6 襲撃Ⅱ
赤の颶風が走る。
他の障害など気にもかけず、青年はただ怒りのままにソフィアを狙う。
「悪いけど」
しかし相手側にどんな理由があろうとユールには関係ない。横合いからの回し蹴りで青年を迎え撃つ。疾走の邪魔をするよう、点ではなく線での攻撃。
青年は剣でそれを迎え撃つ。そのまま蹴撃を逸らして、なおもソフィアを目指そうとするも続くユールの連蹴りに応戦を余儀なくされた。
明確な妨害。
それに青年は妄執と狂気の目を向けるも、ユールは平然と告げた。
「ソフィアに手は出させないよ」
舞うように、踊るように華麗な蹴撃の嵐が吹き荒れる。
一度態勢を崩されれば、その回転が止まってしまえば、不安定な蹴りに頼るユールのその技は危難に陥るはず。しかし、それが崩れることはない。止まることもない。状況に応じ、相手の数手先も読み、絶えず蹴りの回転を殺さず回り続け、舞い続ける。それがエンジェルスが第一席、武聖と呼ばれる男をして、天賦の才と言わしめたユールの足技。
しかしそのユールの攻撃に晒されても、青年は一歩も引くことはなかった。
独楽の如く回る連続蹴りを体捌きで避け、剣で防ぐ。さらには防御の中で微かな隙を狙っては、攻撃も加える。息つく間もなき防御の中で攻撃もなす。そこには確かな武の天秤と修練が窺えた。
まさに互角の攻防。
それを繰り広げる両者の立ち替わりは目まぐるしく、包囲を敷く近衛隊も遠距離から支援攻撃を加えることができずにいた。かといって接近しての加勢は以ての外。人体など容易く引きちぎる蹴撃と斬撃が吹き荒れるあの空間に踏み入れば、刹那とかからずひき肉となるだろう。
攻防の中、ユールは舌を巻く。
一体この敵は何者か。
ユールは察していた。この敵のアニマの総量は間違いなく自分のそれよりはるかに多いと。依代もなく顕現された敵の剣。それと触れるたびに自身の神器たるローアレギンスのほうが弾かれそうになるのを感じる。何より直接の鍔迫り合いでローアレギンスのほうが罅割れたのがアニマの純粋な総量では劣っている何よりの証拠だ。
だからユール自身は理解していた。互角などではない。このまま続ければ最後に倒れるのは自分の方だと。
しかし、アニマ総量が勝敗の全てではない。現にユールは攻防を流すように組み立てることで、アニマ量で劣っていようと戦闘を成り立たせている。それにこの敵は冷静な思考を欠いている。
ユールはそこを突いた。
自然な流れの中でユールは立ち位置を変える。ソフィアへの道を塞ぐ位置取りから、襲撃者の横、相手にとってソフィアへの道ができる配置へ。それを成した上で、襲撃者の剣撃に正面から蹴撃をぶつけた。
一際激しいアニマの鬩ぎ合う異音。
そして幾許かの鬩ぎ合いの末、ユールは弾かれた。
瞬時に、青年はソフィアを、滅ぼすべき仇を目指す。復讐の鬼と化した青年にとってそれは当然の行動。標的はユールではなく、あくまでソフィア=アレアだ。
しかし、それはユールの想定通りの動きだった。
ユールは弾かれた右の蹴り足を勢いに逆らわず引き戻し、地へとつく。そして勢いを殺さず先の攻撃と反対方向への回転運動に繋げた。
神速の後ろ回し蹴り。
それがソフィアに向かった青年の背後からその側頭部に襲い掛かる。
当然、青年の反応は遅れた。
最初からこうするつもりで流れを組み立てたユールと、自分の目的のみに固執し当面の敵であるユールを視野から外した青年。そこにはどうしようもない意識の差があった。
しかし、それは致命傷には至らない。
反応は遅れたものの風を切る唸り、第六感、そして何よりもアニマの動きが、背後の蹴撃を青年に教えた。
だが、右の剣は間に合わない。回避も目前に敵であるソフィアがいる状況では隙が生じる。だから青年は左の手を上げた。
やはり、アニマの鬩ぎ合う音が鳴いた。
ローアレギンスで覆われたユールの蹴りは素手では当然防げない。だが、青年の左手には右の剣と同じ赤のアニマで具現化された盾が生じていた。依代もなくアニマで物質を具現化する。それだけでも至難の業。それを二つ同時に、それも神器と渡り合えるほどの純度で。
その事態にユールは目を剥くも、驚いているばかりではいられなかった。戦闘の天才と言われるユールの直感。それが次の危険を知らせた。
咄嗟に、ユールは蹴り足を引く。
「レフレクシオー」
それと相手が唱えるのは同時だった。
詠唱に従い、青年の赤い盾は敵の攻撃から受けたアニマを反射する。しかしユールは足を引いていたのでそれは直撃せず、足先を掠めた。ユールは僅かに態勢を崩すも、即座に回避行動に切り替える。
そこに隙ができた。青年がユールを切り離す隙が。
二歩を踏みこめば、もう剣の間合いだった。
「ソフィア=アレアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーー!!!」
そして、青年は断罪の鉄槌を振り下ろす。
回避も対処も間に合わなかったのか。ソフィアはただ無防備な左手を上げることしかできていない。その腕ごとソフィアを斬り殺そうと剣は下される。
――音がした。
ヒュウ、と風が吹くような音が。
「な……に?」
その音の出元、掲げられたソフィアの手を見て、青年は思わず声を漏らす。
平然と、ソフィアは掴んでいた。
アニマの塊である青年の剣を、その何の武装もされていない華奢な左手で。
そこでキキキと鳴くアニマの拮抗する音は、先までの激突と比してあまりに小さい。
それを覆い隠すかのように、争いを飲み込むかのように風が吹いている。そしてそれに風化するかのように青年の赤の剣を象るアニマは綻び、それはあろうことかソフィアの手に飲み込まれているかのように見えた。
それが、ソフィア=アレア。
全ての国民の信仰のアニマを受け止める無尽蔵の窯。
「話を聞かせてはもらえませんか」
やはりただ静かに、先と同じ言葉をソフィアは語りかけた。
凛と透き通った穢れなき声。それは青年の恨みに反してあまりに美しかった。
「ふざ……けるな」
標的の歩み寄ろうとする姿は青年の怒りをより掻き立てる。
それは、かつて自分達を騙した半蛇の神父と青年の中では重なって見えた。
「死ね」
だから青年はそう、殺意を明確に口にした。
「死ねええええええええええええエエエエエエエーーーーーーーーーーーーー!!!!」
極大の感情の爆発。
暴走するかのように膨れ上がるアニマを、青年はその手の剣に集約させた。
ソフィアに奪われようとしていた青年の手の剣。それはかつての家族の技、その剣。彼が、青年の中にいる証。それを奪わせなどしない。
これ以上、奪われてなるものか!
もはや異常とも言えるアニマの集約に大気が鳴き、空間が歪んだ。神経が焼き切れるかとも思える集中と感情の爆発。青年の緋に染まった瞳から血の涙が流れた。
断罪の刃は再び、下された。
今度こそ、激突にふさわしい轟音が空気を震わせた。
広場で固唾を飲んでいた信徒は悲鳴を上げた。
思わず、近衛兵の一部も動揺のままにソフィアの元に殺到しようとする。
「やめろ」「やめときなって」
その近衛兵の動きを部隊長の初老の騎士と、ユールが制止した。
不甲斐ないが、あれは自分達の手には負えない。初老の騎士は初めからそれを理解し、ユールも先の奇襲も通じなかったことでそう諦めた。だが、それとは別に二人が確信していることもある。
その二人の視線の先。
ソフィア=アレアはやはり変わらぬ姿でそこに立っている。
その足は床に陥没し、そこには蜘蛛の巣のように亀裂が走っていた。それでも、まるで先と同じようにソフィアは青年の剣をその左手で受け止めている。
そう。いかにあの敵が強かろうと、あの程度でソフィアを倒せるわけがない。
ユールは当然の結果と見守るも、目にした結果の予想を超える事態に目を疑った。