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ダニエルの才能

「師匠、行ってきます」

「楽しんどいで~」

 身支度を整えたダニエルに、ニコラスはニコニコりながら手を振る。

「はい」

 ダニエルはいつもより一段と嬉しそうに、いそいそと出かけて行った。


 セーラはそんな光景を不思議そうに眺めていた。

ダニエルは時折、今のように嬉しそうに出かけていく。

朝から出かけることもあったし、夕方に出かけることもある。

そして、帰宅したダニエルは普段以上にぽわーんとほんとうに幸せそうなのだ。

その幸せそうな雰囲気は、なんとなくご飯を食べている時の幸せそうな雰囲気にも似ていたが、それよりももっと心ここに非ずと言う感じで、地に足が着いてないような感じなのだ。


「ダニエル君、どこに行ったの?」

 気になったのでセーラはニコラスに尋ねてみた。


「演奏会だよ。今日は何だったかなぁ。ま、いっか」

「ダニエル君って音楽好きだったんだぁ」

 意外ではなかったが、わざわざコンサートに足を運ぶほど好きだったということに、セーラは新しい発見をしたような気になった。

そういえば、ダニエルはどことなく、ふわふわした緩い感じと言うか、なんだか夢でも見ているような、ちょっぴり女の子のような不思議な雰囲気がある。

あの独特な雰囲気は、そういう趣味から来ているのかもしれない。


「あれ? セーラ、知なかった? ダニエルは音楽の素養があるんだよ」

「えっ。そうなの? 全然知らなかったわ」

 セーラにとっては驚きの新事実だった。

ダニエルが楽器をさわっている姿は一度も見たことがなかったからだ。


「そっかぁ。最近は全然弾かないもんねぇ。ダニエルはね、本当は音楽の方に進むはずだったんだ」

「え?」

「ダニエルのお母ちゃんは琵琶の名手だし、お姉ちゃんは、何だったかなぁ。とにかく、素質があるからって、物心つく前から英才教育を受けてたんだよ」

「へぇ」

 ニコラスの口から飛び出すダニエル情報に、セーラはいちいちビックリする。

とくに、英才教育と言う言葉がダニエルと結びつかなかった。


「入門してからもね、オイラの師匠のレイラ婆が可愛がってねぇ。一通りの楽器を仕込んじゃったんだ。よく師匠と一緒に演奏してたんだよ。オイラもいくつかは出来るんだけど、ダニエルには敵わなくてねぇ。師匠のお相手はいっつもダニエルだったんだ。懐かしいなぁ」

 めずらしくニコラスが遠い目をしている。

セーラは新たな情報に、さらにびっくりしていた。

一通りというのはどれくらいのスケールなのか、そしてニコラスも楽器を演奏することができるとサラリと言った。

ニコラスの演奏。

一体どんな楽器で、どんな曲を演奏するのか、想像もつかない。

聞いてみたい気もするが、聞いてみたくないような気もする。


「へぇ。一度聞いてみたいわ」

 セーラは、ニコラスの演奏はともかく、ダニエルの演奏は聞いてみたかった。


「そうだね。オイラもしばらく聞いてないしねぇ。今度頼んでみよう」

 ニコラスはニコッと笑った。


*****


 夕食の片づけを終わるころ、ニコラスがひょっこり顔を出した。

「ダニエル。それ終わったら、お月見しようよ。まだ満月じゃないけど、とってもきれいだよ」

「はい」

 ダニエルは食器をしまいながら返事をした。

 ニコラスはセーラに片目をつぶってみせる。

セーラはニッコリ微笑むと、事前に用意してあった酒と肴をお盆にのせる。


「あ、僕が持ちます」

 ダニエルが慌ててセーラの元に駆け寄ってきたが、セーラは軽く首を横に振ると、お盆を持ち上げ、ご機嫌な鼻歌を歌ってるニコラスの後に続いた。

小首をかしげたダニエルだったが、すぐに気を取り直し、二人の後を追いかけた。



 部屋の大きな窓は開けられ、月明かりが差し込んでいた。

セーラはテーブルの上にお盆をおくと、ジョンを膝にのせて座った。


「ダニエル。付き合ってよ」

 ニコラスは、ダニエルを促すように視線を動かした。

机の上には琴がおかれている。


「セーラが聞きたいんだって」

 ニコラスがチラリと目配せをする。

セーラは期待に胸をふくらませながら、ダニエルに微笑みかける。


「はい。わかりました」

ダニエルはセーラをみてニッコリすると、琴の前に座った。


「レイラ師匠のですね」

 試すようににはじき、音の余韻を楽しむように目を閉じた。


「やっぱり、いい音ですねぇ。久しぶりだから、上手くひけるかなぁ」

 ダニエルは視線を左右に動かし、弦を確認しながら、軽く首を傾げた。

 ニコラスはそんなダニエルを目を細めながら見守っていたが、

「大丈夫だよ。オイラのがアブナイかもね」

 そう言って、二胡を手にすると、いきなり弾きはじめた。

 ダニエルは肩をすくめると、琴を奏ではじめる。


 ゆったりとした二胡の主旋律に、流れるような琴の調べが伴奏する。

ニコラスは口元に笑みを浮かべながら、楽しそうに弓を動かし、ときどきセーラの顔を見てニッコリする。

ダニエルはニコラスの方をチラチラと確認しながら弦をはじいている。

息のピッタリ合った演奏だったが、ダニエルがニコラスの演奏に合わせてやってるというようにしか見えなかった。


 そんな二人の様子がおかしくて、セーラは思わず口元に手をやり「クスリ」と笑ってしまった。

ニコラスがセーラを見て、不思議そうに小首をかしげる。

セーラは微笑みながら、「何でもないわ」というように、軽く首を横に振る。

ニコラスは不満げに眉間にシワを寄せたが、すぐに「ま、いっか」と声を出さずに唇だけを動かして言うと表情を緩めた。


のんびりと心地よい時間が流れていく。

ジョンがこくりこくりと舟をこぎはじめたので、セーラはジョンを横に寝かせて膝枕をする。

すぐにスヤスヤと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。


「全然鈍ってないじゃん」

 演奏を終えたニコラスが、ダニエルの方を見ていった。

「師匠こそ」

 ダニエルはそういうと嬉しそうに微笑んだ。


「オイラ疲れちゃった。ダニエル。何か聞かせてよ」

「では……」

 ダニエルは視線を落とし、琴を見つめながら考え込んでいる。


「笛がいいよ。笛。レイラ婆の笛」

 ニコラスは立ち上がると、セーラの隣に座る。


 ダニエルはニコッとすると、腰に下げていた笛を取り出した。

笛を目の高さにあげ、おし戴くように静かに目礼をする。

 厳かな雰囲気は、ダニエルがどれほどその笛を大切にしているのかをあらわしているかのようだ。

 

 夜の静寂に沁みるような、静かな笛の音が流れ出した。

ゆったりとした調べはしだいに心が弾むような軽快なリズムを奏でだす。

セーラも知らず知らずのうちにリズムに合わせて身体をゆすっていた。


突然、軽快なリズムをぶった切るように笛の音が止んだ。

驚いたセーラは息をのんで、ダニエルをみた。

次の瞬間、かすかな音が流れ出した。


セーラは聞き漏らすまいと、目を閉じて音に集中する。


注意していなければ聞き逃してしまうくらい小さな細い音。

それなのに胸の奥に迫ってくるような音色。

切なくて、苦しくなるような、そんな音だ。


これは誰かのすすり泣きではないかと思えてくるような、ダニエルの演奏だった。


***


「えっと……」

演奏が終わったのにも関わらず、何の反応もないことに不安をおぼえたダニエルは、ニコラスの顔をうかがう。


「ダニエル素晴らしいよ」

ニコラスは立ち上がると、ダニエルの肩をグッとおさえた。


「いえ、ちょっと指が滑らかに動かないところがあって」

いつもとは全く違うニコラスの様子に、ダニエルは戸惑いながらこたえた。


「そうだね。確かに難所がちょっとね。でも、そこがたまらなくいい効果を生んでたよ」

「そうですか?」

ダニエルはキツネにつままれたような心持ちだった。


「やっぱり技巧じゃないんだよねぇ。技巧に走っちゃうと終わりさ。心がさぁ。溢れる想いが最高の演奏を生みだすんだ」

ニコラスがこんなに手放しで他人をほめるなんてことは、めったにない。

しかも、その相手がダニエルだなんて、あり得ないことなのだ。


「ほら、セーラなんか涙ぐんでるよ」

「え……」

視線を動かすと、セーラが頷きながら袖で目元を拭っていた。


「ダニエル。一皮むけたね。オイラ嬉しいよ」

ニコラスはそう言うとにっこり笑った。

その優しく晴れやかなで、まるで太陽のような笑顔に惹きこまれそうになったダニエルは、昔耳にした噂話を思い出した。


幼少期のニコラスの愛らしさは、花々が頭を垂れてうなだれてしまうほどだったらしい。

この瞬間、ダニエルはそれが本当のことだったのではないかと確信した。

それくらいニコラスの笑顔は美しかった。


惚けているダニエルの肩を、ニコラスがポンと叩いた。

「あ、ありがとうございます」

ハッと我に返ったダニエルは顔を上気させながら、何度も頭を下げた。


*****

「ダニエル君。ホント上手なのね」

 セーラはホットミルクを一口飲むと、しみじみと言った。


「うん。今日のは、オイラもビックリしたよ」

 ニコラスはうんうん頷いた。


「胸がしめつけられるような、切なくて苦しくて、泣いているような音だったわ」

 セーラはうっとりとした表情で目を閉じる。

あのダニエルの演奏を思い出しているようだ。


「そうだね。あの曲は亡き恋人を慕う曲なんだ。それにピッタリの音色だったね」

 ニコラスも腕を組み、口元にやさしい笑みを浮かべながら、視線を少しあげ、遠くを見つめる。


しばらく二人は何もいわず、静かに、あの笛の音色を思い出していた。


「ダニエル君、きっと苦しい恋をしてるのね」

 ふとセーラは目を開け、瞳を震わせながら視線を落とした。


「セーラ。君って……」

 ニコラスは目を大きく見開いて、セーラの顔をまじまじと見つめた。


「え?」

「鋭いね。やっぱりこういう分野は女性にはかなわないや」

 キョトンとするセーラに向かって、ニコラスは「完敗」というように両手をあげた。


「何か知ってるの?」

 今度はセーラがニコラスの顔をのぞき込む。


「うん。まぁね……」

 ニコラスは言葉を濁しながら目をそらした。


「そっか。望みがほとんどないのね」

「本人が一番分かってるよ」

「そう……」

 セーラは悲しみそうに息をついた。


「可能性はゼロじゃないけどね。でも、限りなくゼロに近い」

 視線を落とし、沈んだ声でそう言ったニコラスだったが、次の瞬間顔を上げた。


「諦めるか、粘るか、そこが見どころなんだ」

 ニヤリと片目を瞑ってみせる。


「ニコラス、あなた……」

 セーラは唖然として、ニコラスを見つめた。


「せっかくなんだから、楽しませてもらわないとね。ウキャキャ」

 ニコラスはいつもの珍妙な笑い声をたてた。


*******


 ゆったりとした笛の調べが流れてくる。

セーラはつくろいものをしながら耳をすませた。

あの日以来、ダニエルは訓練の合間に、ときおり、今のように笛をふくようになっていた。


「やっぱり、笛はふいてあげなきゃだよ」

 コレクションを整理していたニコラスも手を止める。

 二人はしばらくの間、演奏に聴き入っていた。


「ダニエルはね、レイラ師匠から笛を貰ったんだ。師匠が一番大切にしてた笛をね」

 セーラが疑問を投げかける前に、ニコラスが答えた。


「ダニエル君。ほんとにレイラ先生に可愛がられていたのね」

「そうだよ。オイラとダニエルの扱いが、全然違うんだ。オイラにはすっごく怖いのに、ダニエルには優しかった。二人で演奏してる時なんか、オイラの存在は無視だよ、無視っ」

 ニコラスは口を尖らせる。

まるで子供のようなむくれぶりに、セーラはくすくす笑い出した。


「それはあなたが悪さばっかりしていたからでしょ?」

「えええええ。なんでそんなこと知ってるの?」

 セーラの指摘に、ニコラスは目をまんまるくさせて身を乗り出した。


「だってダニエル君が……」

 ニコラスの過剰な驚きっぷりにセーラはたじろぐ。


「ダニエルの奴め」

 ニコラスの目が怪しく光った。


「ち、違うのよ。私が無理矢理聞きだしたの。だから、ダニエル君は悪くないわ」

「セーラもダニエルをかばうんだね」

 慌てて言い繕うセーラに、ニコラスは悲しみの視線を投げた。


「ニコラス……。違うの、そうじゃなくて……」

 セーラは、どう説明したらいいかと、琥珀色の瞳を揺らした。


「あなたのことが知りたかったの……」

 肩を落とし、「ごめんなさい」と頭を下げる。

 と、突然、セーラは抱きしめられた。

びっくりしてニコラスの顔を見上げようとしたが、頭をがっちりとホールドされて動かすことはできなかった。


「はぁっ。セーラ。オイラ、すっごく嬉しい」 

 ニコラスはセーラの髪を愛おしむかのように撫で、頭に頬ずりをする。

セーラは小さくうなづくと、うっとりと目を閉じた。

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