眼鏡をかける ③
「ねぇねぇ、ネスキー君とどういう関係なの?」
佳奈がネスキーのことについて根掘り葉掘り聞きだそうとしてくる。
放課後、そして部活の時間……佳奈は今日一日中ずっとこんな感じだ。
ネスキーは私に断られたのがこたえたのか、なにやらずっと考え込んでいる様子だった。ついでに言えばクラスの女子のほとんどがそんなネスキーを見て「物憂げな表情がかっこいい」だの、「クールな人なんだ」だの、突如やってきたイケメン転校生に胸を躍らせている。
あいつの正体を知っている私からすれば頭に花が咲いているとしか思えない……っと、そういえば私の隣にも頭に花の咲いている女子が一人。もっとも、佳奈はもっと違う意味で年中咲き誇っている気もする。頭の中にカビが生えていると言ってもいいかもしれない。
「ねーってば、ネスキー君と知り合いなんでしょ?」
私の柔軟を手伝いながら、佳奈がしつこく聞いてくる。私は嘘をつくのが苦手なので、今日はずっと適当にはぐらかしていたけど、佳奈は中々諦めてくれない。
本当のことを言うわけにはいかないしどうしたものか。
「ほら、早朝のランニング。その時に会ったの」
これは本当。
「え? なにそれすごい偶然! ネスキー君も走ってたの?」
私の柔軟が終わったので、今度は佳奈の柔軟を手伝う。
「うーん、まぁそんな感じ」
落ちてきたとは言えない。私の頭がお花畑だと思われちゃうから。
「ランニングしてたわけじゃないのかぁー」
「なんでそうなるの……」
「だって里美って嘘つくの嫌いだから、ほんとのこと言いたくない時は『そんな感じ』とか『たぶん』とか、そんな言葉で曖昧にごまかすじゃん……って、痛い痛い、それ以上曲がんないから!」
おのれ、頭は悪いくせに小癪な。
「言いたくないなら聞かないけどさ、でも付き合ってるとかじゃないなら紹介してよ」
「はぁ……佳奈にしては珍しいね」
「なにが?」
「年中頭の中お花畑のくせに、男っ気がないと思ってたからさ、こういうの珍しいなって」
結構モテるわりに誰とも付き合ったことがないし、自分から誰かにアプローチするようなこともなかった佳奈を、私はひそかに女好きなのではないかと疑っていたんだけど、その心配はなさそうだ。
「ひっどーい! ていうか里美も人のこと言えないでしょうに」
うるさいよー。
「私は陸上一筋だから。男とかいいの!」
「相変わらずお兄ちゃんラブってこと……ってごめんごめん、それ以上強く押さないで! アキレス腱的なとこ切れる!」
「あんなインテリ好きになるはずないでしょ。ていうか家族だから」
陸上をやっていたころのお兄ちゃんは確かにかっこよかったけど、今のお兄ちゃんにはその頃の面影など残っていない。まあ、スーツのズボンが足の筋肉のせいでぴちぴちだったのはなんだかちょっと嬉しかったけど。
私は最後の腹いせに、佳奈の体に思いっきり体重をかける。そして断末魔を聞き届けたあと、準備運動のランニングに向かった。
佳奈と共にグラウンドの端を軽く走る。広いグラウンドを二周したところで、長距離が苦手な佳奈は息が上がっていた。
「ほら、もうすぐだから」
私は軽く励まして、ペースを上げる。
三周走ったら準備運動は終わりだ。準備運動が終わるころにはマネージャーが飲み物の準備を終えている。基本的に陸上部は男女一緒なので、男子陸上部にいるマネージャーが女子部の方もお世話してくれている。
私は佳奈を置いてきぼりにしてさっさと三周目を終えると、グラウンドの隅にあるベンチへ向かった。そこにマネージャーが飲み物を用意してくれているはずだ。
しかし、私の期待とは裏腹に、各部員の名前が書かれた容器はなく、思わず首を傾げる。
「あれ? 今日は用意に時間かかってるのかな?」
まあ、マネージャーなんて厚意でしてくれているものだ。気長に待とう、と思っていると、背後からにゅっと私の名前が書かれた容器が差し出された。
私はお礼を言いながら振り返る。
「ありがと――ってうわっ!」
ジャージを着たネスキーが立っていた。
「どうした、そんな驚いた顔をして。ああ、そうか、みなまで言うな。ジャージが似合わないことは自覚している」
「ほんとだ、全然似合ってない……って、そういうことじゃなくて、なんであんたがここにいるの!?」
ネスキーは準備運動を終えた部員に冷たいスポーツ飲料の入った容器を渡しつつ、
「川上さん、はいどうぞ……言いそびれていたが……金剛さん、はいどうぞ……今日から陸上部のマネージャーを……関口さん、どうぞ……マネージャーをすることにした」
なんかめっちゃ働いてるし。
突如やってきたイケメンマネージャーに、陸上部の女子部員たちはきゃっきゃと騒いで飲み物をもらっている。
そこに遅れて三周目を終えた佳奈がやってきた。
「だぁー疲れたぁー私は短距離しか走らないってのにもぉ……あ、マネージャーちゃん、飲み物プリーズ」
ネスキーは最後に残った容器の名前を確認しつつ、
「えーっと、|馬渡≪まわたり≫さん、はいどうぞ」
そうそう、ちなみに佳奈の苗字は馬渡です。よく読めたなネスキー。ていうか今更だけどお前の名前、メガ・ネスキーて。
「サンキュ、そうそう、馬渡佳奈ですよー、初めて見る顔だけど、今日から新しく入った一年生かな? 覚えといてね――ってネスキー君!? なんでここにいるの!?」
気づくの遅いな。
「今日からここでマネージャーをすることにした」
「なんで急にそんな……」
私があきれるように呟くと、ネスキーはこちらを向き、
「君のことをよく知るためだ」
爆弾を投下しやがった。
部員たちの視線が一気に集中する。
「俺は君のことをよく知らずにあんなことを言ってしまった。軽率だったと思う……すまなかった」
ネスキーはそのまま頭を下げる。
あれ? 何だこの雰囲気、おかしいぞこれ。
「う、うん、分かったから……ほら、ね、だから顔を上げて。みんな見てるから」
私の要望通り顔を上げたネスキーは真剣な表情で、かつ大きな声で言った。
「だが、俺としても諦めるわけにはいかないんだ! ……あの時君は『嫌い』と言ったな」
うん、天使とか神様をね。
「ならば好きになってもらえるように努力をしよう! 何度も言うが、君が首を縦に振ってくれるなら、俺はこの命をかける」
ひきつった私の顔。そしてその両脇についている耳に、周りからの歓声が聞こえた。
違うんです皆さん。この男は要するに、俺と契約して悪魔と戦ってくれ、と言っているんです。
「え、えーっと」
みんなが期待のまなざしで私の方を見る。え? これって答えなきゃいけない感じ? こんなの公開処刑だよ!
私は人生初の公開告白イベント(周りにはそう見えている)に対し、
「ごめんなさい!」
そう言ってダッシュでその場を離脱した。
こんなところにいられるか! 私は家に帰る!
こうして私は、生まれて初めて部活をさぼったのだった。