prologue
神秘の力が満ちる大陸、ロスディーズ。
アニマと呼ばれるその力は、ロスディーズの大地に、大気に、そしてそこに住まう生命の内に、ありとあらゆる場に存在した。
それはロスディーズ全ての物質に分け隔てなくもたらされた奇跡だった。
しかし、そのアニマという神秘の容量と扱える限界量には残酷なまでの個体差があった。
そして何より無情なことに、対象を破壊する、個体を征服することで奪うことができた。
だからこの世界はこの上なく不平等で、無慈悲で、どうしようもなく間違っていた。
序章 17 days ago , in the dark midnight
雨が降っていた。
夜の冷たさを体の芯まで染み込ませるような氷雨だった。けれど、その肌を刺す痛みを感じられるのはこの場にはただ一人しかいなかった。
酷い光景だった。
木々は千切れ、大地は抉られ、洞窟は崩落していた。所々飛び散るかつて誰かの体を廻っていた赤は、流れる水と混ざり流れ広場を彩っていた。夥しい死の気配がそこには漂っていた。
重い場の空気を象徴するように、広場の中央に巨大な木の十字が聳え立っていた。
その物悲しい十字架を前に、青年が一人、佇んでいる。
赤い月明かりの下、その光の重さに耐えかねるように青年は瞼を下していた。一体どれほどの間そうしているのか。全身を細かい雨の雫で濡らしながらも、青年は自身も死んでいるかのように身動き一つすることがなかった。
雨が降っていた。
夜の冷たさを心の底まで染み込ませるような氷雨だった。それに打たれ続けてなお、立ち竦む青年の顔には一切の感情が見られなかった。まるで心ない人形のようだった。
降り注ぐ雨以外、何も動かない空間。そこは時の流れに忘れ去られたかのように静かだった。
それでもやがて、時が流れることを思い出したかのように青年の瞼は開かれた。
地に落ちる青年の視線は何も映していないかのように虚ろだった。しかし、唯一野晒しに放置された遺骸を捉えた瞬間、そこには炎が燃え盛り、青年は煮え滾る激情のままに腕を振り下ろした。
アニマの鉄槌が夜の無言を震わせた。
大地を震わせる衝撃に、暗闇の森からは鳥が飛び立ち、獣が嘶いた。
『この世界は間違っている。だから彼女は立ち上がった。弱者救済。すべてのヒトが命を奪われる恐れなく、安楽に過ごせる理想郷。それを成すためにソフィア=アレア教は立ったのだ』
鱗を散らして砕けた遺骸。それが生前口にした説法が青年の頭に蘇る。
「……ソフィア=アレアァ」
そこで語られた忌むべき名を静かに呟いて、青年は墓標の十字に背を向けた。