眼鏡をかける ④
家に帰り、思いっきり玄関を閉めて二階に駆け上がる。
途中、お母さんとすれ違った。
「ちょっと、危ないでしょ、階段を駆け上がらないの……って、あんなに顔を真っ赤にしてどうしたのかしら?」
怒ってるだけです!
私は自分の部屋に入るやいなやベッドにダイブし、枕に向かって叫ぶ。
「もう、意味わかんない意味わかんない意味わかんない! 何あれ! 明日からどんな顔で学校行けばいいの!?」
ひとしきり暴れ、はぁ、とため息をつく。
「……ほんと、なんなのあれ」
あんなの、部内とかクラスとかで噂されるに決まっている。ああ、なんで今日は月曜日なんだろう。土日をはさんで噂が沈静化されることすら期待できない。
「佳奈、絶対色々聞いてくるだろうなぁ……」
佳奈からは自分の好きな男子が私に告白して振られたように見えているだろう。だから遠慮なしに色々と聞いてくるに違いない。それをめんどくさいと思いこそすれ、それが原因で私たちの友情が途切れるなんてことがないと思えるのが腐れ縁たるゆえんだ。
よし、ちゃんとあの爆弾発言をした天使に説明させねば。そして少なくとも陸上部内でくらいは誤解を解いておきたい。
「……ついでに一発殴っとこう」
と、私が決意していると、
「部活をさぼってはいけない! みんな待ってるぞ!」
ネスキーが私の部屋に入ってきた。
「なんでついてきてんのよ! ってか勝手に入ってくるな!」
私はベッドで暴れていたためにめくれていたスカートをさっと直し、ベッドの上に置いてあるぬいぐるみをてきとうに掴んで投げつける。
「こ、こら、物は大切にしたまえ! 人形には魂が宿ると――エンジェッ!」
ぬいぐるみの影に紛れて飛来した目覚まし時計が見事ネスキーの顔面にクリーンヒット。ネスキーがその場に倒れる。一瞬の間を置いて、目覚まし時計が地面に落ちた衝撃で突如鳴りだし、それに反応するようにネスキーが跳び起きた。
「チッ、そのまま起きなければよかったのに」
「ぐっ……なんという攻撃性。これが人間か……これを上回る攻撃性を持つ悪魔とはいったいどれほど恐ろしいものなのか……」
ネスキーは何やら呟きつつ、鳴りやまない目覚まし時計を拾ってスイッチ切る。そして床に散らばったぬいぐるみたちをかき集め、こちらに持ってきながら、
「ほら、みんな心配しているぞ。部活に戻ろう」
「誰のせいでサボったと思ってるの」
陸上部の顧問めっちゃ怖いんだぞ。怒られるのほんと嫌だどうしよう。
「ん? 誰のせいだ?」
本当に分かっていない顔でネスキーが聞き返してくる。どうやら善意の塊とやらには直接的な表現でしか伝わらないらしい。ただの天然じゃないか。
「あんたのせいでしょ! あんたがみんなの前であんなこと言うから、みんな勘違いしてるの! あんたが私に、こ、告白して振られたって!」
私が怒鳴ると、ネスキーは考えこむように顎に手を添える。
「なるほど……確かにそう捉えられてもおかしくはないか……」
「あんなのそうとしかとらえられないっての!」
何こいつ、馬鹿なの? そうかバカなのね。
「いやしかし、それはそれで正しいのではないか?」
「は?」
何言ってんだこいつ、殴り殺して天界に叩き返してやろうか。天界と言うからには死者が行く場所だろうし。
私が乙女にあるまじき感想を抱いていると、ネスキーは私の「は?」に若干ビビりつつ、またもや爆弾を投下してきた。
「い、いや……俺が君に好意を抱いているのは事実だし……君は天使や神様が嫌いだと言った。だったらあながち間違いではないだろう?」
投下された爆弾は私に直撃し、顔を真っ赤に炎上させる。
「こ、好意を抱いてるって……ッ!」
いやいや、落ち着け私。この天然野郎のことだ。きっと博愛精神とかそんな感じに決まってる。善意の塊なんだからみんな大好き的な感じだろう。
私は必死に迫りくる火の手を鎮火し、心を落ち着けた。
しかし、天使が爆撃をやめることはなかった。
「なぜ俺が君のもとに舞い降りたと思う? 言っておくが決して偶然なんかじゃないぞ。俺は自ら選んで君のもとに舞い降りた」
天使が、真剣な表情で迫ってくる。
「世界中の人間を天界から見下ろして、長い時間をかけて、君を選んだ」
世界中から、私を――そんなこと言われたら、勘違いしてしまう。
焼けつくように情熱的な言葉。こういう状況に慣れていない私の心は嫌が応にも燃え上がってしまった。
「なぜなら――」
なぜなら? ついその言葉の先を求めてしまう。まるで引いてくれない熱を冷ます何かを求めるように、天使が伸ばしてきた両手を受け入れてしまいそうになる。
「なぜなら――君が最もこの眼鏡に似合うと思ったからだ」
私は伸ばされた両手に握られた眼鏡を思いっきりはたき落とした。
「エンジェエエエエエ!!!!!!」
床に叩きつけられた眼鏡をすぐさま抱きかかえ、ネスキーが絶叫する。
危ない……危うくおちそうになった。佳奈だったら最後の言葉が聞こえず確実におちていただろう。恋は盲目と言うけど難聴もまた恋の症状だと思う私である。
眼鏡の無事を確認したネスキーが恐怖の大魔王を見るような目で私を見る。
「な、なんてことを……」
こいつ、ほんとに眼鏡好きだったんだ。
「あんた、さっきみたいなことを他の女の子に言っちゃだめだから」
あんな風に迫られたら大抵の女の子は勘違いしてしまうだろう。こいつの場合は無駄に顔がいいからなおさらたちが悪い。
「言うはずがないだろう。あんなことを言うのは君にだけだ」
「ちょ、またそうやって……」
ああもう、顔が熱い。火傷しそう。
「と、とにかく! 女の子は『君だけ』とか、そういう言葉に弱いの! 勘違いとかで余計なトラブルを招く前に自重して」
「わ、わかった。君がそう言うのならそうしよう……人間社会とはやはり難しいものだな」
「はぁ……分かったらとっとと部活戻って。そして誤解を解いてきて」
私が強い口調でそう言うと、ネスキーは眼鏡を大事そうにケースにしまい、言った。
「分かった。俺が責任を持って誤解は解いておこう」
なんだか心配だけど、任せるしかないか。
「ついでに君が休んだのは体調がすぐれないからだと言っておく」
「……あんたってそういう嘘つけるんだ」
地上を侵略する悪魔にすら攻撃できないと言っていたから、嘘とかも絶対につけないような善意の塊だと思っていたけど、人を気遣うような嘘はつけるということだろうか?
しかし、そういうわけではないようで、ネスキーは不思議そうな顔をする。
「ん? 熱があるんじゃないのか? さっきから顔が真っ赤だ――って、なぜまたぬいぐるみを投げる!?」
「うっさい! 早く出てけ!」
「わ、分かったから、物を投げないでくれ」
私はネスキーを無理やり部屋から追い出し、ベッドの上で自分の頬に両手を添える。
「ああもう……なんでこんなにあっついの」
夏の暑さは平気だけど、こういう熱さは苦手な私だった。