ここから Fly and Fall
夜、ひとり Talk Talk の優しい歌を聴きながら。
作者、歌のように静かに語ります……
エミィは国の お姫様。
王に外出を禁じられた、大事な大事な、お姫様。
歩いてはいけません。
立つことすら、許されていません。
立つなと言われているのです。
だから もう ほら、こんなにも。
足は肉を失い 使いものにならなくなってしまいました。
かわいそうに。
高い 高い 空に近い塔の てっぺんの狭い部屋に閉じ込められて。
王子様を待っています。
王子様じゃなくても かまいません。
誰でもいいんです。
ここから 連れ出してくれるなら。
エミィは待ち続けます。
誰か私を連れ出して、と。
やがて その日が やって来ました。
やって来たのは、男です。30くらいの年の男。
手の甲にキズを持っています。
古いキズです。
深い森の奥の奥。
塔の上層に お姫様が閉じ込められていると聞きつけて、
半信半疑で立ち寄っただけでした。
男の名はレオダ。
とても優しい声と 温かい瞳を持っています。
彼は鳥を使いました。
鳥に文を運んでもらい、エミィと文章で会話をしたのです。
エミィからの返事。
私はエミィ。歩けません。
足を動かすことすら できません。
助けてください。
ここから私を 連れ出してください。
レオダは文章で言いました。
今夜 また ここに来ます。
飛び降りてください。
必ず 受けとめますから。
今夜 月が見えるといいですね。
それから姫は眠りました。夜に備えて。
そして起きて、別れの支度を。
今日で この部屋とも お別れです。
嬉しいんです。
この部屋と離れることが。
変ですね。
別れだというのに。
ちっとも悲しくなんか、ないんです。
気がつくと、もう夜です。
お月様が、雲の隙間から。
下界を 見下ろしています。
鳥が空を 渡っていきます。
寝床を求めて。
レオダは やって来ました。
約束通りに、姫を迎えに。
姫の胸は 躍ります。
さあ ここへ。飛び降りてください。
俺が受けとめてあげるから。
俺 が。
君 を。
レオダは手を広げて。
姫のいる上空を見上げます。
姫は窓に足を かけます。
手で窓の枠を つかみます。
あとは勇気。
思い切るだけです。
飛ぶだけです。
あの鳥のように。
風のなかを。
姫は飛びました。
同時です。
ダアァァンン……
突如 銃声が。
鉛の玉が、レオダの胸を、撃ち抜きます。
レオダは ふいを突かれたと 倒れます。
ドサリ。
レオダは 仰向けに なったまま、動きません。
撃たれたのですから。
動きません。
ドサリ。
姫は塔から落ちました。
受け止めてくれる手を失い、落ちました。
動きません。
動きません。
動きません。
天使など 現れるわけが ありません。
現れたのは、銃を手にした老人の男。
手の火縄の銃からは まだ新しい煙が。
彼は口を開きます。
「ここに 化け物が 2人」と。
よく見てください。
2人は死んでいましたか。
姫は そっと目を覚まし、
地面を這いながら、レオダに すり寄ります。
レオダは 目を開けます。
レオダは 仰向けに倒れたまま、すり寄ってきた姫の頭を 撫でます。
ごめんよ 受けとめられなくて……
頭を撫でる手が、みるみるうちに毛を生やします。
獣の手へと 変化します。
月に照らされて。
月に照らされて。
レオダの口の両端が、裂けていきます。
尖った歯を むき出しにしていきます。
全身が獰猛な毛に 覆われていきます。
光に照らされて。
光に照らされて。
レオダは獣に。
狼に。
銀の玉じゃなくて よかったよと。
レオダは姫の美しい髪を かき撫でます。
そうね、あなたは死ななかった。
銀の玉に 撃ち抜かれていたら死ぬ所だった。
命びろいね。
でも 私は あなたが死んでも よかった。
だって ほら 見て。私の足。
ないの。
今 やっと気がついたの。
私、足がないの。
どこにも ないの。
待ちくたびれて 息をひきとったの。
死ねば よかったのに。あなたも。
ズガアアアン……ッ
黒い森から鳥が一斉に飛び立ち、
一瞬だけ 静けさを空は忘れた。
再び 唸った銃声は、
老人の手元で 余韻を残す……
気の遠く なりかけそうな長い時のあと。
姫は老人に感謝の言の葉を告げた。
ありがとう。
私の願いを叶えてくれて。
銃を もう一つ 持って いらっしゃったのね。
私は空へと 旅立ちます。
レオダと。
鳥のように自由に。
その手の銀の玉が詰まった銃も火縄の銃も、
2度と使われないでください。
レオダ、起きて。
私と一緒に。
月の向こうに いきましょう。
仰向けに倒れている、
銀の玉を撃ち込まれたレオダ。
覆いかぶさるようにレオダの胸の上に、
頭を あずけて眠る足のない姫。
2人の前に立ち尽くす 銃を持ったままの老人。
草木は眠る。
今は休む時間だからと。
老人は また 嘆きのように口を開く。
「これで よかったのか?」と。
《END》