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全員の視線が一気に扉の方へ向いた。
……フィン様が真顔で立っている。その後ろにはカーティス様もいる。
あら、タイミング良く現れるわね。
「どこ行ってたんだ?」
ヘンリお兄様がこの緊迫した空気の中、呑気にそんな事を聞いた。
フィン様は表情を崩さずにリズさんの周りにいる女子生徒を静かに睨んでいる。
ヘンリお兄様、もう少し空気を読んで発言なさってください、私は心の中でそう呟いた。
「フィンとキャッチボールしてたら窓ガラス割ってしまってさ」
ああ、ここにも空気を読めない男がいたわ。
カーティス様は明るい口調で笑いながらそう言った。
フィン様はカーティス様を無視して私達の方へ歩いてくる。
……何年経ってもフィン様は本当に変わらないわよね。初めて会った時とルックスがこんなにも変わらないなんてちょっと怖いわ。けど確かに、十八歳でこの見た目って……全国のショタコンが彼に夢中になる理由も分かるわ。ずっと変わらない彼を見ていられるなんて最高だもの。
「フィン様? 何をおっしゃっているのですか?」
リズさんの近くにいた淡いオレンジ色の女子生徒が顔を少し引きつらせながらそう言った。
私がぼんやりとフィン様の見た目について考えている時に結構不穏な空気になっていた。
「僕からしたら君達が何言ってるのって感じなんだけど」
フィン様の声って本当に良い声ね。ジルもなかなかいい声だけど、フィン様の方が甘いのよね。
やっぱりこれは人生経験値の差かしら。ジルの方がやっぱり幼い声って感じなのよね……。
「なんか、ジルと少しキャラ被ってるわよね」
私はジルにしか聞こえない声で小さく呟いた。
「は? 僕、あんなに美形じゃないし、髪の毛もあんなに輝いていないし。それに僕、あいつとは七歳も歳が違うよ」
ジルはすぐに顔をしかめて、早口でそう言った。そんなにフィン様と一緒にされるのは嫌だったのかしら。フィン様の事をあいつって言うぐらいだし。
というか、私が言っているのは見た目の話じゃないのよね。
「ねぇ、フィン、どういう事か私に分かるように言って」
リズさんが困惑した表情でフィン様にそう言った。
「そうだな~、物凄く簡潔に言うと、彼女達がリズの悪口をアリシアに言っていて、それをアリシアは無視した。僕が知っている事実はここまで。ここからは勝手な憶測なんだけど、アリシアの言葉が図星だった彼女達は腹が立ってアリシアをはめるためにリズに近づいた。……気を悪くしないで欲しいんだけど、彼女達が言っていたリズに対しての悪口は多分本心だから、本当にアリシアをはめるためだけにリズに近づいたんだと思うよ」
フィン様は表情一つ変える事無くそう言った。
悪女の私が言うのもなんだけど、なんだかリズさんが気の毒に思えてきたわ。
フィン様ってなんだかメルにも似ているわよね。可愛い顔してなかなか毒舌って所が。
するといきなり高い笑い声が私の耳を刺激した。
「性根が腐った馬鹿女達だ~」
嬉しそうにメルがリズさんの周りにいる女子生徒を指を差しながらそう言った。
「指を差さないの」
私は静かにそう言った。私よりもメルの方が年上なのに、私が彼女に注意するのは変な気分だわ。
「はーい」
そう言って素直にメルは指を引っ込めた。本当に動きが子供みたいだわ。
発している言葉以外は甘くて可愛い少女なのに……。これが俗に言うギャップ萌えってやつかしら。
「結局自滅? 見た目も能力も完全にアリアリに劣っているのに、性格まで最悪って救えないねっ」
そう言ってメルは満面の笑みを彼女達に向けた。
なんて可愛らしい笑顔なんだろうなんて呑気に考えているのは私ぐらいじゃないかしら。
メルに笑顔を向けられた女子生徒達は血相を変えて震えている。その上、大きな粒の涙がぼろぼろと瞳から流れている。……まるで熊に襲われる三秒前って感じだわ。
さらにメルが口を開いて何か言おうとするとデューク様がメルの頭を軽く叩いた。
「それくらいにしとけ」
デューク様は少し呆れたようにそう言った。……全く主従関係に見えないわ。
「まるで保護者だね」
ジルはメルとデューク様の様子を見ながら呟いた。私はそれに小さく頷いた。
リズさんはまだ状況を飲み込めていないようだ。今目の前で起こっている出来事に頭がついていけていない。これで本当に人間不信になってしまったら可哀想だわ。というか、私が困るのよ。
根暗になられたら私が悪女として目立たなくなってしまうわ。
悪女の引き立て役のヒロインとしてまだまだ活躍してくれないと。
だからと言って、私が彼女に優しい言葉を掛けるわけにはいかないし。
「ねぇ、そこの……馬鹿女達」
私は震えている女子生徒達に近寄って見下すようにしてそう言った。
「あっ! アリアリも馬鹿女って言ってる!」
「お前は黙ってろ」
メルの言葉にデューク様はすぐにそう言った。完全にメルを扱い慣れてるって感じがするわ……。
「ねぇ、どうしてそんなに震えているの? 泣いたら誰かが助けに来てくれると思ってるの? 残念だけどその涙には何の価値もないわよ。傷つく覚悟もないのにこんな低俗で卑劣な行動をするなんて、ゴミ以下」
私は貴族の言葉からは絶対に出ないような言葉で彼女達にそう言った。
女子生徒達は感情を失ったように虚ろな目をしていた。
私の言葉に相当なショックを受けたのか、感情を表すのに疲れたのか……。前者であることを願うわ。
そして私はこれから、口の悪い悪女としてやっていくわ。そっちの方がインパクトありそうだし。
私は彼女達を蔑むような目で見た。
「ゴミ……」
リズさんが口を開いた。そしてそのまま私の方をじっと見る。
私に対して怒りが込み上げてきたようだ。エメラルドグリーンの瞳が光っている。
ああ、これでようやく聖女リズ様が復活だわ。
私はこのリズさんを見たかったのよ。さっきまでの何が起こっているのか分からないような腑抜けた顔じゃなくて、この生命力が溢れた瞳に睨まれたかったのよ。
リズさんは心が純粋で優しいから、自分の事を悪く言っていた人達ですら庇うと思ったのよ。
もしかして私、リズさんよりもリズさんの事を知っているんじゃないかしら。……流石にそれはないわよね。
でもやっぱり人にゴミなんて言ってはいけないわよね。……ゴミより酷いゴミ以下だし。これからは使わないでおきましょ。今日が最初で最後という事で。ちゃんと次からは違う悪口を考えておかないとね。
でもこれがいつものリズさんを取り戻す一番手っ取り早い方法だと思ったのよね……。
本当は、貴方達はリサイクルも出来ないようなゴミ達だわって言おうと思ったけど、言う前にこれは酷すぎると思って言うのを止めたのよね。
そもそもリサイクルってこの世界にないし。……これは本当に言わないで良かったわ。
今のところ、私は悪女として満点よ。この調子で最後まで気を緩めずに十五年間で一番の悪女っぷりを皆に見せつけたいわ。
「何か?」
私は小さく首を傾げてリズさんに微笑んだ。




