競馬でかける ②
そんなこんなで週末、約束の日である。集合場所は何故か競馬場からやや離れた公園だった。
ネスキーと二人で佳奈の到着を待つ。
私はネスキーの足を見ながら言う。
「遅いなー、佳奈……てか、あんたやっぱ足細すぎない?」
ネスキーは今、私のお兄ちゃんのお古のジーンズを穿いているのだが、お兄ちゃんが履いていた時は筋肉のせいでぱっつんぱっつんだったそれが、ネスキーの細い足によってだぼっとしている。
「天使の力の源は筋肉ではないからな。あまり鍛えても意味がない」
「ふーん、てかなんであんた学校の制服しか持ってないの……」
「制服だけではない、ちゃんとキトンとヒマティアを持ってきている」
キトンとヒマティアというのは、なんか古代ギリシャの彫刻とか、天使とかがよく身に纏っているあの白い布だ。ネスキーがそれを取り出したのを見た時は一体なんの布だと思ったが、衣服だった。てか制服はともかくそんなのいつ着るんだよ。もしかして寝る前とかあれに着替えているんだろうか?
「絶対あんなの着て外出ないでよ」
一応、くぎを刺す。
「なんだ、せっかくいいのを持ってきたのに」
しらん。
「君のもあるぞ?」
「いらんわ」
「もったいない……絶対似合うと思うのだが」
いや、別に似合ったところで全く嬉しくない。
そんな風に私とネスキーがくだらない会話を繰り広げていると、なぜかランニングウェアに身を包んだ佳奈が走ってきた。
「ごめん、待たせちゃって」
「うん、それはいいんだけど……なんでランニングウェア?」
佳奈は基本的に短距離しか走らないから、普段のトレーニングとしてランニングなんてやらないはずだけど……いや、それ以前に仮にも気になる男子とお出かけなのだから、服装くらい気合を入れてくるものだろう、普通は。私ですら一応外出用の私服で来ているというのに、この陸上バカの女子力は私をも下回るのだろうか。
「ああ、いやぁ、ちょっと、ネスキー君と競争したくて」
「なるほど……いや、わけわかんないんだけど。なんでいきなりネスキーと競争するわけ?」
と、聞いたところで、佳奈の答えを聞く前に私は思い当たった。
ああ、なるほど。そういうわけか。
「まぁまぁ、いいからいいから、じゃあネスキー君、あの木のとこまで競争ね。里美はスタートの合図よろしく」
「うん、わかった」
「ああ、よく分からんが、とりあえず佳奈と競争すればいんだな?」
「そういうこと。あ、ネスキー君、言っとくけど、手は抜かないでね」
そう言って、佳奈の普段は人懐っこくて温厚そうな瞳が陸上選手のそれになる。
前にも言ったが、佳奈は告白してくる男子に対し、足の速さで自分に勝てたら付き合うという条件を提示し続けていた。あれは本気で自分より足の遅い人間と付き合う気はないと思っていたからだったのだろう。そしてその条件を今、自分の気になる人に提示した。もちろん真意は伝えずに。多分、フェアじゃないと思ったのだろう。今までそれを理由にふり続けてきた男子たちに。今回は佳奈の方が好意を寄せているわけだからそんなことはどうでもいいと思うのだが、どうやら佳奈にはそれが許せないらしい。なんだかんだいって佳奈も真っ直ぐなのだ。そのことが、親友の私にはなんだか誇らしい。
まぁ、天使と自分、どっちが早いのか気になってるだけという可能性も十分あり得るけど。
そんなこんなで、横一直線に並んだ二人を見て、私は軽く息を吸い込んだ。
「じゃあ、位置について――」
実を言うと私も気になる。短距離だけで言えば私の一つ上をいく佳奈と、全力疾走で逃げる私に軽々と追いついて見せた天使ネスキー、一体どっちが早いのか。しかし、相手が天使とはいえ、佳奈は高校レベルでは全国屈指のスプリンターだ。簡単に負けて欲しくはないし、案外今までの男子にしてきたように、容赦なく突き放してしまうのかもしれない。
ぶっちゃけ、競馬なんかより見ごたえがあると個人的には思う。
私は様々な期待を寄せながら、合図を放った。
「――よーい、スタート!」
スタート、まずはその時点で明確に差がついていた。当然と言えば当然だが、毎日のように練習をしている佳奈が、いきなりトップギアなんじゃないかというほどの勢いでスタートを切ったのだ。滑らかかつダイナミックに、まさに理想のスタート。
それに遅れて、ネスキーが素人丸出しのスタートダッシュを見せる。
スタートの差は歴然。
佳奈が流れるようにそのままスピードを上げにかかる。
が、勝負は一瞬だった。
スタートでは後れをとったネスキーが爆発的な加速を見せ、一瞬にしてやや前方を走る佳奈を抜き去ったのだ。
走るフォームすら見えないんじゃないかというスピードで、人間の限界を超えそうなほどに加速して、ゴールの木にタッチする。
佳奈はあまりの出来事に途中で呆然と立ち尽くしていた。
私も開いた口がふさがらない。
バカみたいな足の速さを見せつけたネスキーは、大して気にする様子もなく、こちらを振り返ると、
「俺の勝ちだ」
そう言って爽やかに笑った。
佳奈が胸の前で手を握りしめ、吐息を吐き出すように言う。
「王子を乗せた白馬様……」
白馬の方かよ。
そう思って佳奈の顔を覗いてみると、今まで見たことのない乙女の顔をしていた。
走ったせいもあるだろうが、頬はわずかに上気し、両手はぎゅっと胸の前で握りしめられている。そして何よりハート形に変形するんじゃないかというほどの瞳は、ゴール地点から悠然と戻ってくるネスキーをしっかりととらえていた。
馬渡佳奈、恋する乙女の誕生である。
そんなことはつゆ知らず、ネスキーが佳奈の前に立つ。
「落ち込むことはない。身体能力で人間が天使には勝てないだろう。人間が泳ぎで魚に勝てないのと同じだ」
本人はいたって真面目に励ましているのだろうが、残念ながら佳奈は落ち込んでいるわけじゃない。いや、落ちているという意味では正しいかも。
そんなこんなで天使の身体能力のすごさを再確認した私たちは、早速今日の目的地へと向かう。
歩いて数分の距離にある競馬場へと向かいながら、佳奈がネスキーに話しかけた。
「ネスキー君、そんなに足が速いならマネージャーじゃなくて選手やればいいのに」
「いや、それはまずいだろう。そもそもの身体能力が違うのだから反則もいいところだ。天使が出てもいい人間の競技と言えば頭だけを使ったものくらいだよ」
「将棋とかチェスとか?」
「そうだな」
将棋とチェスか……やったことないな。ま、私にはそういうの向いてないからいいか。実際に体動かす方が好きだし。
「あ、そうだ、ねぇネスキー君」
会話の切れ目に、佳奈がいつも通りの様子で尋ねる。
「ん? なんだ?」
「ネスキー君ってどういう女の子が好みなの?」
さすが佳奈、いともあっさり照れもせずにききやがる。
対して、ネスキーもその言葉の真意など考えもしていない様子であっさり答えた。
「眼鏡をかけた女の子だな」
馬鹿正直だなおい。佳奈、引いてるんじゃない? と、隣からそっと佳奈の表情をうかがう。
何やら真剣な顔でぶつぶつ呟いていた。
「……眼鏡か……知的な子が好みなのかな……今度眼鏡買いにいこ……」
まっすぐだなぁ……あと佳奈には知的な子は無理だと思う。それに、多分ネスキーの眼鏡好きはそういうことじゃない気がするんだ。知的とか関係ないもん。私全然知的じゃないのにかけさせられたし。あ、そういえば眼鏡、家に置いてきちゃったな。別にいいか。
っていうか、さっきから、私が全然会話に入れてない。別に入りたいわけじゃないけど、自分のコミュニケーション能力、略してコミュ力の低さを感じてしまう。あと、佳奈のコミュ力の高さも。
などと、私が勝手な自己嫌悪に陥りそうになっていると、恐らく眼鏡のことについて考えていたのであろう佳奈が、
「うわぁ」
と、感動するような、驚くような、とにかくなにか珍しいものを見た声を上げた。そして、私とネスキーに小さな声で言う。
「里美、ネスキー君、見て、金髪の縦ロール……実際にしてる人いるんだね……しかも、すっごい可愛い」
そう言って佳奈が指さした先には、お嬢様のような格好をした美少女が日傘を差しベンチに腰かけて本を読んでいた。佳奈の言う通り、その髪は真夏の太陽を反射して輝く金色で、ツインテールの部分をそのまま縦ロールにしたような形をしている。しかも、その子があまりにも端正な顔立ちをしているためびっくりするほど似合っている。もしかすると本物のお嬢様だろうか?
近寄りがたいのか、ベンチにはその子だけが座っており、そこだけまるで西洋の絵画みたいになっていた。
ネスキーが、感心したように言う。
「中々の着こなしだな。うん、ぜひ丸眼鏡をかけて欲しい」
何言ってんだこいつ。
「は、早く私も眼鏡買わなきゃ……馬がらとかあるかな?」
こいつも何言ってんだ。あと馬がらの眼鏡とかないと思う。それに流石のネスキーもそんな変な眼鏡まで可愛いとか思わないんじゃないかな……たぶん。
「ほら、二人ともあんまじろじろ見ないで」
遠慮のない視線を送る二人に軽く注意し、私はちらっと金髪縦ロールの女の子を見る。
いわゆるゴスロリのファッションに身を固め、分厚い本を読むその様子は、バラの庭園で優雅なひと時を過ごす貴族のような印象を私に与えた。
「ネスキー君って、どうして眼鏡の女の子が好きなの?」
「うむ、眼鏡の女の子が好きというより……より正確に言うならば、女の子は眼鏡をかけると三割増しで可愛くなると言ったほうが正しいな」
三割増しとは、これまた数字がリアルでキモいな。佳奈がいるから絶対に口には出さないけど。
「へぇ、じゃあさ、私が眼鏡をかけても三割増しで可愛く見えるのかな?」
「ああ、もちろんだとも。そうだな、君は……やっぱり赤ぶちか。うーむ、やはり、どうしても若い子だと赤ぶちに偏ってしまうな……眼鏡マイスターとして本当は一人一人に似合う眼鏡を提案したいのだが……こればっかりは仕方ないのか」
おーい、キモい思考が駄々漏れしてるぞネスキーさんや。あと眼鏡マイスターってなんだ。
しかし、恋する乙女と化してしまった佳奈の耳には届いていないようで、こちらもこちらで思考が駄々漏れだった。
「赤ぶちか……うん、今度赤ぶちの眼鏡探しにいこ。赤兎馬モデルとかないかな」
はぁ……たぶん眼鏡を買いに行くときは私も呼ばれるんだろうな。別にいいけど。
「ていうかさ、競馬場って初めてくるんだけど、どうやって入るの?」
私の素朴な疑問に佳奈が答える。
「競馬場に入るにはまず入場門で入場券を買うんだよ。そして中に入るの」
なんと。馬が走るのを見るだけだし、入場くらいはタダなんじゃないかと思っていたけど、そんなことはないようだ。
「いくら?」
「二百円だよ」
結構安いのね。
とか言っているうちに、もう入場門についたらしく、勝手が分からない私とネスキーは、佳奈の見よう見まねで入場券を購入した。ていうかネスキーは普通にお金出してるけど、一体そのお金はどこから持ってきたものなんだろう?
入場門の周りには休日ということもあってか思っていたよりも人が多く、おっさんばかりだと思っていた私の予想とは裏腹に家族連れが多かった。
「けっこう、人いるんだね」
「ふふっ、中に入るともっと驚くよ」
佳奈が得意げに言う。
ふーん、とか思いつつ、通路を進むと、すぐ左手にバラ園が見えた。
「うわぁ、バラ園とかあるんだ」
「綺麗だな。天界を思い出す」
天界にもバラ園とかあるのか。
「へぇ……ネスキー君、天界ってどんなとこ?」
佳奈の、おそらく興味本位でぽっとでた質問に、ネスキーはバラ園を眺めながら即答した。
「美しいところだよ。どこを見回しても美しいものばかりだ……しかしそれゆえに、面白みに欠ける」
美しい――そのことを誇るわけでもなく、むしろ残念がるようにふっと笑うと、ネスキーは付け加えた。
「だから俺は、そこに眼鏡を求めたのかもな」
「いや、意味わかんない」
いい加減我慢できずに口に出してしまった。
しかし流石に今回は佳奈も訳が分からなかったようで、英語の授業で全く意味の分からない英文を訳せといわれた時のような顔をしている。
ふっ、とネスキーはもう一度哀愁を漂わせて笑うと、バラ園から眼をそらし先へ歩いて行った。
先に進んだ私たちの耳に、さっそく馬の鳴き声が聞こえた。その方向を見てみると、人がわらわらと集まりみんなで同じ方向を見ている。
「佳奈、あれなに?」
「おお、里美君、いいところに目を付けましたなぁ」
佳奈がニヤニヤと、よく分からないキャラで言う。
「あれはパドックと言って、今日のレースに出る馬をレース前に見ることができるエリアなのですよ」
「ほう、もう馬が見れるのか」
ネスキーがやや興奮した様子で言う。
興味を示したネスキーを見て、佳奈が嬉しそうにパドックへ私たちを誘導する。人の間を進み、柵が立てられている位置まで行く。
パドックは円形状に囲まれた小さなレース場のようなところで、形は陸上のトラックに似ていた。中央が芝生になっており、その周りを馬が円を描くように歩いている。そして奥に設置された巨大な液晶画面には馬の名前や騎手の名前などがずらりと表示されており、そのほかにもよく分からない数字が並べられていた。
柵のすぐ向こうで、筋骨隆々としたサラブレッドたちが悠然と歩く。
「うわぁ、すごい……間近で見るとこんなに大きいんだ」
幼いころに動物園で乗馬体験をした記憶くらいしかない私は、競馬場で走る馬を生で見たのは初めてだ。よくよく考えれば、競馬場で走る馬というのは、人間で言えばプロの陸上選手みたいなものである。やはり、オーラというか、威圧感というか、とにかく感じるものがあった。
悠然とコースを周回する馬の様子に私が圧倒されていると、さっきまで興奮した様子だったネスキーと佳奈が、なにやら真剣な表情で話し合っていた。
「一番人気のヌーヴォレコルトだが、かなり発汗しているな。最近のレースは六位、五位、二位、と尻上がりで今回は人気通りいけるかと思っていたが、調子が悪いのか?」
「確かに、騎手はベテランの岩田だから、安定感があっていいかとも思ってたけど……これは案外三位か四位くらいで終わる可能性大かも。それより見てネスキー君、十一番人気のシュンドルボン、騎手の経験が不足しているからか今回の人気は高くないけど、最近は三レース連続一着をとっている馬だよ。発汗もほとんどしていないし、歩くペースも一定で落ち着いてる。なにより体重の増減が全くない。これはもしかするともしかするかも」
「なるほど、一理あるな。二番人気のラキシスと三番人気のルージュバックもかなり入れ込んでいる様子だ……あれは危ないな。下手をすれば暴走しかねん。ここはやはり佳奈の言う通り……」
そして、二人の意見がまとまったのか、力強い声が重なった。
「シュンドルボンだね」「シュンドルボンだな」
私は二人が何を言っているのか分からず、なんとなく名前の気に入ったメイショウマンボという馬を応援することにした。
うん、名前の中にメイショウという言葉が入っている謎のセンスが好きだし、なんかマンボって可愛いし、あいつに決めた。
パドックを離れた私たちが次に訪れたのは、巨大なホールみたいなところだ。壁の液晶ディスプレイには今後のレースの告知やレース情報などが映し出され、ホール内には売店やインフォメーションセンターなどがある。駅の近くにあるショッピングモールをさらに巨大にしたような感じだ。
私が想像以上の規模に驚いていると、その様子を見た佳奈が嬉しそうに説明する。
「すごいでしょ! ここだけじゃないんだよ。なんとこの建物、六階まであります! 上の方にはレストランとか売店とか競馬を見るための特別席とかがあるのですよ! あ、ついでに、私たちが今日レースを見るのは隣の建物だよ。そっちも六階建てで、ほとんどの階に観覧席が用意されてるんだ」
偉そうに、佳奈は大したことない胸を張る。
「で、まだレースまで時間あるみたいだけど、どうする?」
私は自分よりほんの少しだけ……いや、ほんと、誤差と言って差し支えないくらいのわずかな差で大きいその胸から眼をそらし、淡白に質問する。
それがお気に召さなかったのか、何もかもを察した佳奈は張った胸をそのまま私に押し付けつつ、
「大丈夫! 競馬場にはまだまだ見どころがある乳ちちだよ! 里美とは違うよ!」
「なに無理やりぶっこんできてんの? こんど長距離走らせてそのわずかに私より大きい脂肪燃焼させてやろっか?」
などと、私と佳奈がお上品な会話を繰り広げていると、ネスキーが頬を若干赤らめつつ、
「ご、ごほん! き、君たちくらいの年齢の女の子が、男の前であまりそんな、ち、乳などと言うものではない」
おお、照れてらっしゃる。なんか天然系かと思いきやたまに思春期だなこいつ。ていうかもはや中学生レベルの反応じゃん。
照れるネスキーに対し、こちらもこちらで恥じらう乙女であるべきなのだろうが、生憎そんな神経など持ち合わせているはずもなく、むしろ佳奈に関してはなんでネスキーが照れているのか分からないと言った様子できょとんとしている。
その後は三人でレースの時間まで施設内のいろんな場所を巡り、ファストフード店で小腹を満たしたり、売店で記念にキーホルダーを買ったりした。
そしてお待ちかねのレースの時間。
私たちはスタンドの二階から見ることにした。
観覧席に入り、一番前の席まで行く。
私たちの目に映ったのは、広大なレース場だった。普段私たちが走っているトラックより一回りも二回りも大きい。まるでカーレースでもするのではないかという大きさだ。
「うわぁ……ひっろ」
「ね! ひっっっっろいでしょ!」
「すごいな……天界から見下ろしている時とは全く違う」
うずうずした様子で佳奈は席に座り、私とネスキーもそれに倣う。
「そういえば里美はどの馬に賭けたの?」
「いや……別になにも賭けてないけど……ってか、佳奈、あんた馬券とか買ってないよね?」
「い、嫌だなぁ里美、馬券の購入には年齢制限があるんだから、じ、自分では買えないって。賭けるっていうのは、ほら、言葉の綾だよ」
だったらなんで眼をそらす?
いぶかしむ私を見て、佳奈は慌てて話を逸らす。
「そ、そんなことより! ほら! 佳奈はどの馬?」
「うーん、なんだったけ……あ、そうそう、あのメイショウマンボって馬。なんか名前可愛いからそれにした」
「「ぷっ」」
私の言葉を聞き、佳奈とネスキーの馬鹿にしたような笑いが重なった。どちらかというとネスキーにバカにされる方がむかついたので、佳奈をはさんで反対側に座るネスキーをぎろりと睨みつける。
ネスキーは向けられた攻撃的なまなざしに、顔を青くしつつ弁解する。
「す、すまない……あまりに無謀なチョイスだったのでな。い、いや、里美は競馬に関しては素人なのだろう? しょうがないさ。それに、大穴の方が当たった時は嬉しいわけだしな。うん、いいんじゃないか? だから、その目はやめてくれ……天界では見たことのない恐ろしい目だ……」
ビビりまくるネスキーとは対照的に、佳奈はそんな私など見慣れているといわんばかりに私の肩に腕を回して煽るようなことを言う。
「いやぁー、メイショウマンボね、メイショウマンボ……いいんじゃないでしょうか? ていうか選んだ理由が、『名前が可愛いから』って、相変わらず里美はかわいいですなぁー」
めっちゃ腹立つ。殴っていいかな? いいよねこれは。
私は佳奈のにやにや顔を拳で上書きすることを必死に我慢し、レースの開始を待った。
そして、観客たちの期待とお金を背負った馬たちが綺麗なしっぽを揺らしながら歩いてくる。私はどの馬が自分の応援するメイショウマンボなのか確かめ、隣のアホどもを見返してくれと念を送った。
人間で言えばプロのスプリンターであるところのサラブレッドたちがスタート位置につく。佳奈から嫌というほど聞かされた話によれば、あの馬たちは血統から育て方まで決められ、生まれた時から、いや、生まれる以前から走ることを運命づけられた気高き馬たちであるらしい。運命や誰かに決定づけられたレールなどを嫌う私でさえも、そこまで突き詰められれば感服せざるを得ない。
そんな馬たちが、パートナーたる騎手を乗せ、スタートの合図と共に一斉に走り出した。
観客が騒ぎ出す。子供は興奮し、おっさんたちの一部が自分の賭けた馬の名前を叫ぶ。
その熱気に圧倒されつつ、私も自分の応援するメイショウマンボを見つめた。
別にメイショウマンボに思い入れなどないし、そもそも今日初めて名前を知ったのだけど、私は周りの雰囲気に影響されてか、まるで世界陸上を見ている時のような気持ちでそのレースを見つめていた。
それにしてもすごい。人間とはまた違った馬の筋肉が躍動し、まさに走るためだけに特化したその肉体が風を切る。いや、ほんとすごい足筋……。
レースはあっという間に後半へと差し掛かり、トップ争いをしているのは佳奈たちが応援しているシュンドルボンとかいう馬と、確か一番人気らしいヌーヴォレコルトとかいう馬だ。しかしそのすぐ後ろを見知らぬ馬が今にも追い越さんばかりの勢いで追いかけている。合計三頭からなるトップ集団だ。
白熱したレースは観客の熱気をさらに上げ、あちこちから叫び声が聞こえていた。
そして最後の直線、私の目に映っていたのは、人気の低さの割には健闘しているメイショウマンボだった。そしてなんと、そのメイショウマンボがものすごい勢いでトップ争いをしていた集団の中に食い込もうとしている。
「あ……おお……おお!」
私は思わず興奮し、声が漏れていた。
そしてとうとうトップ集団に追いついたメイショウマンボはそのまま勢いを落とすことなく、他の馬より頭一個分リードし、美しいフィニッシュを決めた。
「おお! やった! 佳奈、ネスキー、みてみて! やった――」
自分の応援していた馬が劇的な勝利を見せ、思わずはしゃいでしまった私の声は、しかし二人に届くことはなかった。
「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
「エンジェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!!!!」
予想を見事に外した二人が、一体どこで入手してきたのか、馬券を握りつぶしながら頭を抱え、叫び声を上げていたのだ。
みっともない二人の姿を見て、ふっ、と我に返る。
賭け事は絶対にしないようにしよう。
私はそう心に誓った。