を真っすぐ見ながらそう言った。
それって私に言うんじゃなくて、リズさんに言うべきなんじゃ……。
リズさんは目を大きく見開いて、顔がどんどん林檎みたいになっていく。目が少し潤んでいるのが分かった。これでリズさんは攻略対象を一人落とせたわけね。
とりあえず、言いたい事は言ったし……もう帰りたいわ。今は糖分を摂取したい。
「行くわよ」
私は後ろを振り向いて悪女っぽくそう言った。
まだ皆の睨みは凄いけど、とにかくもうこの教室からでてゆっくりしたい。
「お前もアリシアの何が分かるんだ」
デューク様が静かに低い重みのある澄んだ声でそう言った。
エリック様がどんな表情をしているのか分からなかったけど、簡単に想像できる。
まさかデューク様にそんな事を言われるとは思わないだろう。
ああ、どんな顔をしているのか見たいけど……ここで振り向いたら格好悪いわよね。
私はそのまま教室の扉の方へ向かった。ジルが私の隣を黙って歩いた。
その後ろからヘンリお兄様、メル、デューク様が来ているのが分かる。
誰も口を開く事なく黙って歩いている。
ヘンリお兄様は今まで皆と上手く付き合ってきたのにこのまま私についてきていいのかしら。
私はそんな事をぼんやりと考えながら歩いていた。
家に帰るまでジルの手の平に爪痕がくっきり残っていて、血が滲んでいた事に気付かなかった。
ジルの回想 (アリシア十三歳 ジル九歳)
「ねぇ、アリシア、今日ぐらいはいいんじゃない?」
僕はアリシアの魔法練習の様子を見兼ねてそう言った。
朝から晩まで毎日図書室に籠ってずっと魔法練習をしていた。
調子が悪くてなかなかレベルが上がらなかった。
いや、今まで調子が良すぎたのかもしれない。普通はこのぐらいかかるのかもしれない。
けど、僕は普通を知らない。ただアリシアは一度燃えるとずっと燃えていられる性格だ。
「だめよ。その今日が大事なんだから」
「毎日続ける事が大事って事?」
「毎日努力し続ける事に意味はないわ」
「どういう事?」
「早くレベルを上げたいって一心でしているだけかもしれないわ」
「キャザー・リズに追いつくために?」
僕がそう言うと、アリシアは少しだけ寂しそうな顔をした。
いつも強気なアリシアの本当の心を初めて見た気がした。
「……私がどれだけ頑張っても絶対に彼女には追い付かないわ。でも少しでも肩を並べたいの。じゃないと偉そうに出来ないでしょ?」
アリシアは真剣な眼差しを僕に向けながらそう言った後に目尻に皺を寄せて笑った。
アリシアはきっと誰よりも自分の能力がキャザー・リズに敵わない事を分かっているんだ。
いつもキャザー・リズに強気なのは自分が彼女に追いつこうと努力しているからだ。キャザー・リズと対等でいられるための努力を決して怠らないからだ。
だから、アリシアはきっとキャザー・リズに努力は報われないのだと言ったのかもしれない。
自分が一番その事を知っているから。結果が全てだと知っているから。
そして努力は自分に自信をくれるだけだと誰よりも知っているから……だから自分の努力を人に見せる事を嫌っているのかもしれない。
自分の必死さを誰かに見せるのが格好悪いと思っているからだけでなくて、自分の自信をつける所を人に見せるものじゃないと思っているのかもしれない。
もしかしたら僕の考えている事とアリシアの考えは違うかもしれない。でも、僕はそう思う。
いつかアリシアがキャザー・リズの能力を超える日が来ることを僕は心の底から願った。
「無理はしないでね」
僕がそう言うと、アリシアは少し微笑んで口を開いた。
「体を壊すような事はしないけど無理はするわよ」
本当のアリシアを皆が知ったら、一瞬で彼女の虜になるだろう。
全ての人が彼女に惚れ込み、彼女の側にいたいと思うだろう。
そんな日が来て欲しいと思う反面、誰にも知られたくないと思ってしまう。
この矛盾する心を僕は少し愛おしく思った。