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私達はその日の夜、ウィルおじいさんに会いに貧困村へ向かった。
デューク様のせいでかなり体力を消耗してしまったけど、昨日よりかは大分元気だった。
「ねぇ、アリシア」
静かな暗い森の中でジルのまだ少し幼い声が響く。
「何?」
「デュークの母親にあった事ある?」
「ないわ」
私は小さく首を横に振った。
「デューク様のお母様はもう亡くなっているわ」
「そうなんだ」
「絵でなら一度見たことあるわ。とても強そうな方だったわよ。デューク様の肌の色はお母様譲りなのよ」
「強そう?」
「ええ……。デューク様のお母様はこの国の人じゃないわよ」
「どういう」
「着いたわよ」
ジルの質問を私はわざと遮りそう言った。
前世の記憶が戻る前に一度絵を見たことがあるだけだから、私も確かな事は分からないのよね。
だから、あんまり迂闊に口に出せないわ。
「じっちゃん、元気かな」
「そりゃ元気でしょ」
私はそう言って、霧の中に足を踏み入れた。
「え!?」
声を上げたのはジルだった。私は驚きのあまり声が出なかった。
前みたいに重く暗い空気が無くなっている。それに地面に倒れている人がほとんどいない。
どういう事? 一体何があったの?
相変わらず空は雲に覆われているけど、でもこの村の雰囲気はいつもより明るい。
「どうなっているの?」
「分からない」
私達は茫然とその場に立ち尽くした。
「アリシア! ジル!」
遠くからレベッカの覇気のある声が聞こえた。
まさかレベッカがこの村を立て直したの? ちゃんと救世主としての役割を果たしているなんて。
でもレベッカ一人でここまで出来るのかしら。いくら物分かりが良くても、知識がなければ……考えられるのは一人しかいないわ。
「じっちゃん」
私の隣でジルが目を丸くしながらレベッカの隣を歩いている男性を見ながらそう言った。私もその人に目を向けた。
……信じられない。
「誰」
私は彼を見ながらそう呟いていた。
歩いているだけなのに威厳が漂っている。彼の迫力に気圧された。私はその場から一歩も動けなくなった。全身に鳥肌が立ち、身震いした。なんて貫禄なのかしら。
国王様に謁見する時よりも空気が張り詰めているわ。彼が現れた瞬間、空気が変わったもの。
自然と私の背筋が伸びる。真の緊張感ってこういう事をいうのね。
「アリシア、ジル」
彼は微笑みながらそう言った。声だけは聞き覚えがある。優しくて温かい声だ。
同じ人なのにこうも雰囲気が変わるものなのかしら。
少しぼさぼさだった白い髪はオールバックにして固められていて、顔がはっきりと見える。
彼の左目には見慣れた黄金の瞳があった。そして右には私と同じ色の黒い眼帯がしてあった。
私と同じ状態なのにこうも雰囲気が違うのは何故かしら……。服がいつもより綺麗だわ。
彼が私達の目の前に立った。
私は自然と膝をついてしまった。無意識のうちにそうしてしまったのだ。
悪女が誰かに跪くなんて一番しない行為かもしれないわ。
でも……体が勝手に動いたのよ。
私は貴族としての教育を十分に受けた。貴族は普通の人より優れた鑑識眼がある。
だから、自分より上の人間や敵わない人間は直感で大体分かる。
確かにデューク様やリズさんは敵わない存在かもしれないけど、それとは格別に違うのよ、彼は。
私の全細胞が彼には敵わないと言っているのよ。
今までこの威厳をどうやって隠していたのかしら……。
「アリ?」
ジルの驚いた表情が上から聞こえた。
「顔を上げなさい、アリシア」
彼は私と目線を合わせるようにしゃがみ、穏やかな声でそう言った。